2-5. 歪んだ愛情

 だが、ひとつだけわからないことがある。


「どうして、俺たちに調査を頼んだ? 自分で軽代を尾けて、彼女の今を知ったんだろ?」


 おっさんが俺たちに依頼した内容は、すでに彼が実行済みだ。わざわざ俺たちに軽代を調査させた理由が、結局わからず終いである。


「……探偵さんは、妻を一日尾行して、どう思いましたか?」

「くそビッチだなあって」

「し、しょちょー!」

「幽子さん、いいんです。その通りですから」


 身も蓋もないことを言ってのけた俺を静止する幽子を、おっさんは静止した。 


「私はこれまで、軽代のプライベートをほとんど知らずに生きてきました。彼女の言うことにはすべて頷いて、彼女のやりたいようにやってもらって、彼女がしてもらいたいことは大体してきました」


 そして、すべてを白状するように語り始めたのだった。


「それでも私は幸せでした。彼女を本当に愛していましたから。けど、三年前にぽっくりと逝ってしまって。そこで初めて、彼女がどうしているかを知りたくなったんです。私がいなくなって、悲しんでいるのか、そうでないのか……」


 その言葉と態度に、嘘偽りはなさそうだった。

 このおっさんは本当に、あの尻軽女を心から愛していたのだろう。尻に敷かれていたが、それすら愛おしかったのだ。


「彼女は、金持ちの男をとっかえひっかえと……。私が亡くなって金に困っているのか、それとも元々そうであったのか、それを調べようともしたんですが――」


 そこまで言うとおっさんはガクリと項垂れ、呼吸の仕方も忘れてしまったかのようにぜえぜえと息を切らし始めた。


「私は怖かった! 私が亡くなったことで彼女が苦労していると理解してしまうのも、彼女が私を愛していなかったと理解してしまうのも! どっちに転んでも、私は苦しい……」


 おっさんは胸を押さえ、俯き、声を震わせる。彼が地面に落とした涙は、アスファルトを湿らせることはなかった。


「だから第三者の俺たちに、軽代の調査を託したってわけだ。奥さんの真相を自分で知るのが怖かったから」


 おっさんは軽代の尻軽さを目の当たりにし、それ以上踏み込むのが怖くなった。妻の真意が気になる、けどそれ以上は恐ろしくて踏み込めない――それが未練となり、彼はこの世に囚われた。


 そんな時に、この幽子あんぽんたんに出会った、というわけだ。 


「その通りです。お二人にはご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です、私は未練を抱えたまま、真実を知らぬまま死に続けます」


 懺悔はし切ったと言わんばかりに、おっさんは俯いた状態から更に頭を下げて、こちらに背を向けた。そのまま宙に浮いて去ろうとするおっさんを――



「待てよ」



 俺は呼び止めた。


「探偵は一度受けた依頼は必ずやり遂げるんだ。その依頼が成功しようと失敗しようと、な。だから調査結果を聞いてもらうぜ」


 俺の言葉を聞き、二人の幽霊は一斉にこちらへ向き直り、驚いた表情を浮かべる。おっさんはともかく、幽子までそんな顔をしなくてもいいじゃないか。


 まあいい。俺は仕事を最後までこなすまでだ。



「調査結果だが――奥さんは今でも、あんたを愛しているぜ」



 四里軽代が今でも四里敷を愛しているという調査結果を、伝えるまでだ。 


「そ、そんな馬鹿な……」

「これを見ろ」


 俺は携帯を開き、信じられないといった様子でこちらを見るおっさんに画面を突きつけてやった。


「これは、私の書斎……?」

「昨日あんたの家に行って、パシャリと一枚撮ってきた」


 先日撮影した、一枚の写真を見せてやる。


「今でもこの書斎は、このままらしいぜ。あんたと映った写真も、あんたがくれたプレゼントも。机の上に指輪とかもあったな。言っちゃあ悪いが、そんなに高価じゃないもんだ。あの金持ち連中が贈る代物じゃないな。あんたの贈り物じゃないか?」


 最初この書斎を見た時は、何も疑問を抱くことはなかった。夫を亡くした妻が、夫の私物を捨てられない、よくある話ではないか。


 だが今日になって、色々な男をとっかえひっかえとする軽代を見て、それがひどい違和感となった。金持ちの男が沢山いる状況で、死んだ夫のことなぞ忘れていそうな風にして、なぜこの書斎が存在しているのかと。


「金持ち連中からも、きっと彼女は色々と貰っていることだろう。だがそれは家になかった。あるのは、冴えない中年のあんたと映った写真と、あんたが贈った安いプレゼントだけ。それらが置かれたあんたの書斎が、今でもそのままだ。これでもあんたは――愛されていなかったって言うのか?」


 それは、簡単な話だ。

 彼女は今でも、このおっさんを愛しているからに違いない。


「で、でも今は……」

「多分なあ、あれは単純に彼女の趣味じゃねえかな」

「趣味ィ!?」


 ずっとしょぼくれた雰囲気だったおっさんが、そこで初めて素っ頓狂な声をあげてみせた。


「それを確かめるべくな、軽代が入ったホテルへうちの助手を送り込んだ」

「ちょ……、あなた、何してるんですか……」


 その感想は、そうだな、ごもっともです。


「幽子。あの尻軽女と金持ちどもが何をしていたか、教えてやれ」

「な、何をしてたかって……」


 幽子はもじもじと体をくねらせて、両手の指をつんつんと合わせ始める。なんだこいつ、初心なのが可愛いとでも思ってんのか。


「ん? 答えづらいか? じゃあイエスかノーでいい。あいつら、ヤってたか?」

「ヤ、ヤヤヤヤってたって何さ……」

「何って、セ――」

「言うなァ! してないよ! ただ男を縛り付けて鞭で打って――」


 そこまでお膳立てしてやって、幽子はようやくホテルの中での様子を語る。そして語るうちに、ハッと何かに気づいたような顔をしてみせた。


「そういうことだ。あいつらに肉体関係はない。ただ男どもがブヒブヒ言ってるのを、彼女はぶっ叩いてただけ。まあこれを不貞行為と見なすかは、あんた次第だが」


 調査結果は、以上。


 四里軽代は今でも四里敷を愛しているし、女王様プレイは趣味の一環で男たちとは肉体関係はない。


 いやまあ、その趣味はどうかと思うけどね。



「は、ははは……」


 俺がすべてを言い終えると、おっさんは自嘲気味に笑いだす。


「そうか……私は……軽代に……」


 その体の向こうに星の瞬きすら見えるほど、彼の全身は透き通ってきていた。


「ありがとう、探偵さん……。ありがとう、幽子さん……」


 礼を述べるおっさんの顔に、憂いはない。

 すっきりしたというか、つきものが落ちたというか、とにかくそんな表情である。



「あ、最後に。幽子さん、あなたまだ若いんだから、あんなところに出入りしちゃあ駄目だよ」



 実にごもっともなことを言って、おっさんは夜の闇の中へと溶けていった。

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