3-3. 裏の飯屋が恨めしや
事務所を出た俺と幽子は、街外れを目指した。
街外れにある路地、天斎の言う『ハンパない気配』とやらがあったという場所を。街灯も人通りも少なく、すっかりと夜の帳が降ろされたこの街の中でも特段に暗い場所だ。
「……なんだお前ら?」
そこにいたのは、若い男の幽霊。
他には幽霊の姿が見えないことから察するに、天斎が感じた気配とやらはこいつに間違いないだろう。
「まさか……あのインチキクソ霊能力者の仲間か!? ケッ! 何度来ても無駄だよバーカ! まあ、俺の声は聞こえてねえだろうけどな! やーい、悔しかったら何とか言ってみろ! べろべろばー!」
俺たちの姿を確認した男は、驚いた顔をしたかと思うと、すぐに怒りの表情を浮かべ、最後には人を小馬鹿にしたような態度をとってみせた。まったくもって忙しい幽霊だ。
「だってよ、しょちょー」
「べろべろばあ」
「うおっ!?」
真顔で舌を出して白目を剥いた俺を見て、男の幽霊は一歩たじろぐ。それは人間から反応があったことに驚いたのか、それとも俺の変顔に驚いたのか。
「な、なんだあんた、幽霊見えんのかよ? よく見たら、隣の嬢ちゃんは幽霊だし……ま、まさか本物の霊能力者……?」
「落ち着け馬鹿。俺は天斎の知り合いではあるが、仲間なんかじゃない」
「私にいたっては知り合いでも仲間でもないよ」
男はその言葉なぞ聞こえていないようで、くわっと大きく目を見開いて俺たちに詰め寄ってきた。
「はっ、本物の霊能力者がなんだ! 俺ァ、あの霊納院天斎とかいう女に一泡吹かせてやるまで成仏しねェからなァ!」
そして、すっかり聞き慣れた珍妙な名前を、口にした。
「……どういうことだ?」
「あの女の仲間に話すことなんかねえよ! さっさと帰れ!」
「私も天斎さんをギャフンと言わせたい! ねえねえお兄さん、詳しく教えてよ!」
「なんだよ幽霊の嬢ちゃん、俺の味方してくれんのか! いいぜ何でも話してやる!」
どうやら
ここは幽子に任せて、色々と話を聞き出すとしよう。
「俺は
坂浦と名乗った男は、親指でくいっと自らの背の方を指す。その方を覗き込んでみると、暗くてよく見えはしないが、確かに飲食店のような佇まいの建物と看板が見えた。
「だけどよォ、ミシュランだかスズランだか知らねえけど、とにかくすげえ腕をしたシェフだっつう奴が裏通りに店を構えてからすべてが変わっちまった。客は全部そっちに取られちまって、俺の店は閑古鳥が大合唱してたんだよ」
その店なら、噂程度で聞いたことがある。なんでもお値打ち価格で絶品料理が食べられるとかで、何度かこの街に取材が来ていたはずだ。そんな店が裏に来られては、確かに商売あがったりだろう。
「いけすかねェ――そう思った俺は、とある作戦に打って出た」
「作戦?」
「『あの店にはとんでもない悪霊が住み着いてて、これまで何人も呪われてる』って噂を流したんだ。へへ、知的な作戦ってやつよ」
まさに稚拙な作戦だな。
「これが大成功! 裏通りの店は、ぱたりと客が途絶えちまった! ざまあないぜ!」
高笑いする坂浦に、俺と幽子は苦笑いしかできなかった。
「俺の店にも客が戻ってきて一安心よ。だがそれも、悪霊が出るって噂を聞きつけたアイツが来るまでだった……」
俯いて震える男を見ながら、幽子は『あっ』と声を上げた。
『アイツ』とやらの正体に、どうやら感づいたらしい。
「ま、まさかそれって……」
「そーだよ! あのインチキ霊能力者女だよ! 悪霊なんかいやしねえのに、『凄まじい怨念を感じる』とかテキトーなこと言って、急に変な踊りをはじめて、変な呪文唱えてよォ! それが終わったらあの女、何て言ったと思う?」
やめろ、聞きたくない、多分耳が腐る。
フリじゃないぞ、マジだから。
「『あなたも罪な料理人だ。怨念までも惹きつける料理を作ってしまうなんて、ね』……しゃらくせェよ!」
いやもう、ほんと、こればっかりは彼と同意見だ。
「でもよ、その台詞がすげえ反響になって、裏通りの店は以前にも増して客が増えたんだ! 俺の店も、以前に増して客足が遠のいちまって……。んで俺はというと、志半ば不慮の事故で死んじまってよォ……。この間、あの女が俺のところに来たけどよ、俺のことなんて見えちゃいなかったぜ! やっぱり霊能力者だなんて嘘じゃねェか!」
そう言って激昂する坂浦の瞳には、憎しみの炎が宿っている。
「そんな詐欺野郎に、俺は店をめちゃくちゃにされたんだ! アイツに復讐するまでは、死んでも死にきれねェ!」
なるほど、これがこいつの未練か。
逆恨みも甚だしいが、天斎に対する怒りは本物だ。彼女への憎しみが、坂浦実刷という男を現世に縛り付けている。
とっとと除霊して金を貰う手筈だったが、少々――いやかなり面倒なことになってしまった。
「しょちょー、これ……詰んでない……?」
天斎の依頼をこなさなければ、俺に明日はない。
だが俺が彼女の味方をしている限り、天斎を逆恨みするこの男は成仏しそうにない。
さて、参ったなこれは。
◆
「ああ、おかえり、深見」
うんうんと唸りながら事務所へと帰ってく俺たちを、そんな事情も知らない呑気した天斎が出迎えた。猫みたいに吊り上がった目を更に細めながら、ソファでくつろいでいる。
「どうだ、何とかなりそうか?」
主にお前のせいで難航しているのだが、そのことは言わないでおく。俺はいたって冷静を装って、ゆっくりと頷いた。
「明日には除霊してやるから、テレビスタッフも引き連れてあの路地へ来い。お前が除霊したかのように見せかけてやるよ」
「し、しょちょー、そんなこと言っちゃって大丈夫?」
幽子はおろおろとしながら心配そうな声を出すが、俺は動じない。
ここで引き下がっては、明日のおまんまにありつけないのだ。
「頼もしい。だが気を付けてな、あの邪霊は厄介そうだ。隙を見せれば、すぐに憑りつかれるだろう。強い意思で臨むんだ」
「邪霊とか憑りつくとか、いちいちにわか臭いんだよなあ……」
「深見。幽子くんは何て?」
「『臭い』って」
「よし消そう。今消そう」
「悪意のある切り取り方!」
お決まりとなってしまったやり取りに、幽子は憤慨してみせる。だがそれもそこそこに、彼女は俺の傍らへとすすっと近づいてきて耳打ちをしてきた。
「ていうか、幽霊って人に憑りつくとかできるの?」
「できねえな。少なくとも俺は見たことがない。こいつはな、中途半端に幽霊の存在がわかることも災いして、幽霊に対して変な幻想みたいなもんを抱いてんだ。お前が言うように、にわかなんだよ。しっかりと哀れんでやれ」
天斎に聞こえぬよう、俺も小さく彼女に耳打ちをする。
消え入りそうな声で『可哀そうな人』と呟いたこいつが、実はこの場で一番のワルかもしれない。
「どうした。何かあったのか?」
「なんでもねえ、気にすんな。除霊はする、するが――」
こそこそと話す俺たちを怪しむ天斎を窘めつつ、俺は話を本題へと戻す。
「――ただし、ひとつだけ条件がある」
ゆっくりと煙草に火を付け、低い声でそう言った。
俺の普段とは違うただならぬ様子に気が付いた二人は、同時に息を呑む。しいんと静まり返ってしまったこの事務所では、その小さな音ですらよく響く。
この条件を承諾してもらわないことには、俺の除霊は成功しない。それほど重要なことだ、絶対に呑んでもらうぞ。
額に汗を滲ませる天斎に、俺は自らの腹をさすりながら、ゆっくりと告げた。
「給料は、先払いで頼む」
しいんと静まり返ってしまったこの事務所では、ぐうと鳴る腹の虫も、よく響た。
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