1-4. 幽子の未練
それから調査を続け、一週間が経った。
人々の声を盗み聞きするのはやめて、ある程度の聞き込みもした。
「お嬢さん、お尋ねしたいことが」
「急いでますので……」
その様子を、幽子は宙からひたすらに眺めていた。幽霊である彼女はそれ以上何もできないのだが、どこか楽しそうな表情を浮かべていたのが印象的だったのを覚えている。
「ちょっと、あんただろ。『俺は探偵だ』とか言って、若い女性に声をかけまくってるってのは」
「え、ちょ」
青い服のお兄さんたちに取り囲まれた時なんかは、特に楽しそうだった。
「いや、ほんと、マジで探偵です」
「はいはい、話は署で聞くから」
青い服のお兄さんたちに連行された時なんかは、腹を抱えて笑っていた。
笑いごとじゃねえぞマジで。
「結局手掛かりゼロじゃん!」
今日も収穫という収穫もなく事務所へと帰ってきると、幽子はぶすっとむくれて喚き出した。じたばたと宙で暴れ出すのは、すっかり見慣れた光景となっている。
「しゃあないだろ、お巡りさん怖いから堂々と聞き込みできないし」
「警察を恐れる探偵って、情けなくないの?」
お前までその目をするのか、警官と同じ目を。
「ま、もうすぐだ」
「もうすぐって……まだ手掛かりひとつも掴んでないでしょ!」
何も成果を得られぬまま一週間が経過とは思えない俺の落ち着きぶりに、幽子は声を荒げて詰め寄ってくる。ただどうしても、本気で怒っているようには、事態の発展を心の底から願っている風には、見えなかった。
それを見て、自らの推理に確信を得た俺は、コーヒーを淹れ煙草に火をつける。
「煙草とコーヒーってのは、確かに探偵らしいけどさあ」
先ほどまで怒り心頭な風を装っていた幽子は、そんな俺の所作を眺めながらそんなことを呟いた。
「なあ、幽子」
「うん?」
これはもう、間違いないだろう。
だから俺は、言ってやることにした。
「そろそろいいだろ、成仏しても。未練は解消されたろ?」
幽子がひた隠しにする真相を、この一連のドタバタ劇の核心を。
「なに言ってるの、おじさん……」
「思えば、最初から違和感があった」
何を言っているのかわからないといった表情を幽子は浮かべるが、今となっては胡散臭さしか感じない。
「お前は、『記憶をなくして何もかも覚えていない』……そう言ったな?」
「え、う、うん」
「けど、やけに『探偵』に関する知識が豊富で、『探偵』に対して何かこだわりを持っているように感じたんだよ、俺は」
そこで初めて、幽子は少々青ざめた表情になり、肩をピクリと動かした。非常にわずかな変化だが、俺はそれを見逃さない。図星を突かれた、といったところだろう。
思えば出会った当初から、幽子はやけに探偵について言及することが多かった。
『なあに言ってんの! 謎、調査、推理、時計型の麻酔銃……わくわくの見本市だよ!』
『ごちゃごちゃ言ってないで行くよ! ワトスン君!』
『探偵ってこう、くたびれたコートに身を包んで、パイプを吹かして、虫眼鏡持って、黒づくめの奴らと戦って、じっちゃんの名にかけるもんだと思ってたよ!』
それは探偵にまつわるフィクションであったり、多くの人間が持つ探偵のイメージだったりと、記憶がない人間の言葉にしてはやけに具体性があるものだった。なぜ記憶を失くして自分のことすらわからない幽霊が、『探偵』にまつわる記憶だけははっきりとしているのか――それが違和感の出発点だ。
「そ、それは――」
「最初は小さな違和感だった。だが、ある程度の確信に変わったのは、二日目にお前が言った言葉だ」
言い訳か何かを口にしようとする幽子を遮って、俺は続ける。
調査を開始してから二日目、喫茶店で煙草とコーヒーを嗜みつつ女子大生アルバイトの尻に目をやっていた俺に、幽子はこう言った。
『ちゃんとしてよ! もっと探偵っぽいところ見せて! これじゃあ私、いつまで経っても成仏できないよ!』
「人の言葉には、隠し切れない心理が含まれている。この言葉は裏を返せば、『探偵っぽいことをすれば成仏する』ってことじゃないのか?」
「…………」
自らの推理を語る俺を前にして、幽子は何も言わなくなった。唇を真一文字に結び、ただひたすらに俯いている。肯定も否定もしない彼女を見ながら、俺はトドメを刺すこととした。
「二日目に、別行動したろ? 実はな、この一ヶ月でここらで亡くなった人間の名前と顔写真を確認してきた」
幽子は俯いていた顔をがばっと上げ、驚愕と困惑を混ぜた表情を浮かべつつ、何度も口を開けたり閉じたりしては、わなわなと震え始めた。
「ど、どうやってそんなこと……」
「名探偵を舐めるなよ。俺にも色々と、ツテとかコネってのがあんだわ」
「そんな……」
「お前の顔写真は、なかったよ。それに、お前くらいの年齢の少女は、亡くなってすらいない。ということは、お前が死んだのは、大分前ってことになる」
そこまで言うと、幽子は完全に観念したといった感じで、うっすらとした自嘲気味な笑みを浮かべた。それはひどく物悲しく、だけどもどこか満足したもののように見える。
「記憶がないだなんて、嘘なんだろ? 探偵の俺と、幽霊と会話できるっていう俺と、調査をするための。お前の未練は――『探偵の仕事がしてみたい』、そんなところじゃないか?」
俺の推理は、ここまでだ。
探偵もののラストと言えば、犯人の自供だが――
「……私さ、探偵にすっごい憧れてたんだ」
もちろん幽子も、それを心得ていた。
「探偵もののアニメとか漫画は大好きだし、大きくなったら本気で探偵になろうと思ってた。けど、それも叶わないまま死んじゃって。幽霊になってもそれは変わらなくてさ、でも幽霊じゃあ調査も推理も無意味でしょ? そんな時、『幽霊が見える探偵が除霊もやってる』って噂を聞いて……」
探偵に憧れ、探偵を望み、探偵に焦がれた少女。
その未練は、ただひたすらに『探偵』として日々を過ごすこと。それが叶った今、彼女をこの世に縛り付ける鎖は、もうない。
鎖を失った幽子の頬に、薄い涙がつぅと伝う。
その涙の色に同調していくかのように、彼女の体は段々と薄くなっていった。
「幽子」
柔らかな光に包まれて体が薄らいでいく少女の名前を呼ぶ。
俺が仮に付けた、『幽子』という名を。
「探偵の仕事、楽しかったか?」
その言葉を聞いて、彼女は一回り大きな涙の粒を目尻に溜める。幽子の小さな瞳では、それを抑えきることはできなかった。
「うん」
俺の最後の問いかけに、幽子は何度も頷き、年相応の無邪気な笑顔を俺に見せてくれた。
「ありがと、おじさん」
それは、初めて口にする、俺への感謝。
「あ、それとね、やっぱり『幽子』って、ダサいよ」
それは、一週間ずっと口にしてきた、俺へのダメ出し。
「ばいばい、おじさん」
幽霊から直接承った除霊の仕事は、彼女の笑顔と別れの言葉が、報酬となった。
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