6-6. 初恋の季節

 恋に夢見る二人が天に昇っていった後、俺たちは事務所へと戻ってきた。


「やあーい! 負け犬ゥー! 悔しい? 私に負けて悔しい? ねえ今どんな気持ち? どんな気持ち?」

「これっぽちも悔しくないけどすっごい腹立つ」


 そして着いた途端、これだ。


 幽子としては、嬉し楽しくて仕方がないのだろう。

 助手の座は守れた、一方で折原の方は俺に手柄を取られ、結局何もできず仕舞い。


 肝緒汰乙が幽子に惚れた――それが今回の一件の始まりだった。そしてそれを俺が推理し、彼女の言葉で肝緒は成仏した。夢見瑠子の方はというと俺に惚れたらしく、その俺の言葉で成仏した。


 蓋を開けてみれば、折原は何もしていないのだ。

 助手対決では幽子に負け、男としての対決も俺に負けた。


「やあーい! 非モテ野郎! 悔しい? おっさんに負けて悔しい? ねえ今どんな気持ち? どんな気持ち?」

「息ピッタリかあんたら」


 そりゃ、俺だって面白くて仕方ない。


「まあ、俺としてはお前らのどっちが勝とうがどうでも――」

「相変わらず自分のことになると嘘が下手くそですね、深見さん」


 どうでもよかったんだが、という俺の言葉を、折原が遮った。


 どういうことだ、と目を丸くする俺をよそに、折原は嘲笑やら呆れを含んだ表情を浮かべる。まるで他の誰か――幽子に聞かれたくないように、一歩俺に近づいてきて、小声で続きを語り出した。


「この一週間、なんだかんだとずっと幽子ちゃんたちの傍にいたじゃないですか。深見さんのことなら、『俺は自由だ!』とか言って羽を伸ばしそうなのに」

「それは大家が――」

「それに、結局最後は幽子ちゃんに助け舟を出した。『勝敗とかどうでもいい』と言いながら、この勝負に決着をつけたのは結局あんたの一言だ」


 少々こいつには、探偵のイロハを教えすぎたかもしれない。


 相手の言葉を遮って畳みかけていくその所作は、まさにいつも俺がやっているもの――そのものじゃないか。



「どこぞの馬の骨ともわからん男が幽子ちゃんと二人でいるのが、心配で仕方なかったんでしょ。こんな勝負、最初からやる必要なかったんですよ。だって深見さんの中ではもう――どっちが『助手』で『右腕』かなんて、決まってたんでしょ?」



 俺の心の内を見透かしてやったとでも言いたげに、折原はふぅと溜息を一つついて、話を終わらせた。


 今まで俺の推理を聞いてきた奴らは、こんな気分だったのか。自分の言いたいことを言わせてもらえず、ただひたすら追い詰められる。息苦しい、喉の奥に何かが詰まったような感覚。


「……さあね」


 めっちゃ腹立つな、これ。

 今度からは少し自重するとしよう。


「素直じゃないっすね」

「ん? なになに、どしたの二人して」

「何でもないよ。んじゃあ深見さん、俺そろそろ帰ります」


 俺たちがひそひとと話しているのを見つけ、こちらへふわりと寄ってくる幽子。それをチラリとだけ見て、折原は踵を返す。負け犬はさっさと退散するといったところか、いやあ愉快愉快。

 

「嫉妬深い彼女さんに早いとこ頭下げないとね」

「ぶわあーっはっはっは!」


 俺と幽子は、そんな折原を煽るのを忘れない。 



「……いいコンビっすよ、本当にあんたら」



 そんな煽りを受けてなお、折原は小さく笑った。

 嬉しそうな、呆れてそうな、とにかく色々な感情の混ざった声と表情だ。


「んじゃ、また来ますね」

「じゃあな負け犬」

「またね、二番手の助手」

「いいコンビだな本当に」


 そんな捨て台詞と、入口の扉が激しく閉じられる音だけが、事務所の中に残された。


「それにしても、幽霊に触れるなんてヤバいね折原さん。チートだよ、チート」

「そうだな。反則だなあいつは、チートだけに」

「おやじギャグ言い出したらいよいよ歳だね」


 あんなに騒がしかった事務所には、もう俺と幽子しかいない。


 少し前まで俺だけの、たまに天斎や折原が来るくらいの事務所だったのだが、今じゃすっかりとこの馬鹿がいるのが普通になってしまっている。


「本当はあいつが除霊関係を全部やってくれりゃ楽なんだが――ん?」


 とうの昔に思える幽子との出会いに思いを馳せながらふと窓の外を見ると、ビルの真下に面白いものを見つけた。


「どしたの?」

「あれ見ろ」


 そう言って俺は、窓の方を指差してやる。

 ふわふわとやってきた幽子と一緒に再び窓から真下を眺めると、そこには何やら揉めている男女の姿が確認できた。


 男の方は、ついさっきまでここにいた、折原。

 そしてもう一人は――


「折原さん、女の人の幽霊に絡まれて――って、まさか」

「ありゃ、折原の彼女だな。幽霊の」


 あいつの、幽霊彼女だった。


「――――っ! ――っ、――!」

「……!? ……っ!」


 二人が言い争っている声は、残念ながら聞こえない。


 何度も腕を上げ下げして、怒りを露わにする女幽霊。それに対して折原は、ばつが悪そうな表情を浮かべながら頭を掻き、小さく何度も頭を下げている。


「ははっ、怒られてるよ折原さん」

「夢見と一週間もずっと一緒にいられたのが気に食わねえんだろうなあ」


 あのスカした野郎だが、彼女にタジタジとは笑えてくる。


 しばらく言い争い――もとい折原が一方的にギャースカと言われ続けていると、幽霊の彼女さんの方の熱も段々と収まってきたように見えた。


 すると折原は、ガクリと頭を垂れ溜息をついたかと思うと、ゆっくりと彼女の方へと手を差し伸べ――


「…………ッ」


 彼女の手を、強く握った


「――――!」

「…………」


 そして、すっかりと機嫌を直しニッコリとした顔つきになった彼女と手を繋いだまま、何やら談笑をしつつ歩き始めたのだった。


 折原も、彼女の方も、その横顔からは幸福しか感じない。俺と幽子は、幸せに満ちたその横顔を、彼らが見えなくなるまで眺め続けていた。


「……しょちょー」


 糖分過多です、とでも言いたげな幽子が、重苦しい声で俺を呼ぶ。



「……私、勝負に勝ったはずなのに、なんだか負けた気分なんだけど」

「……言うな。何故か俺まで負けた気分になってんだから」



 助手としての軍配は、幽子に上がった。

 男としての軍配は、俺に上がった。


 けれどもあいつらには、そんなことは関係ない。

 その事実をわかっていなかった俺らは、試合に勝って勝負に負けた――そんなところか。


 窓の外から、すっかりと青さを失った木々の葉が、ちらりと見えた。


 もうすっかり、季節は秋に足を踏み入れている。

 そうそう。秋といえば、スポーツの秋、芸術の秋、食欲の秋、そして性欲の秋などと呼ぶ奴もいるが――



「初恋の秋、ね」



 そんなセンチメンタルな言葉も似あう季節だなと、ふと思ったりした。

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深見探偵事務所の幽々自適な除霊生活 稀山 美波 @mareyama0730

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