2-2. 依頼主は調査対象
「し、しょちょー。今この人、四里軽代って……」
俺の肩らへんで浮いている幽子からも驚愕の声が漏れているあたり、どうやら聞き間違いではなさそうだ。最近耳が遠くなってきたと思っていたが、まだまだ大丈夫そうだな。
「しょちょー! しょちょーってば! この人、さっきのおじさんの奥さんだよ!」
ええい、わかってる。
鬱陶しいから少し黙っていてくれ。
「探偵さん?」
「ああ、ごめんなさい、あなたの美貌に少々見惚れてしまって」
「はあ……」
きっと俺は怪訝そうな顔をしていたのだろう、それに気づいた依頼主が俺を呼ぶので、見事クールに誤魔化してみせた。その甲斐あってか、軽代は『あらお上手、抱いてください』と言わんばかりに熱っぽい視線を送っている。
「しょちょーってさ、ホントに馬鹿だよね」
心を読むな、馬鹿助手。
「それで、ストーカーでしたっけ?」
「ストーカーかどうかはまだなんとも……。とにかく最近、背後に視線というか気配を感じていて……。警察に相談はしたんですけど……」
俯いてそう語る彼女に、俺は大きく頷く。
家に人が来るだとか、メールや電話が沢山くるだとか、そういう被害が実際にあれば警察も動くことができるだろう。
「実のところ……今も……」
「ほう。もしかしたら、どこか遠くからあなたを見ているのかもしれませんな」
「ゆ、許せない!」
だが、彼女の現状は『視線を感じる』というだけだ。彼女の気のせい、と一蹴してしまえばそれまでのこと。
「なるほど、それでウチですね」
こういう、警察が動きづらい、警察には相談できない、といった案件こそ探偵の真骨頂よ。久しぶりのまともな仕事に、腕が鳴るってもんだ。
「ストーカーだって! 女の敵だよ! しょちょー、これは絶対に解決しないと!」
理由はともあれ、幽子も幽子でやる気を見せている。
見えない敵との戦いとあれば、こちらにも見えない味方がいるのは心強い。ここはひとつ、幽霊の助手にもうんと働いてもらうとしようか。
「わかりました」
久しぶりの金が伴う、それに美女からの依頼。思わず頬が緩み、顔がにやついてしまう。それに、調査の傍らで彼女のことも調べていけば、幽霊の旦那の件もすぐに片づく。
「軽代さん。ではまず、お宅にお邪魔してもよろしいでしょうか?」
「え? 私の家……ですか?」
「ここにも女の敵が……」
違うって。睨むなって。
◆
四里軽代の住まいは、住宅街の外れにある賃貸マンション、その五階にあった。質素でも豪勢でもなく、まあ言ってしまえば『普通』の部屋だ。大所帯でなければで、十分な広さと間取りといったところだろう。
しかし、やはり美人の部屋はどこかいい匂いがする。
うむ、フレグランス。
「あの、私の家に来る必要があるんでしょうか……?」
「そうだそうだ! 美人さんの部屋に来たかっただけだろう、このスケベ! 変態探偵! 頭脳は子供、下半身は大人!]
部屋の入口に来たところで、軽代は訝しげに俺を見つめ、その背後で幽子が騒ぎ出す。俺は『ちっちっち』と人差し指を左右に振ってみせ、軽くウインクをしてみせた。
軽代の後ろで『気持ち悪いなあ』とぼやいている幽子は、あとで説教な。
「大いにあります。いいですか軽代さん、最近のストーカーというのはかなり狡猾です。携帯の電波から位置情報を盗み見たり、ネットに投稿した写真から家を特定したり。そして一番メジャーなのが、盗聴器です」
そこまで俺が言うと、一人の美女と一人の幽霊は納得したような顔をしてみせる。
「流石しょちょー! てっきり『美人の部屋はどこかいい匂いがする』とか考えてるのかと思ったよ!」
だから心を読むなって。
「自分は家の中を探します。軽代さんはゆっくりしていてください」
「わかりました。よろしくお願いしますね」
そう言うと、軽代は軽く頭を下げてリビングの方へと引っ込んでいった。
「幽子」
その背中が扉の向こうへと消えていったのを確認して、玄関口に取り残された少女を小声で呼ぶ。
「はいはーい! ずっと無視されてて悲しかったよ」
「しょうがないだろ。軽代さんも一緒だったんだし。でだ、お前にも手伝ってもらうぞ、盗聴器探し」
「うおおおお! 待ってました! くぅー、探偵っぽい仕事がようやくできるなあ! で、どうすればいいの?」
幽子はふるふると震えたかと思えば、ぐるぐると宙で回り出し、何度も俺の体をすり抜けていく。こういう時、触れることができない幽霊はやっかいだ、無理やり止めることもままならん。
「盗聴器は、コンセントに仕掛けられていることが多い。だからお前も、家中のコンセントを見て、怪しいもんがないか確認するんだ」
「合点承知の助!」
暴れ狂う幽子を落ち着かせることは諦めて、そう告げる。
びしっと敬礼してみせた彼女は、そのままの勢いでリビングの方へと消えていった。あそこまでやる気なら、それなりの働きはしてくれるだろう。
リビングは幽子が向かっていったので、俺は違う部屋へと向かうことにした。リビング以外に、扉は二つ。ひとつは夫婦の寝室で、もうひとつは私室のように見える。
「失礼しますよっと」
まず私室の方へ入ってみる。昼間だというのにカーテンがしっかりと閉められており、部屋の中は暗い。六畳間の洋室、といったところか。
電気を着けて部屋を見渡してみると、といった感じで、そこには大きな机と本棚、それにノートパソコンがあるくらいで、他には何もなさそうだった。
「これは、軽代さんと敷のおっさんの写真だな。それに、ネックレス、指輪……」
机の上には、夫婦の写真が所狭しと並んでいて、その隅には貴金属の類がこじんまりと置かれている。そのまま机の周辺をぐるりと見渡してみたが、盗聴器はなさそうだった。
「そこ、主人の書斎でして。ああ、主人は三年前に亡くなったんですが」
じゃあ次は寝室だな、と踵を返そうとした矢先、部屋の入口の方から声があった。少々驚きもしつつ振り返ると、なにやら神妙な面持ちの軽代が扉のすぐ傍に立っていた。
「そうでしたか。それはお辛かったでしょう」
その旦那についさっき会ったぜ、とも言えないので、無難な返事をしておくとする。
「いえまあ……そうですね。主人の所持品とか、主人から貰ったプレゼントとか、なんだか処分できなくて、当時のままにしてあるんです。欲しいものがあったら持って帰ってもいいですよ、これからも処分できるかわかりませんし」
「ははは、そらどうも」
重苦しい話と雰囲気を払いのけるように、俺は軽く笑ってみせる。だが、軽代の顔色が変わることはなく、何やら言い淀んでいるように見えた。
「どうかしましたか?」
「深見さん、その、実は……」
扉に手をかける彼女の手に、ぎゅっと力が籠ったのを感じた。その一方で、肩と唇は震え、顔はすっかりと俯いてしまっている。
「先ほどから、また例の視気配が……」
「なんですって?」
その震える唇から紡がれたのは、予想だにしない言葉だった。
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