2-3. あの軽い尻を追え
わなわなと震える軽代を置いて、俺はリビングへと直行した。
十畳ほどの洋室で、机と棚、それとテレビが置いてあるくらいの質素な部屋だ。
「しょちょー! テレビのコンセント、異状なしであります!」
それと、テレビ台に頭から突っ込んだ
「…………」
「しょちょー?」
外から見える景色には、特に変わったものはない。車通りの少ない県道と、その周りに建つ住宅、それ以外は確認できなかった。街の外れにあることもあり、ここらではこのマンションが一番高い建物のようだ。
もちろん、変わった人影も。
「深見さん……」
「安心してください、近くに人影はありません。どうやら、こちらに手を出してくる気はなさそうです」
「え? なになに? どうしたの?」
俺の言葉にひとまずその大きい胸を撫でおろす軽代と、テレビ台から顔だけをひょっこりと出して首をかしげる
一安心、ではあるが、少々面倒くさいことにはなってきそうな予感がした。
◆
俺たちは軽代の家を後にして、事務所へと戻ってきた。結果から言うと盗聴器はなく、部屋が荒らされたような形跡もなく、軽代が感じたという『気配』もわからず終いだ。
「収穫なしかあ」
事務所の天井付近で浮いてる幽子は、不満そうな顔をしている。必死になって四里家のコンセントというコンセントを調べて回ったが、それも無駄になったのだ、気持ちはわからないでもない。
「収穫ならあったぞ」
「え!? 本当!? もう水臭いなあ! そういうのは早く教えてよ!」
そう言うと、幽子は嬉々とした表情で天井から俺の眼前に降りてくる。さすがに今回ばかりは幽子のやつも働いてくれたし、労ってやらんとな。
「おっさんの書斎から拝借してきた。欲しいものがあったら持って行けって言うからな」
「なになに!?」
まあまあ慌てなさんなと宥めつつ、四里家から拝借してきたものを懐から取り出す。それを覗き込んできた幽子の目は、煌めいたものから薄汚れたもの見るようなものへ、みるみると変貌していった。
「……これは?」
「見てわかんねえか? えっちなDVD」
「馬鹿と変態は死ななきゃ治んないね」
それをまさか死人に言われるとは。
「あのー……」
まるで汚物を見るかのような幽子の視線を感じている最中、窓の方からか細い声がする。二人同時にそちらの方へ目をやってみると、もう一人の依頼人の姿があった。
「おじさん!」
「なんだまだ成仏してなかったのか」
「で、できませんよ……」
四里家の幽霊旦那――
「その、妻のことで……」
「実はねおじさん。軽代さんが依頼に――」
「すまんな。ちょうど今調査中だ。調査結果は……そうだな、明日まで待ってくれ」
口走りそうになる幽子を遮ってそう伝えると、『そうですか』とちょっぴり残念そうな顔をして、おっさん幽霊はすぅと事務所の壁から消えていく。その間、幽子はずっと不思議そうな顔で俺を見つめていた。
「軽代さんのこと、言わなくてよかったの?」
「お前も探偵の助手を名乗るなら覚えておけ。依頼内容は口外無用だ。それがたとえ、幽霊でもおっさんでも、だ」
「美人なら?」
「時と場合による」
「ホント、馬鹿と変態は死ななきゃ治んないね」
だから死人が言うなって。
◆
翌日。
俺と幽子は、四里軽代の尾行をすることとした。
「なんで尾行?」
「ストーカー野郎の尻尾を掴めるかもしれねえだろ。それに、おっさんの方にも『妻の様子を調べてくれ』言われてるしな。一石二鳥よ」
電柱の影に身を潜めながら、幽子に小声でそう返事をする。
「軽代さんには尾行のことは言ってない。普段と違う行動を取られて、犯人に感づかれても困るしな。彼女にも犯人にも悟られるなよ、幽子」
「いや私は幽霊だし」
「せやな」
そんな会話をしていると、軽代に動きがあった。
「四里さん、ごめんなさい待ちました?」
「待ったわよ。埋め合わせしてよね」
スラッとした若い男前が、軽代に近づいてきたのだ。
挨拶もそこそこに、二人は腕を組んで歩き出す。
「……新しい恋人かな」
「かもな。それにあの男、結構な有名人だ」
そして俺は、軽代の傍らで笑顔を振りまく若いツバメの顔に見覚えがあった。
雑誌か何かで特集を組まれているのを見て、『俺の方が美形だわ』とぼやいた記憶がある。
「確か、
恐らく襟井は、軽代よりも大分年下のはずだ。
年下のエリートとお付き合いしているだなんて、やはり美人は違う。あの冴えないおっさんと結婚していたことの方が不思議に思えてくる。
「そんなエリートを捕まえたんだね軽代さん! あ、でも……おじさんに何て報告すれば……」
「今は考えるな。それよりも、あいつらあそこの建物に入っていったぞ」
幽子が何かをぶつぶつと言いながら難しい顔をしていると、二人は路地を曲がっていった。急いで追いかけたが、すでに二人の姿はない。どうやら目の前に佇む大きな建物へと吸い込まれていったようだ。
『ホテル 二人の不夜城』
凄まじい存在感を放つ、大きなお城のような建物に。
「こ、ここって……」
「ラヴなホテルだな」
「ひ、昼間からお盛んだね……」
幽子は引きつった笑みを浮かべ、眠らずの城をただただ眺める。あまり見慣れたものではないようで、引きつつも物珍しそうな表情だ。
「幽子。お前、死んだとき何歳だったよ」
「え、なにさ急に。十六歳だけど……」
俺からの急な問いかけに、幽子は戸惑いつつも返答する。というかこいつ十六だったのかよ、随分幼く見えるが――まあ今はどうでもいい。
「なら大丈夫だな。お前、ちょっとあいつらの様子覗いてこい」
「はあああああ!?」
淡々とそう言った俺に対して、幽子はこれまでにない戸惑いを見せてくれた。
「何が大丈夫なの!? 何もかも駄目だけど!?」
「中学生じゃちょっとと思ったけど、高校生なら大丈夫だろ。こういうとこ、今時の高校生の人気スポットだろ?」
「今時の高校生なんだと思ってるの!?」
今時の若者は乱れに乱れているのかと思ったが、そうでもないらしい。おじさんちょっと意外。
「ていうか、覗いてなんの意味があるの!?」
「意味は結果を聞いて考える。いいじゃねえか、減るもんじゃなし」
「私の心が確実にすり減るよ!」
「死んで数年経ってんだろ? ならもう十八歳以上だ。幽霊に青少年保護の条例は適応されねえよ。それに、汚い現実を知るのは探偵の第一歩だ、そら行ってこい」
「う、ううう……」
やはりというか、幽子は『探偵』という言葉に弱い。
とってつけたような理由ではあったが、これまで喚き散らしていた彼女も、少々揺らいでいるようだ。
「しょちょーの馬鹿あああああ!」
そしてすべてを諦めたのか、捨て台詞を吐いて飛んで行った。
頑張れ幽子、探偵とはそんなに甘い仕事ではないのだよ。
「うう……。私、もうお嫁にいけない……」
「籍入れる前に鬼籍に入ってんじゃん」
「うっさい!」
しばらくすると、肩をガクリと下げた幽子がふわりと戻ってきた。
ひどく涙目で、ひどく苦しそうな顔をしている。
「で? どうだったよ?」
そんなことよりも気になるのは、軽代とエリート野郎のことだ。
だが、結果を楽しみに待つ俺を他所に、幽子は言い淀んでしまう。俺が痺れを切らし始めたあたりで、ようやく彼女の口からエリート野郎の痴態が語られた。
「エリートが……『私はどうしようもない底辺の人間です』とか『低俗な卑しい豚にご褒美をください女王様』とか言ってた……」
どうやら、変態のエリートだったらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます