1-2. 彷徨う幽霊の少女

 早朝の事務所を訪れたのは大家のババァではなく、少女だった。背丈は俺の肩よりも低く、その顔にはあどけなさが残る。年頃は中学生か、発達のいい小学生高学年、といったところか。


「おじさん幽霊見えるんでしょ? 幽霊と会話できるんでしょ? 除霊の仕事もしてるんでしょ? お願い助けて!」


 そして、白装束に身を包み浮遊する――幽霊でもある。


「ねえお願いおじさん……、おじさんしか頼れる人がいないの……」


 久しぶりの依頼人は、潤んだ瞳で俺を見上げてくる。

 この幽霊少女がどこで俺の噂を聞いてきたかは知らない。だが、依頼人は依頼人だ。ここは探偵として、大人として、社会人として、きっちりと―― 


「お断りです」


 断らねば。


「なんで!?」

「金だよ、金。幽霊からの依頼なんざこなしたって、一銭も入ってこねえだろ。成仏なら勝手にやってくれ」

「勝手にできないから困ってるんでしょ!」

「はいはい。なんみょおほうれんげえ、ぎゃあてえぎゃあてえ」

「そんなんで成仏してたまるか」


 幽霊の少女はぎゃあぎゃあと騒ぎながら辺りを飛び回り、俺の体を何度もすり抜けていく。


 金がないというのに、一銭の得にもならない仕事を誰がやるというのか。幽霊が見えて、幽霊と会話できる――そんな特異体質のせいで、割に合わない除霊関係の仕事がただでさえ多いというのに。


 俺はもっとこう、名探偵の名に恥じない、スリリングかつエキサイティングな、知能戦のような仕事がしたいのだ。


「じゃあ情報! 報酬の代わりに、情報を提供するよ!」


 すると、そんな俺の心を見透かしたかのように、少々探偵心をくすぐられる単語が少女から飛び出してきた。報酬は情報、なんて甘美な響きだろう。


 ただ、俺は名探偵・深見昇一。

 惑わされてはいけない。


「情報だあ?」


 年端もいかぬ少女、それに幽霊からの情報に、価値があるとは思えない。探偵は、謎を喰らう生き物だ。俺を動かすには、食べ甲斐のある情報でなければ――



「さっき、すごい形相したおばあさんが、ここのエレベータに乗って行ったよ」



 俺の体は突き動かされた。

 年端もいかぬ少女、それも幽霊からの情報に。

 それはもう、脱兎のごとく。


「早く言えバーロー!」

「おお! 今の台詞、すごく探偵っぽい!」

「逃げ道はいつもひとつ!」


 ネクスト・フカミズ・ヒント――非常階段。



 ◆



「ハァ……! ハァ……!」


 ビルの五階にある事務所から、非常階段を全速力で下ると、地上に着く頃にはすっかりと息が上がってしまっていた。


「おじさん大丈夫?」

「ハァ……、舐めるな……、ハァ……。これでも、ハァ、高校時代は、コヒュー、陸上部でゴブフォッ!」

「満身創痍じゃん」


 息が上がるどころか、息絶えそうになっている。


「でも、いい情報だったでしょ? おじさんは私からの報酬を受け取ったわけだし、これで正式に契約成立だね! さて、除霊してもらおうか! なんまいだー、なんまいだー」


 とにかく事務所を離れねばと、俺は足をひきずりながら歩き始める。すると頭上から、えらく上機嫌な少女の声がした。汗が滴る額を拭って顔を上げると、宙に浮きながら目を瞑って手を合わせ、お経もどきを唱える幽霊の姿があった。


 今ほど、幽霊の姿を羨んだことはない。


「除霊と言っても、お前が今想像してるような除霊じゃねえぞ。なんか旗みたいのをうわーって振って、呪文みたいのをうわーって唱えるような」

「語彙力」


 ようやく息が整い、意識が彼方から返ってきたところで、俺はゆっくりと話し始めた。俺の、便宜上『除霊』と呼んでいる仕事について。


「幽霊を成仏させるのは簡単だ。そいつの未練を解消してやりゃあいい。俺は幸か不幸か、幽霊と会話ができるからな。幽霊から未練を聞き出して、それを解消して成仏させてやる。それが俺の『除霊』だ」


 俺は悪霊を退ける呪文を知っているわけでも、退魔の剣を持っているわけでも、『ただのおっさんがチートステータスを得た件』的な力を持っているわけではない。


 ただ、幽霊が見えて、幽霊と会話ができるだけだ。


 だから、幽霊と話して未練を知り、それを解消してやって成仏させる。それが俺なりの『除霊』。言うなれば、幽霊の相談窓口みたいなことをしているだけだ。


「……でも私、記憶が」

「だから厄介だ。俺にはできねえ、無理だ、不可能、インポッシブル。それじゃあな」

「ちょっとお!」


 声を荒げて周りを飛び交う少女を無視して、俺は歩を進める。無理なものは無理なのだ、駄々をこねようが無い袖は振れない。

 

 俺の除霊は、幽霊の未練を聞くことから始まる。

 だから、自身の未練がわからない、ましてや自分の名前もわからない、記憶喪失の幽霊の除霊なんて俺にはできない。


 だから、無理。この仕事は――


「ま、仕方ねえな」

「え……?」


 面白いではないか。


 袋小路のような状況から、少女の未練を推測し、成仏まで導く。中々に謎で満ちていて、探偵冥利に尽きる。袖が無いのならば、袖を作るまで、それが名探偵というものだ。


「除霊してくれるの!?」

「依頼料も、なし崩し的ではあるけど受け取っちまったしな。協力してやるよ」

「さすがおじさん! 男前! 名探偵! えーと、えーと……さすが!」

「語彙力」


 少女は、嬉しそうにふわふわと体を揺らす。その姿を見ていると、うざったいと感じつつも思わず笑みが零れてしまう。


 一度引き受けたからには、最後までやり通す。それが名探偵の流儀ってやつだ。そのことを肝に銘じつつ、俺は背中で少女の名前を呼ぶ。



「まずは調査からだ。着いてこい――幽子ゆうこ



 名も記憶もない、幽霊の少女の名を。


「幽子?」

「お前、自分の名前もわかんねえんだろ? 名前がなきゃ不便じゃねえか。幽霊の子、だから『幽子』だ。いいだろ」

「センスないね」


 ほっとけよ。


「わー! でも調査なんて、探偵っぽい! わくわくしてきた!」

「探偵なんてわくわくするもんじゃねえぞ」

「なあに言ってんの! 謎、調査、推理、時計型の麻酔銃……わくわくの見本市だよ!」

「最後のはちょっと違うけどな」


 冷たく言い放ったのも束の間、幽子は満面の笑みを浮かべ、俺の前にふわりと躍り出てきた。俺の名付けた仮の名が気に入ったのか、そうでないのかは、わからない。それでも、この状況を楽しんでいるのは、確かでありそうだった。


「ごちゃごちゃ言ってないで行くよ! ワトスン君!」

「え? 俺が助手なの?」


 俺が楽しめるかは、別として。

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