6-2. 二人の夢見る依頼人
「
自分を成仏させてくれるというから来てやったというのに、まさか置いてけぼりを喰らうとは彼女も思っていなかっただろう。実際のところ悪いのは全部幽子だとは思うのだが、なんだか申し訳なさに苛まれてしまった。
「ここで白黒はっきりつけようじゃんよお、折原さんとやら? おらおら、ビビッてんのかあ?」
幽子、お前はもっと苛まされろ。
「ともかくだ。今折原がいるのは渡りに船。さくっと彼女の手でも尻でも胸でも握っちまえばお終いよ」
「手だけでいいです」
「いやあああああ! 犯されるううううう!」
「深見さん。この助手なんとかしてください、マジで」
一方的に折原を敵視する幽子は、俺の静止なんぞ聞きはしない。放っておいてもどうせ何もできやしないのだから、喧しいのは我慢して無視を決め込むのが得策と言えよう。
「とっとと手ぇ握ってお終いだ、簡単だろ」
「ああもう、やればいいんでしょ……」
そう言い聞かせてやると、折原は頭を掻きむしりながらしぶしぶ了承してくれた。歩くのすら面倒くさいと言いたげに、実にゆっくりとした歩調で夢見とかいう女幽霊の下へと向かっていく。
「キビキビ歩く! それで探偵の助手が務まるとでも?」
「この事務所に味方はいないのか」
幽子氏も大層ご立腹の様子。
「んじゃ、失礼するぞ」
「は、はいっ……」
ばつが悪そうに右手を差し出す折原に、夢見瑠子はぎゅうっと目を瞑って身構える。全身に力が籠っているようで、いかり肩のようになっているのがよくわかる。男に慣れていないのが丸わかりだ。
「きゃっ」
そして、折原の右手は、しっかりと彼女の右手を掴んだ。
さあて、これでハッピーエンドだ。本日の除霊、終了。次回の除霊にご期待下さ――
「……えっと」
「深見さん。話が違うんすけど」
とは、ならないよなあ。
夢見は成仏する素振りすら見せない。
困惑と緊張をミキサーにかけたような表情で目を泳がせたまま、俺たちの目の前にくっきりとその姿を残したままである。幽霊なのに『くっきり』というのは、些かおかしくはあるが。
「ほらあー! 成仏しないじゃあーん! 一番弟子とか何とか言っちゃってさあー! なんもできないじゃあーん!」
除霊を持ち掛けてきた助手が、彼女が成仏できなことに目一杯喜んでいるのが、一番おかしいんだけどさ。
「ま、そうだろうな。『男と手を繋いだこともない』ってのはあくまで一例に過ぎん。結局のところ、『恋愛をしてみたい』ってのがこのお嬢さんの未練なんだろう」
話を聞いている限り、彼女からは『恋に恋する乙女』的なものを感じる。俺の予想に過ぎないが、恋愛に理想を抱いた少女のまま亡くなったのだろう。
だからこそ、フィクションでしか知らない『恋愛』とやらを経験してみたい――それが夢見瑠子の未練に違いない。
「それがわかって俺に手ぇ握らせたんすか?」
「役得だろ?」
「やり損です」
彼女の手を離した折原は、恨めしそうに俺を睨んでくる。
そんな中、互いに文句を言い合う俺たちの後ろの方で、幽子がわなわなと震えているのがちらりと視界に入ってきた。
「そんなことはどうでもいいよ! おら折原ァ! 勝負だ勝負! 逃げんのかァ!」
そんなことて、どうでもいいて。
その台詞、お前が一番言っちゃダメなやつだろ。
「ふ、ふへえ」
夢見女史の顔見てみろ。
すっごい微妙な表情してんぞ。
「勝負も何も、どうするんだよ」
「決まってるでしょ! 深見探偵事務所の助手に必要なスキルといったら、除霊だよ除霊! どっちが早く除霊できるか――」
おいおいウチの事務所の業務を除霊専門にする気か、とツッコミを入れようとした、その時だった。
「……あ、あの、フヒッ。こ、ここ、深見探偵、コヒュッ、深見探偵事務所、であってますか……コポォ」
事務所の入口の方から、やけに小さな、やけにくぐもった、やけに早口な男の声があった。俺と助手二人と、それから夢見瑠子の、合計八つの瞳が一斉に声のあった方へと動く。
「フ、フヒィッ」
その視線に驚いた男は、小さく息を漏らし、一歩たじろぐ。
一歩――とは言ったが、正確にはそうではない。
「あんだゴルァ……私たちは今忙しいんだよ……。除霊なら他に頼めよクソ幽霊がよォ……」
「幽子ちゃん幽子ちゃん。さっき『除霊で勝負だ』って言ったの、君だよ」
だってその客人は、宙に浮いているのだから。
◆
「あ、あの、ここで、コポォ、ジョレ、除霊がしてもら、フヒッ」
「はっきり喋れゴルァ!」
「フヒィ!」
事務所を訪れた珍客に、幽子は苛立ちを隠せない。
勝負を吹っかけていた最中に来るんじゃねえ、といったところだろうか。
「あの……私の除霊……」
事務所に連れて来られた客は、困惑を隠せない。
本当に、君には同情する。
「で、お前さんは何者よ? 何しにきたんだよ?」
夢見の嬢ちゃんには申し訳ないが、ここは早急に彼の素性を聞くこととする。幽子は苛立っているし、折原は死んだ顔だし、何やら面倒なことになりそうだからな。
「きっ、
「おいクソ助手」
「ふむ。私たちの話を聞いていたと。続けて?」
真面目ぶってすっとぼけんなや。
「ぼ、ぼく、フヒッ、人と話すの、苦手で。これまで、こ、こい、こいび、恋人とかできたこと、なくて。女の子と、て、フヒッ、手も繋いだこと、ないんです。ち、チェリーボーイのまま、し、死んじゃったなんて、もう悔しくて悔しくてコポォ」
肝緒とやらは、たどたどしくも自らの未練を赤裸々に語っていく。いやもう最後のは言わなくていいんだけど。聞きたくないよ。
だが、これは――
「どこかで聞いたことあるような未練だな」
俺がそう言うと、肝緒以外の視線が再び夢見瑠子の元へと帰ってきた。どこかで聞いたような未練も何も、つい先ほど彼女が語った未練とまるで同じではないか。
ちょうど今日、対幽霊のエキスパートがいるのは不幸中の幸いか。同じような未練であれば、対処もひとまとめにしてしまえるだろう。
「おい折原」
「え。俺が手を繋いでもしょうがないで――」
「抱いてやれ」
「待てクソ探偵」
ひとまとめに、してしまいたい。
そして、俺は関与したくない、マジで。
「彼は童貞を守り通してしまったことが未練のようだ。そしてここには、幸運にも幽霊と触れ合うことができる男がいる。あとはわかる、な?」
「『な?』じゃねえよ」
「もうこれは彼を目覚めさせてやって、成仏させてやるしかあるまい、ね?」
「あんたが目覚めろ正気に」
普段見せないような怒りの形相をしてみせる折原。
しかしその一方で、幽霊の助手はというと――
「ちょうどいいじゃん!」
満面の笑みを浮かべていた。
「待って幽子ちゃん。君まで深見さんみたいなこと言うつもりかよ」
「しょちょーほど私は下衆くも馬鹿でもないよ」
悪うござんしたね、下衆で馬鹿で。
けっ、と俺が不貞腐れる中、幽子は再び得意げな表情を浮かべ、ない胸を思いきり張ってみせた。
「折原さんは、瑠子ちゃんに恋愛を経験させてあげて、成仏させる! 私は、キモオタくんに恋愛を経験させてあげて、成仏させる! それで、早く成仏させてあげられた方の勝ち! どうよ!」
なんて馬鹿げてる――とは言い難い。
なんだかんだと最善案であるような気もするし、幽子の言う『勝負』とやつも成立する。
そして何より、俺が蚊帳の外だ。
加えて、第三者からすればこの勝負、面白おかしくてたまらない。
「ぼ、ぼく、できればもっと大人でナイスバディな人の方が……」
「美少女・幽子ちゃんでも不服か? あァ?」
「フヒィ!」
こうして、助手と助手の血で血を洗う恋愛力対決が――今ここに始まろうとしていた。
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