6話 助手vs助手!

6-1. 深見の一番弟子

 やかましかった蝉の声もすっかりと止み、肌寒いなと感じる朝が増えてきた。どうやら秋が段々と近づいているらしく、事務所の窓から見える木々にも青々しさが失われつつあるように見える。


 秋というのは、暑すぎずもなく寒すぎずもなく、何をするにも丁度よい季節だ。

 そういうこともあって、スポーツの秋だとか、芸術の秋だとか、食欲の秋だとか、様々な呼ばれ方をしている。


「私……生まれてから死ぬまでずっと、恋愛とか経験したことなくて……。男の人と手くらい繋いでみたかったな、って思ってるんです……」

「今日は、恋に夢みる乙女幽霊だよ。さあしょちょー、腕の見せ所だね!」


 馬鹿助手が懲りずに連れてきた成仏志望の幽霊を見ながら、俺は秋について思いを馳せる。


 そうそう。

 なんとかの秋、と言えば、もうひとつあったな。


「性欲の秋」

「おいこらセクハラ探偵」


 男も女も、少年も少女も、皆が性に奔放になる季節――それが秋だ。


「初めて聞いたよそんなん」

「それはお前が生娘だからだ」

「違うよそれはしょちょーが汚れてるからだよ」


 だがしかし、こいつは困った。

 『男と手も握ったことない』ことが未練の女子幽霊、彼女を成仏させるには、そりゃ男と手でも握らせてやる必要があるだろう。


 幽霊に触れる。

 そんなこと、できるはずが――



「深見さん、来ましたよ」



 いや、できる奴が、一人いる。

 そんな幽霊の願いを叶えてやった経験のある男が、多分世界に一人しかいないであろう男が。


「なんすか、また急に呼び出して。俺も暇じゃないんすよ」


 俺と幽子がいつものように言い合って、それを依頼者の幽霊少女がおろおろと眺めている中、事務所の扉の開く音と男の声があった。


 黒い短髪、中肉中背、覇気の無い一重――これといって特徴のない若い男だ。


「開口一番失礼っすねほんと」

「心を読むな」

「しょちょー、この人は?」


 事務所にやってきた――正確には俺が呼んだのだが――男を見て、幽子がふわりとこちらへ近づいてきた。男は幽子のいる方をちらりと見たが、すぐさま俺へと視線を向けてくる。


 なんとも言えぬ、侮蔑にも似た、冷たい視線を。


「……深見さん。とうとう幼女の幽霊にまで手を……」

「お前と言い天斎といい、人聞き悪いこと言うな」

「誰がロリじゃ――って、え……?」


 毎度毎度幼女呼ばわりされた幽子は、これもまたお決まりのようにぷんすかと怒りを露わにする。がしかし、そこで違和感に気づき、眉間に寄せた皺を解いてみせた。



「な、なんでこの人、私のこと見えるの……?」



 どうして自分を幼女呼ばわりできたのか、どうして自分の姿が見えているのか――その違和感を口にした。


「見えるだけじゃねえぞ。おい、折原おりはら

「……はいはい」


 俺と同じく幽霊の見える男――折原。

 こいつと俺は同じように見えて、実のところまるで違う。


 幽霊とは基本、不可視の存在だ。

 俺にはどういう訳か、それが見える。


 そして、幽霊とはもちろん、触れることのできない存在だ。だが、幽子にゆっくりと手を伸ばすこの男、折原は――

 

「え、ちょ、えええええ!?」


 その存在を見ることができるだけでなく、触れることができる。


「ちょ、何これ!? え!?」


 宙へ差し伸べられた折原の手は、幽子の体をすり抜けることなく、彼女の手を掴んだ。思いもよらぬ出来事に、幽子は右を見たり左を見たり、と思えば自らの手を見たりと、その様子は忙しない。

 

「死んでから味わったことのない感触に戸惑ってるみたいだな」

「……深見さん、もう離していいっすか?」

「ほ、ほんとだよ! セクハラだよ! あいやでもこの懐かしい感触をもうちょっと……って駄目だよスケベ!」

「理不尽」


 ひくひくとこめかみを震わせながら、折原は幽子の手を離した。折原の手が元の位置に戻ってもなお、幽子は今起きた事が信じられない様子で、何度も自らの手を開いたり閉じたりしている。


「前に言ったことあるだろ? 俺の知り合いに、『幽霊に触れる奴がいる』って」


 霊感の強い俺の知り合い、その二。

 恐らく世界に一人しかいないであろう、幽霊と触れ合うことのできる男――折原。


 ぼんやりと幽霊の気配を感じるだけの天斎てんさいなんかとは、格が違う。幽霊と会話ができる俺もかなりレアだが、折原は特別中の特別だ。


 ぶっちゃけ、除霊に関しては俺より向いてるんじゃないだろうか。


「そ、それがこの人……?」

「ちょっと深見さん。余計なこと言ってないっすよね?」


 余計なことなんて言うもんかよ。

 名探偵を見くびるな、余計なことなんて――



「それがこいつ、折原おりはら。幽霊に触れるっていう体質を存分に生かして、幽霊のJKに手ェ出したド変態野郎だ」



 これから言うよ。


「おいコラ待ておっさん」

「しょちょーの知り合いって……ホント……」

「えっと、幽子ちゃん、だっけ。その目やめてホント」

「お前の幽霊彼女も確かぺったんこだったよな。幽子も気を付けろよ」

「いやああああ! 犯されるううううう!」

「色々待てあんたら」


 こいつはその類い稀なる能力を余すことなく生かし、幽霊の女の子と付き合ってる超ド級の変態だ。人間の女の子に相手されないなら幽霊の女の子――まさにこいつにしかできない芸当と言えよう。


 ちょっと羨ましいのは内緒。


「そういやお前が幽子と会うのは初めてか。紹介しとくわ、こいつは勝手に名探偵の助手を名乗ってるイタい幽霊の女の子。名前は幽子」

「そらイタいっすね」

「だろ?」

「自分で名探偵って名乗るの」


 俺かよ。


「おふざけはこのくらいにして、だ。折原は隣の県にある大学に通ってる学生でな。こいつ、便利な体質してるだろ? だからこうして、たまに色々と手伝ってもらってんだよ」


 こと除霊に関しては、折原の力は絶大と言える。

 幽霊に触れさえすれば――そんな状況も、こいつさえいれば解決してしまうのだ。


 天斎から除霊の依頼があった際、何度もこいつを召喚したのが懐かしい。


「ま、言うなれば俺の『一番弟子』ってわけだ。名探偵の右腕、助手として、探偵のイロハを叩きこんでやってんのよ。大学卒業後はここで一人前の探偵になってもらわんとな」

「俺、ワープアはちょっと」

「泣くぞ?」


 俺と折原がやいのやいのと言っている横で、幽子は顔を伏せ肩を震わせていた。久しぶりの感触に打ち震えているのか、それとも探偵の助手仲間が増えたのが嬉しいのか。


 顔を上げた彼女の表情を見れば、その答えは一目瞭然と言えよう。



「なんだァ? てめェ……」



 幽子、キレた。


「ちょっと! 一番弟子ってどういうこと!?」

「一番弟子――1、弟子の中で最も早くその師匠についた者。2、弟子のなかで最もすぐれた者」

「意味を聞いてるんじゃないよ」


 そう言うとすぐに幽子は、獲物を狙う獣のような鋭い眼光を折原に向ける。

 

「やいやいやい! 折原さんとやら! しょちょーの右腕である幽子ちゃんを差し置いて一番弟子たあ、聞き捨てならないね!」

「掃き捨てていいよそんな称号」


 それこそ聞き捨てならんぞ。


「しょちょーの助手は、この私! 助手も弟子も、二人といらないんだよ!」

「そうっすか。じゃあ俺帰ります。あ、電車賃はくださいね」

「……あんたには立派な足がついてるじゃないか」

「労働基準法って知ってるか深見さん」

「ああそれウチやってないんだわ」

「――聞けえええええええ!」


 再び二人で会話を始めた俺たちに割って入った幽子が、奇声にも似た大声を張り上げる。ぐるぐると辺りを回ってみては、ばたばたと暴れ回っていたが、やがてそれも止んだ。



「と、に、か、く! 弟子も助手も私一人で十分! どっちがしょちょーの右腕にふさわしいか……勝負だ! 折原さん!」



 俺たちの頭上まで浮かんだ幽子は、左手を腰にあて、右手の人差し指で折原を指す。その瞳には、意地やら嫉妬やら、とにかく汚いものが燃える炎が灯っているように見えた。


 対決を申し出た方の助手はひどく興奮しており、対決を言い渡された方の助手はひどく疲弊した表情を浮かべている。



「深見さん。随分と面倒臭そうな助手、見つけてきたっすね」


 興奮する幽子と、冷めた折原。

 異なった性質を持つ二人の助手の邂逅は、とんでもない化学変化を生み出そうとしていた。 



「あの……えっと……私の除霊……」



 それとごめん。

 君のことは完全に忘れてた。

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