5-5. 安楽椅子探偵は動じない

 恐らく、清久正が遠くに行ってしまった理由というのも、やはり戦争関連なのだろう。清久正は戦うためにここを離れ、葉金伊代は逃れるためにここを離れた。


 そのあとすぐに彼女が亡くなって、名家も途絶えてしまっている理由だが、もうこれ以上は語るまい。


「病院の幽霊に聞いたが、この爺さんは随分長いことこの街を離れていたらしい。戻ってきた頃にはすっかり年老いて、すっかりボケちまって、余命いくばくといった感じだったらしい」


 戦争が終わってなお、清久正がこの街に戻ることはなかった。

 それはつまり、葉金伊代がどうなったのか、葉金家がどうなったのか――そういった一切合切を知らないまま、彼は歳を重ねてきたということだ。


「そんなのって……」


 怒っていいのか悲しんでよいのかわからない、幽子はそんな顔をしながら俯いている。


「じゃあ正さんは伊代さんのことも、愛を誓ったことも、全部忘れて――」

「そんなことないんじゃねえかな」

「……え?」


 俺は悲しむ助手を慰めるべく、この爺さんをフォローすべく、葉金伊代が綺麗な心持ちで成仏すべく――安楽椅子探偵として、自らの推理を述べるとしよう。


「幽子。この爺さん、俺の病室で他の幽霊にどんなことを言われてたか、覚えてるか?」

「いやあ、お爺ちゃんもお婆ちゃんも沢山いたからなあ……」


 それは俺も思う。

 この爺さんについてイマイチ思い出せない幽子に、彼が他の幽霊から言われていた台詞を、そのまま伝えてやる。 



「――聞いてよ探偵さん。この爺さんはな、この歳までチェリィボォイを貫いたんだってよ。生涯一度も、貫けなかったくせにな! ぎゃっははははは!」



 下衆くて下品としか思っていなかった、その台詞を。


「そ、それって……」

「爺さんはずっと伊代さんを思っていたんだろう。だから、誰かと結ばれることもせず、その長い生涯を清い体のまま終えた」


 事の真実がわかっていなければ、『年寄りの下世話な会話』と片付けていただろう。だが、彼が葉金伊代の想い人だと判明した今、話は別だ。


 この爺さんは、古郷を離れてもなお、年老いてもなお、ボケてもなお――彼女を想っていた。片や、純潔を貫いた男。片や、成仏せずに男を待ち続けた女。気が遠くなるほどの長い年月、この二人は互いを想い続けていたのだ。


「伊代……伊代……」


 話を聞いているのか聞いていないのかわからない様子の清久正であったが、俺たちが何度も発した『葉金伊代』という人物の名前を聞いて、頭を抱えている。


 記憶が朧気になっても、ボケてしまっても、彼の心の奥底にはまだ彼女が住み着いているのかもしれない。


「なあ爺さん。あんたに会わせたい人がいるんだ」


 ならばきっと、二人は終わらせられるはずだ。

 約百年にも渡る、この恋を。



「着いてこい。この長い戦いを、終わらせようぜ」



 安楽椅子探偵がその重い腰を上げ、椅子から立ち上がる時が来たようだ。



 ◆



「二人とも……成仏できてよかったね」


 二人が天に昇って行くのを見届けた俺と幽子は、多くを語らずその場を後にして帰路に就く。何とも言えぬ沈黙を破ったのは、幽子の方だった。


「それにしても、本当に現場に行かないで解決しちゃうなんて」

「ま、安楽椅子探偵なんざ、名探偵の手にかかれば余裕よ」

「本物の安楽椅子が買えるくらいまで仕事がくればいいね」


 そんなもん、大家のババアに即座差し押さえられるわ。


「でもこれで一件落着! 安楽椅子探偵が間近で見られて、もう私は感動したよ!」

「何言ってんだ馬鹿。本題の事件がまだ解決してねえ」

「本題……?」


 幽子は全て終わった気でいるが、そんなことはない。自らが調査をしたくせにすっかり忘れていやがる。俺は言ったはずだ、葉金伊代の未練なんぞどうでもよくて――



「俺にとんでもねえ弁当を食わせた犯人、そいつに一杯喰らわせてやらねえとな」



 俺にとっては、こっちが本題だ。


「もういいじゃん……。ていうか、しょちょーの自業自得だし」

「いや、それがそうでもないんだな」


 冷たく突き刺さる幽子の視線なんぞ気にせずに、俺は携帯を鞄から取り出す。電話帳からお目当ての相手を見つけて電話をかけると、数コールの内に耳にあてた携帯から聞き慣れた声が聞こえてきた。



『なんだ深見。私は忙しいんだが』



 俺を地獄へと突き落とした、死神の声が。


「そう言うなよ大天使がぶりえる

『やめろォ!』


 俺に弁当を差し入れた張本人、霊納院れいのういん天斎てんさいこと、山田大天使がぶりえるちゃん。彼女は、いつもと同じ俺の煽りに、いつものように返してくれた。


天斎てんさいさん? あの人に罪はないでしょ……」

「おい大天使。お前の持ってきた弁当のせいで、こちとらひどい目にあったんだ。どうしてくれんだゴルァ」

『えっ……』


 俺を咎める助手の声を無視して語気鋭く言い放つと、天斎は小さく声を漏らした。申し訳なさのようなものが思わず零れた、そんな感じに聞こえる。


『だ、だから言ったじゃない。痛んだロケ弁なんか食べたら、って……』

「そうだよ。自業自得です、しょちょー」


 とぼけてみせる天斎に、俺を叱る助手。

 俺に味方はいないのか。


「ま、それもそうだな」

『そ、そうだろう。まったくお前は――』

「ああ、そうだ。忘れない内に言っておくわ」


 いいだろう。

 貴様がとぼける気なら、俺もとぼけて返してやろうじゃないの。



「お前。もっと料理の腕上げねえと、嫁の貰い手ねえぞ」



 この中二病インチキ詐欺師かつ――とんでも料理下手女に。


『……え!? ちょ!? なんでわかった――』


 彼女の返事を待たず、俺は電話を切る。

 あの野郎、入院費は割増しで請求してやるからな。


 電話を切ったところで、幽子があんぐりと口を開けながらこちらを見ていた。葉金伊代の一件よりも困惑しているように見えるのは気のせいだろうか。


「……どういうこと?」

「そういうことだよ。俺が入院するハメになったあのロケ弁、中身は全部天斎の手作りだ」

「どういうこと!?」


 その言葉以外忘れたのかこいつは。


「台所に、手つかずの弁当がある。見てみろ」


 何もかもわかっていない様子の幽子に、そう促してやる。

 彼女が弁当を何度も何度も確認しているのを見ながら、俺は奴の調査結果を思い出していた。 


『量が多いだけで、普通のお弁当だよ。梅干しの乗った日の丸弁当プラスおかず、みたいな』


 その結果と、今ある弁当を見比べて、幽子は『ああっ!』と声を漏らす。


「弁当が腐りやすい夏場は、対策として梅干しをご飯に乗せる弁当屋が多いんだ。お前の報告通り、この弁当屋もそうだったみたいだな。だけど、俺が食べた弁当に梅干しなんぞ乗ってなかった」


 やられた、と言わんばかりの幽子を置き去りにして、俺は続ける。

 幽子が語った調査結果には、こんなものがあったはずだ。


『ニッカポッカ亭っていうお弁当屋さん。その名前の通り、鳶職人さんとか向けに作るドカ盛り弁当が有名』


 それを聞いた幽子は、手つかずで未開封となっている弁当をもう一度眺めた。


「ドカ盛りどころか、むしろ量は少なめだ。もうこれは、ニッカポッカ亭の弁当とは考えれられない。誰かが作った料理を、弁当屋の容器に移し替えたんだ」


 そんな芸当ができるのは、一人しかいない。

 俺に弁当を持ってきた人間、そいつしか。

 つまり、俺を病院送りにしやがった犯人は、天斎のメシマズ弁当だった訳だ。


 メシマズってレベルじゃねえぞ。

 俺は確かに見たからな、三途の川を。


「そっか天斎さん……。『腹が減った』って言うしょちょーに手作りの料理を食べて欲しくて……。けど直接渡すのは恥ずかしいからこんなことを……」


 弁当と俺とを交互に眺めながら、幽子が何やらぶつぶつと言っている。色々と推理する癖がついたのは、名探偵の助手として上出来じゃないか。


「しかしわからんな」


 だが一つだけ残る疑問が、俺を悩ませる。

 やはり、安楽椅子探偵なんて俺には向いていない。少ない情報量では、推理にも限界があるというものよ。やはり調査は、自分の足でしてナンボだね。



「自分で作ったんなら、そう言えばいいのによ。どうしてわざわざ弁当を差し替えるような真似をしたんかね」



 俺がそうボヤいた瞬間、幽子が勢いよくこちらへ振り返った。

 その表情には、今までかつてない落胆の色が窺える。



「……女心がわかんないしょちょーには、二人みたいな大恋愛はできそうにないね」



 幽子の発言の意図も、俺にはわからない。

 お前に安楽椅子探偵は向いてないよ――そう言いたげに、腰かけた椅子が鈍く鳴った。

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