2話 歪んだ愛情、真直ぐな劣情

2-1. 心魂さんいらっしゃい

 俺は名探偵・深見昇一、三十二歳。

 煙草とコーヒーと謎と美女を愛する、粋でいなせなナイスミドルだ。


 そんな俺には、他の人間にはない体質がある。


「心霊スペシャルだってよ。ははっ、またインチキくせえ霊能力者が出てきたぞおい。そこには幽霊なんぞいねえっての」


 それは、幽霊が見えることと、幽霊と会話ができること。


 その体質のせいで、探偵事務所で難事件と向き合う傍らで『除霊』の業務もこなす、マルチタスクな日々を送っている。


 テレビの向こうでは、胡散臭い人間が胡散臭い場所で『怨念を感じます』とか言っているが、日々除霊をしている俺からすれば、噴飯ものだ。いわゆる『心霊スポット』的なところには、あまり害のある幽霊はいないものさ。


 害のある幽霊が、いるところ。

 例えば、そうだな――



「しょちょー! このおじさん、成仏させてあげてよ!」

「除霊の仕事持ってくんなっつったろうが!」



 うちの事務所とか。

 


 ◆



「さあ、しょちょー! 除霊の時間だぜ!」


 けたけたと笑いながら事務所の中を飛び回るのは、幽霊の少女・幽子。

 なし崩し的に俺の助手(自称)となり、すっかりとここにしまった。


 幽子というのは俺がつけた仮の名前で、本人は気に入っていない様子だが、本名を教えてくれないのでそのまま呼んでいる。


「おい幽子……これで何人目よ……。もといたところに返してきなさい」

「捨て犬じゃないんだから」


 その助手を名乗る少女の厄介なところは、こうして成仏できない幽霊を連れてきては、『除霊しろ』と言ってくるところだ。お陰様で、ここ数日は金にならない除霊の仕事ばかりで、本来の探偵業務ができていない。


 まあ、探偵業務、ないんだけどね。


「わあ……ほんとに幽霊と会話できる人がいるだなんて……」


 本日幽子が連れてきたのは、くたびれたおっさんの幽霊だった。頬はこけ、白髪交じりで、俺より一回り上の年齢といったところか。先日、『連れてくるならナイスバディなお姉さん幽霊にしろ』と言ったのだが、相変わらず使えない助手だ。


「初めて見ました、そんな人……」

「ほっとけ」

「……ちょっと柄は悪いですね」

「ほっとけよ」

「顔もあんまり良くないよ」

「ホントほっといてくれない?」


 幽子とおっさんは、顔を見合わせて笑う。

 幽霊ってやつはどうしてこう、いちいち癪に障るやつが多いのか。


「で? 誰よこのおっさんは」


 探偵好きじゃじゃ馬幽霊娘にいくら言い聞かせても無駄なので、早いところ話を進めるとする。


「あ、えと、ご挨拶が遅れました。四里しりしかれ、と申します。死んだのは三年ほど前です。私の未練というのは、死に別れた妻のことでして……」


 今日も除霊ボランティアが始まるのかと、俺は大きく溜息をつく。そんな様子も知らずに幽子はにこにこと笑い、おっさんの幽霊はぽつりぽつりと話を始めた。


 元所帯者の幽霊か。

 独身の俺にはわからないが、家族を残して亡くなるのは、確かに未練が残る者なのかもしれない。


「妻は軽代かるよ四里しり軽代かるよといいます。美人で、気立て上手で、おしとやかで……」

「惚気はいいから本題を言えよ」

「しょちょー、最後まで話は聞こうよ」

「スタイルもよくて、細いけど出るとこは出てて……」

「うちの助手とは大違いだ」

「本題を言えよおっさん」


 突如として表情と口調が険しくなった幽子に驚き、四里はあわあわとしながらも自らの未練について話し始めた。


「妻の今が気になって気になって、成仏できないのです。再婚する気があるのか、そうでないのか……。私としては、どちらでもいいんです。再婚して新たな幸せを掴んでもらえればもちろん嬉しいですし、私を思って独身を貫くというのも、愛されていたという実感があってそれはそれで嬉しい」


 四里の語りは、いまいち俺の中で腑に落ちない。


 それは俺が独り身だからかもしれんが、それにしてもどこか要領を得ない内容に思う。そんな未練なら、とっとと奥さん探して後をつければいいじゃないか、あんた幽霊なんだし。


「でも、どうしても、怖いんです。実際に自分の目で妻がどうしているのかを見るのが……。だからお願いです、今現在の妻がどうしているかを調べて、教えてくれないでしょうか……。そうすれば私は納得して、成仏できると思うのです」


 そう思う俺の心を見透かしたかのように四里はそう言ったが、やはりいまいちピンとこない。

 まあ、自身の目で真実を知りたくないという気持ちはわからなくもない。受験の合格発表を自分で見るのが怖い、というのと同じようなもんだろう。


「ふうん。じゃあ俺たちはあんたの奥さん……軽代さん、の調査をして、あんたにそれをありのまま伝える。それでいいか?」

「うひょー! なんだか探偵っぽいね!」

「は、はい。よろしくお願いいたします」


 半ば投げやりに返答する俺と浮かれる幽子を見て、微かな微笑んだ四里は事務所の壁の中へ消え、そのまま去って行った。


 また面倒なことになった。

 それもこれも、この幽霊バカのせいだ。

 助手なんていらないから、早いところ――


「――――ッ!」


 その刹那、名探偵の第六感に悪寒が走った。

 顔を上げ、数メートル先にある事務所の扉を見つめる。

 これまで幾度となく窮地を脱してきた探偵の嗅覚が、ただならぬ殺気を捉えたのだ。


「どしたの?」

「静かに」


 事務所の扉の外に、微かな物音と気配。それは幽霊のものではなく、確かに生者のそれだ。この時間にこの場所を訪れる気配など、ひとつしかない。


「あの、ごめんくださ――」

「大家のババアだ! 逃げるぞ幽子!」

「しょちょー! 違うよ! お客さんだよ!」


 アクション映画のようにソファを飛び越え非常階段へ向か俺を、幽子の声が静止する。その声を聞いてピタリと足を止めて振り返ると、そこには恨めしいババアの姿はなく、一人の女性が立っていた。


 なんだろう、つい最近もこんなことがあった気がする。


「突然すみません……」

「い、いえいえ。こちらこそ、ははは」


 実に数週間ぶりとなるまともな客人は、大層な美人であった。スタイルもよくて、細いけど出るとこは出ている。こんなべっぴんさんが来るだなんて、なんという僥倖か。日頃の行いが良いからだろうな。


「ささ、どうしましたかご麗人。この名探偵を前にして、恋の迷宮に迷い込んでしまった……そういう訳じゃあないんでしょう?」

「うわキツいなあ」


 白く輝く歯を見せ、クールな笑みを浮かべ、応接机へと彼女を誘導する。宙に浮かびながらその様子を見ていた幽子が、苦虫を噛み潰したような顔と声をしてみせるが、無視だ無視。


「実は私、最近よく誰かの気配を感じているというか……」

「ストーカー、ですか?」

「多分……」


 そう俯く依頼主は、スタイルもよくて、細いけど出るとこは出ててる、絵に描いたような美人だ。ううむ、眼福。


 だが、はて。

 そんな人物のことを、先ほども聞いたような。



「自己紹介が遅れました。私、四里軽代と申します」



 はて、そんな人物の名前を、先ほども聞いたような。

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