第30話 サーベイランス(監視)

 オリンピアシュタディオン・ベルリン


 1936年に建設されたベルリン市のシャルロッテンブルグ=ヴィルマースドルフ地区にある陸上競技場兼シャルロッテンベルリナーFCの本拠地である。

 名前の通り、1936年ベルリンオリンピックのメイン会場として建設。第二次世界大戦前に開催された最後のオリンピックの開会式で、10万人もの観衆を前に、時の為政者であるアドルフ・ヒトラーが開会宣言を行った。


 ドイツ一部リーグであるブンデスリーガの開幕を控えた8月10日、このオリンピアシュタディオンではプレシーズンマッチとして一部リーグに属するシャルロッテンベルリナーとミュンヘンの衛星都市であるインゴルシュタットとのマッチが組まれていた。


 夕方5時。


 仕事を終えたベルリンっ子たちが続々とシュタディオンに目が覚めるような青いゲームシャツを着て集結していた。

 少数ではあるが、緩衝ゾーンを挟んでインゴルシュタットのRot-Schwarz赤と黒サポーターたちの姿も見える。

 試合直前のアナウンスによれば、今夜のプレシーズンマッチは観客数は2万弱。

 リーグ戦と比較しても悪くない数だが、さすがに7万人余のキャパシティーを擁するシュタディオンでは観客も疎らに見える。 


 そして犯罪集団である「23」の本拠地でのプレシーズンマッチともなれば、試合は彼らの格好の標的となる。


「23」はそもそも何を目的とした犯罪組織か。

 それに答えるには少し話が長くなる。


 ポーランド系移民が多く住むここ旧東ドイツ圏内では、反ポロニズム(ポーランド系移民に対する偏見や差別)が強く、差別に基づく賃金格差や暴力事件など移民の

若者を中心に行政への反抗心が高まるなか、特に過激な思想を持つグループが先鋭化していった。

 その一部の集団が小規模なテロ行為を始めたのがベルリンの壁が崩壊した直後である。

 テロ行為にはもちろん資金が必要だ。


「23」のような組織は複数あるが、組織だった集金システムとテロリズムの実行部隊を兼ね備えた大掛かりな組織は「23」のほかにはない。


 金集めに彼らが選んだのが八百長による資金調達であった。


 ドイツ国内で最もポピュラーなスポーツは勿論サッカーである。

 

 試合の数も無数にあり、連邦リーグが開催されていなくても地域リーグやアマチュアの大会まで網羅しているブックメーカーからすればオフシーズンの無いサッカーは便利この上ない。


「23」は各地域に「スカウト」と呼ぶ八百長話を斡旋する構成員を配置しており、ケマル・ケペラーを殺害したオットーはバイエルン州でのスカウトに任命されていたのだった。

 マイヤーは、死んだオットーを含め、8人のスカウトを束ねる「集金組」のリーダーであった。

 オットーがケペラーを精神的にも経済的にも追い込んでしまった挙句、殺害したのは組織にとって安定的に八百長を実行するタレントを失うことにつながった。

 すなわち、この「23」という組織自体活動に必要な資金ショートにつながる重大な背信行為だったのである。


 マイヤーがオットーを殺害した理由はそこにあった。


 そもそも、八百長行為の規模が跳躍的に増えてきた背景としては、ベルリンの壁が崩壊してから30年経ち、「23」の活動目的は徐々に変わっていったからだ。

 当初の東欧系の移民の解放を訴えた小規模なテロリズムから、イデオロギーに違いによるターゲットを対象とした大規模なテロリズムに発展していった。


 構成員もオットーのようなポーランド出身の人間の比率は低下してゆき、代わりにネオ・ナチズムを信奉する新たなゲルマン層が加わってきたことによりその質は著しく変化したのである。


 パリのサンドニで起きたタンクローリー爆破事件は、「23」のパリ市警に対するテロリズムであった。

 実は、あの混乱の中で、同時多発的にパリ市内のそこかしこで無差別の殺傷事件が起きている。

 タンクローリーの事件が起きたサンドニに捜査員が集結し、手薄になったパリ市内を狙った卑劣な犯行だった。


 特に大きな被害が出た地区は、パリ11区にあるオベルカンフだった。

 オベルカンフといえば、サブカルチャーを愛するオタクのパリジャンが集まる街区だ。

 そこでは、合計3人の市民が凶弾に倒れたが、パリ市警は手薄な状態で、火器装備が充実した「23」にはまったく歯が立たず、易々とその構成員達を逃してしまった。



 サンドニの惨劇は間違いなく中島啓吾の手引により起こったものだ。

 そしてその罪を優吾に擦りつけようと優吾になりすましてフランスに入国、捜査を撹乱する目的でジャックの自宅に侵入し、テロの計画を匂わす書類を置いた。


 まさか、ジャックが事件現場に向かうルートを選択するとは思ってもいなかったし、ジャックの車が巻き込まれることは想定外であったが、それはむしろ好都合だった。


 監視カメラに自分の姿が映っているのは織り込み済みで、むしろ捜査遅延を狙ってのことだった。


 危険を顧みず、発火寸前のジャックの車に取りに戻ったプーマのボストンバッグの中には、仕事の七つ道具と、自爆用の手榴弾が入っていた。


 その啓吾がシャルロッテン・ベルリナーのゲームシャツを着て、ベルリン地区の「スカウト」と共にオリンピア・シュタディオンに姿を表したのは試合開始の2時間前。


 選手や関係者の通用口前で、この地区のスカウトであるマチェックは、一人の選手に声をかけた。


 すかさず警備員がやって来て、

「悪いがここでのサインは禁止なんだ」

 とあしらうと、その選手は、


「良いんだ。オレの知り合いさ」

 とたどたどしいドイツ語で警備員を制した。


「よう、随分とドイツ語が上手くなったな。ソングー」


 カン・ソングー。

 

 昨年のウィンターブレイク中にシャルロッテン・ベルリナーにレンタル移籍してきた19歳のフォワードだ。


 ソングーは高校を卒業すると、イングランドのアストン・ヴィラの名将、ステュワート・マッケインに見出されたが、労働ビザが下りるための条件を満たしておらず、ここベルリンに貸し出された。


 しかし、移籍間もなく若さゆえ夜の街に繰り出したソングーはこのポーランド移民の子、マチェックと出会ってしまった。


 ベンチを温める日が続けば誰しも不安や不満が自ずと高まってくる。

 決定的だったのはベンチ入りすら外れたポカールカップの2回戦だった。

 

 街に繰り出したアングラ・バーでマチェックはソングーに罠をかけた。


 そして現状に不満を持ち、若さゆえ裏の世界に対する興味に抗えないソングーは、マチェックを頼った。


 啓吾は、マチェックの監視役としてこの場に臨んでいたのだった。

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