1-5. 名探偵の先は長い

 名探偵の朝は早い。


 まだ空が白んでいる内、仕事着であるスーツに身を包み、来たるべき戦いに備える。自らの頭と体に喝を入れるべく、ひどく濁った苦いコーヒーを啜り、タール数の多い煙草に火を付け、ゆっくりと肺に入れた。


 俺なりの、儀式のようなものだ。

 カフェインとニコチンとが体内を巡り、全身が覚醒していくのを感じる。思考はクリアになり、寝起きの体は――



「おはよっ、おじさん! さあて、今日も探偵するぞー!」



 とびきり明るい声を聞いて、覚醒した。


「は? え? ちょ、どして?」


 煙草の火種が、指先に落ちる。

 だがそれを感じさせないほど、俺の頭と心はぐちゃぐちゃになってしまっていた。


 俺の目の前にいるのは、成仏したはずの幽霊、探偵に憧れていた少女――幽子の姿に間違いなかった。


「ふっふっふっ……」


 困惑と疑問でいっぱいになった俺のことなぞ露知らず、幽霊の少女はわざとらしく笑ってみせる。そのイラっとする表情、幽子以外に俺は知らない。


「良いニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい?」


 腕を組み、かけてもいない眼鏡をくいっと上げる仕草をしてみせた幽子に、ますますイラっとくる。だがその風貌や仕草を見ている内に、俺は段々と冷静さを取り戻しつつあった。


 そして、次に彼女が語る内容で、俺ははっきりとした思考を取り戻すと同時、がくりと項垂れることとなる。



「実はね、おじさんと探偵をやってるうちに、未練が変わったみたいで。探偵の仕事を経験するだけじゃ満足できなくてさ。やっぱり探偵なら、事件を解決してナンボでしょ! ということで、私の今の未練は、『名探偵・深見昇一の助手として難事件を解決したい』……なの! だからこれから私は、深見探偵事務所の看板幽霊娘兼、おじさんの助手!」



 ふざけるな、お前みたいにやかましいガキと四六時中一緒にいるなんざごめんだぜ。もっとナイスバディで色気たっぷりのチャンネーに転生したから出直すこった。


 という言葉を、精一杯飲み込む。


 きらきらと光った目で俺を見つめる幽子を見ていると、なんだか突っぱねる気が失せてしまったからだ。


「ふうん。で、良いニュースは?」

「ちょっとお!?」


 特に気にしてませんよみたいな表情と口調で、いつものように軽く返してやる。このくらいの嫌味くらいは言わせてほしい。


「ふーんだ。どうせ私はお荷物ですよーだ」

「よくわかってるじゃねえか」

「いい加減泣くよ?」


 ガルルと牙を剥く幽子に、俺は笑いながら一歩たじろぐ。少し虐めすぎてしまったかもしれない。


「冗談だ、冗談。機嫌なおせよ、幽子」

「つーんだ」

「ま、助手うんぬんは置いといてだ。悪いニュースってやつを聞かせてくれよ」


 すっかりと拗ねてしまった幽子。なんとなく悪いことをしてしまったような気になって、話題を変えてみせた。まあ、こいつのことだ、『良いニュースと悪いニュースがある』ってセリフを言ってみたかっただけで、本当にある訳じゃあ――



「さっき、鬼の形相をしたおばあさんが、ここのエレベータに乗っていったよ」



 とんでもないバッドニュースが、飛び込んできた。


「だからそういうことは早く言え――」

「深見ィィィィェェェァァァァ! 今日という今日は溜まりに溜まった家賃、耳を揃えて払ってもらうぞゴルァァァァ!」



 幽子発のニュース速報と同時、般若の面が顔にこびりついてしまったような風貌の老婆が、事務所に飛び込んできた。ドアを、蹴破って。


「ひぃぃぃぃぃ!?」

「深見ィィィィ!」


 大家のババァの手にはバールのようなものが握られ、額には『必滅』と書かれた布が巻かれている。あかんですやん、こんなん絶対俺まで幽霊にされてまうやつですやん。


 どばどばと流れる汗、心の中の口調まで変わってしまうほどひどく狼狽える頭。もうこの状況を打破する方法は、ただひとつ。深見家の、伝統的な戦いの発想法。


「逃げるんだよォーッ!」

「待てボケェ!」


 すぐさま体を翻し、非常階段へと駆け出す。背後から老婆の怒号と足音が聞こえてくるが、決して振り向かず、ただひたすらに走る。こちらは命がかかっているのだ、なりふり構っていられない。 


「あばよとっつぁん!」

「おじさん、それ、泥棒側のセリフ」


 悔し紛れに捨て台詞を吐くと、頭上から幽子の声がした。どうやら、俺に着いてきたらしい。その声色はやけに明るく、この状況を楽しんでいるとみえる。くそう、二度も幽霊の体を羨む時が来るとは。


 タンタン、と非常階段を駆けていると、幽子はふわりと俺の進路上へとやってきて、満面の笑みを浮かべてみせた。



「探偵の仕事も除霊の仕事も、これから楽しくなりそうだね! 私も助手として、バリバリ働かなきゃ! よろしくね、『しょちょー』!」



 おじさん、ではなく、俺を『所長』と呼ぶ。

 どうやら、すっかり気分は助手であるようだ。


 だから俺も、名探偵らしい台詞で返事をすることとした。



「ふざけんなバーロー!」

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