第2話 大切な商品

 30キロリットル近くのガソリンを積載しているタンクローリーの爆発の威力は凄まじく、タンクローリーが走行していたパリ市内へ向かう車線だけでなく、反対車線の車を数十台巻き込む大惨事となった。


 ジャックと優吾は爆風と熱線の直撃は免れたものの、危機はすぐ側まで迫っていた。爆発の余波でその炎は前方の車たちに次々と移って炎上していった。


「ヤバい! 逃げよう! 煙に巻かれるな。マスクを持っているなら直ぐ付けろ!」

 ジャックは皮のパンツのポケットからクシャクシャになったマスクを取り出して顔に付けた。

 優吾も着ていたジャージの上着のポケットに突っ込んでいた機内で付けていたサージカルマスクを取り出した。


フランスここでは、前はマスクなんてしていると白い目で見られたもんだがな」

 ジャックは軽くウィンクをした。


 車外に出たが、改めて見ると正に大惨事だった。車の炎上する熱でじっとしていられない。

 そこら中で火傷を負った人々を助け合って運ぶ人々。


 そんな間にも次から次へと車に引火して行った。


 三台前の車に引火したところで諦めがついたのか、ジャックも車は放棄することにした。


「行くぞユウゴ! こっちだ!」

 ジャックと優吾はA1と並行する一般道に降りようとした。日本の高速道路とは違い、この部分は一般道との段差は約2mほどしかない。

 

 しかし、優吾はすぐに


「荷物が……」

 と、車に戻ろうとした。


「命が惜しくないのか!」

 怒鳴るジャックに対して優吾は、


「命の次に大切なものが入っているんだ!」

 と怒鳴って意に介さず走ってジャックの車に走り寄った。


 助手席の足元に置いてあったPumaのボストンバッグをドア開けて取り出そうとしてる。

 何故だか少し手間取っているように見えたが、間もなくドアを閉めないまま再びジャックの元に走って戻ってきた。


「ユウゴ! 急げ!」


 ジャックが叫んだ刹那、車に引火したのが見えた。


 ジャックは自分の車が炎上するのを見て一度溜息をついたが、


「ギリギリだったじゃねえか。お前はオレの大切な『商品』なんだ。こういう勝手な真似はもう二度とするんじゃねえ‼」

 ジャックは優吾の肩に手を掛けて、厳しい視線を向けた。


「ああ、分かったよ。悪かった」

 優吾は肩で息をしながらもジャックが心配を掛けたことに謝罪した。

 

 ジャックは、ガードレールに足をかけて、一般道とA1を隔てている手すりに手を掛けて腕を曲げて易々と越えて見せた。

 一般道もこの事故を見物する車で完全に渋滞してマヒしているような状況だ。


「警察にとりあえず電話をしてみるよ」

 ジャックはそう言うとiPhoneで17番にダイヤルをした。


 まもなく電話はつながった。

「はい、警察です。どうしましたか?」


「ああ、ジャック・グノーという者だ。さっきA1でタンクローリーの爆発事故に巻き込まれたんだが」


「それは大変でしたねグノーさん。お怪我はありませんか?」


「ああ、体は大丈夫だが車が巻き添えで燃えてしまった。放置してきたのだが大丈夫かな?」


「現場を離れたのですか? ……困りますね。今から戻れませんか?」


「いやいや、あんなところには居られないよ。とにかく地獄みたいだった。命からがら逃げてきたのにまた戻れと?」


「ええ、私が言えるのはそこまでです。今から担当者につなぎますからこのままお待ちください」

 電話は転送されているのだが、5分待たされて結局そのまま切れてしまった。

 ジャックはあきれ顔で、


「まああの事故で警察も混乱しているんだろう。しかし車を放置してきたからこのままっていう訳にもいかんだろうな。さてどうしたものか」

 思案しながらジャックは辺りをうろうろと歩いていたが、思い出したように他のところに電話をかけ始めた。


「ジャン=クロードか? ジャックだ」

 電話先はジャン=クロード・アルヌー。

 

 サルペートリエールFCのGMだった。


「おお、ジャックか。もうを空港でピックアップしたのか?」


「ああ、したにはしたんだが、スタッド・ド・フランスの前を通っていたらいきなりタンクローリーが爆発しやがって車を失った」


「おいおい、それは穏やかじゃないな。おお、今フランス・アンフォニュース・チャンネルを点けてみたが凄い煙が上がっているのが映っているぞ。それでケガはないか?」


「ああ、オレは大丈夫だ」


「お前さんも大事だがあいにく俺が心配しているのはの方だ」

 ジャックは早合点したがすぐに気を取り直して


「ああ、ユウゴも大丈夫だ」

 と答えた。


「そうか。明日のメディカルチェックはどうする? こちらはチームドクターに話して延期しても構わないが」

 スマートフォンを片手にジャン=クロードはテレビ画面を見つめている。


「ああ、大事を取って明後日にしてもらえるか?」


「いいだろう。でも、とりあえずクラブハウスには二人で明日顔を出せ。いいな?」


「分かった。これからRER近郊高速鉄道でオステルリッツ駅に向かってオテル・ドゥ・ジャルダンにチェックインする。明日朝10時でいいか? ジャン=クロード?」


「10時に待っているぞ」

 

「それから」

 ジャックは続けて、


「もし知っていたらで構わないのだが、知り合いに警察の関係者はいないか?」


「CB(*パリ警視庁内の刑事旅団Criminal Brigade。誘拐、放火、テロなどの重大犯罪の捜査に関与する)に知り合いの刑事ならいるが」


「今回の爆発で、オレの車をA1の道路上に放棄してきた。この後どうなるか聞いて欲しい」


「なんだ、そんなことを心配しているのか。車台番号を調べられて、撤去費用支払いの通告書が半年くらい後に来るよ。気長に待っていればいい。それより保険が降りるか保険会社に確認したらどうだ?」

 ジャン=クロードには深刻に取ってもらえなかった。


「いや、オレの車に価値なんて残ってねえ。なんて言ったって1995年モデルのS210Eクラスなんだ」


「それはご愁傷さまだな。お前さんが現役の頃から乗っていたあの車だろう? まあ次第ではお前さんも新しい車が買えるんじゃないかね?」


「まあそうだな。さっきの件だが、念のためそのCBの刑事さんに訊いてみてくれ」


「わかったよ。それでは明日10時に」

 ジャン=クロードはそう言うと電話を一方的に切った。

 すると、直ぐに電話を掛け直した。


「ああ、ヴァンサンか? ジャン=クロードだ」

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