5-3. 助手の調査結果
「お姉さ――
静寂の訪れた病室内で、幽子は調査結果の報告を始めた。
お姉さん、と言いかけてやめたのは、彼女なりに『探偵の助手として報告をする』という心意気かもしれない。
「駆け落ちい?」
「うん。なんでも伊代さんには許嫁がいたみたいで、正さんとの交際は絶対に許してくれなかったらしいよ。だけど障害があればあるほど、二人の恋の炎は熱く燃え上がって……はぁーロマンチック……」
幽子はうっとりとした表情を浮かべ、ない胸の前で両手を組む。夢見がちな少女には、駆け落ちとやらがロマン溢れるものに感じるのか。
「冷めてるなあしょちょーは」
「周りに迷惑かけて欲望のままに逃げるんだ。言っちまえば自己中な行動だろ。褒められたもんじゃねえ」
「銭ゲバ色ボケしょちょーにはロマンスはわからないかあ」
「ロマンスなんざ、『性欲』って言葉をオブラートに包んだだけのことだろ」
「謝れロマンスに」
どいつもこいつも、綺麗な言葉で着飾って、本質を口にするのを避けたがる。なにがロマンスか、何が運命の赤い糸か。
『あなたと合体したい』って正直に言え。
「いいよ、もう。話を戻すからね」
こいつと話をしても埒が明かないとでも言いたげに、幽子は肩をすくめる。それが閑話休題を告げる合図となった。
「二人は、『深夜零時、橋の下で落ちあおう』って約束をしたんだって。けどいざ逃げるってなった当日に、離れ離れになっちゃったみたい。伊代さんは田舎の方へ行くことになっちゃって、正さんはもっとか遠いところへ行くことになって。そのすぐ後に伊代さんも亡くなったんだってさ……」
逃避行の計画を立てた、身分違いの恋に生きようとする男女。そしてその願いは虚しく、二人は離れ離れとなり、終いに女はこの世を去った。
随分な悲恋話ではあるが、どこか要領を得ない話だ。
「随分ふわっとした話だな」
「幽霊だけにね」
ドヤ顔やめろ。
「今の話じゃ、何もわかんねえじゃねえか。お互いどこに行ったのかとか、何故遠いどこかへ行くことになったのかとか。お前、詳しく聞かなかったのかよ」
「もちろん聞いたよ。けど、なんだかすごい辛そうな顔をして、『それはできれば聞かないでください』だなんて言うから……」
「聞くに聞けなかった、と」
「うん……」
他人事であるというのに、幽子はひどく落ち込んだ顔をしてみせた。四の五の言わず聞き出せよオラァ――と言ってやりたかったが、やめておく。こういうお人よしで甘っちょろいところも含めて、幽子という奴なのだ。
「まあいい。それで、伊代さんはどうした?」
「嫌なことでも思い出しちゃったのかな、そのあとすぐに『ごめんなさい気分が悪くて』って言って帰っちゃった。伊代さん、いつもは正さんと待ち合わせをしてた橋の下にいるみたい」
細い体が折れそうになるまで曲げて頭を下げる大和撫子の姿が思い浮かぶ。礼儀正しそうな彼女が、幽子に捜査を押し付けて去って行ったのだ。中々にヘビィな過去があるのかも知れない。
「わかった。じゃあ、街の幽霊共への聞き込み結果を聞かせてくれ」
これ以上、葉金伊代のことを詮索しても仕方あるまい。次の調査結果を聞くとしよう。
「残念ながら、正さんのことを知ってる幽霊はゼロ」
「ふうん」
「加えて、伊代さんのことを知ってる幽霊もね。伊代さん、普段はずっと橋の下にいて、他の幽霊と交流がないのかな」
「へええ」
「ちょっと不思議に思ったのが、伊代さんの家は随分な名家だって話だったけど、そもそも『葉金』の苗字に聞き覚えがある人すらいないんだよね。私が思うに、実は伊代さんはこの街の人じゃないのかも」
「ほおん」
「興味ゼロじゃん」
まあ、端から期待はしていなかった。
経験上、幽霊から貴重な情報を得た事なんぞほとんどない。奴らは実に自分本位で、他人のことにてんで興味がない。未練を抱えて現世に囚われた奴らだ、それも仕方のないことなのかもしれないが。
「もういいよ。成果なかったんだろ?」
「ぐぬぬぬ……」
「そんなことより、俺が聞きたいのはあっちの調査の方だよ」
そんなことよりも、俺には大事なことがある。
こうして名探偵が病に伏すこととなった、その原因の追究だ。
「ああ……弁当屋ね……」
「調査サボってねえだろうな?」
「調べたよ……まったく」
不服そうな顔で俺を睨む助手。
なんだその態度は。事務所の大黒柱を追い込んだ輩について調査するのは、助手の務めだろうが。
「追い込んだのも追い込まれたのも、しょちょー自身だよ」
「追い込んだのは、仕事のなさからくる貧しさだ」
「それこそ身から出た錆びじゃん」
助手の不躾な態度はいかがなものかと思うが、それは置いといて。
「で、どうだったんだ」
「……しょちょーの机の上にあった空の弁当箱から、店を特定したよ」
今は、報告を聞くのが先だ。
「なんて店だ?」
「『ニッカポッカ亭』っていうお弁当屋さん。その名前の通り、鳶職人さんとか向けに作るドカ盛り弁当が有名」
「弁当はどんなだった?」
「量が多いだけで、普通のお弁当だよ。梅干しの乗った日の丸弁当プラスおかず、みたいな」
「店員は?」
「気のよさそうなお婆ちゃん……って、めっちゃ聞いてくるじゃん」
「看板メニューは? 値段は? 訴えたら金は取れそうか?」
「さっきとの落差」
当たり前だ。
名探偵の顔に泥を塗り、名探偵の腹に毒を盛った店にはそれ相応の覚悟をしてもらわなくては。名探偵らしく情報収集から始めることの、なにがおかしいと言うのだね。
「とにかく、だ」
今日の幽子は割と仕事をしてくれた。
助手としてはギリ及第点といったところか。内容の薄い調査結果でも、名探偵の手にかかれば上質な推理へと昇華される。
「だいたいわかった」
「ホントかなあ……」
ロマンチック大和撫子の件も、俺を襲った弁当の件も、明日にはいっぺんに片がつくだろう。助手は胡散臭そうな顔で俺を見てくるが、もっと上司を信じて欲しい。
「とにかく、俺の安楽椅子探偵っぷりを見せるのはまた明日な。お前はもう帰れ」
「しょちょーは?」
「今日は検査入院だと。早くこんな病院とはおさらばしたいんだが」
「入院費かかるしね」
どうやらこの助手も、深見探偵事務所のことをよく理解してきたようだ。
だが、今回ばかりはそれだけが理由ではない。
幽霊の爺さん婆さんとおさらばしたいのも、もちろん理由のひとつだ。しかし、もっと居たたまれない事情が俺にはある。
「幽霊のジジババ連中に怒鳴り散らしてんのを看護婦に見られてな。違う病院への通院を勧められてんのよ」
「ヤバい人扱いされてるじゃん」
医師や看護婦からの、視線がたまらなく痛いのだ。
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