第31話 カン・ソングー
韓国の高校はわずか137校しかサッカー部がない。
そして部員数も30名前後と少数精鋭で構成されている高校ばかりである。
カン・ソングーは、その中で過去大統領杯や全国大会で優勝している浦項産業高校で史上空前の公式戦49ゴールを挙げ、KRリーグの各チームから熱烈なラブコールを受け取っていた逸材だ。
もともと父親も日本のJSL-Aや、ブンデスリーガでもプレーをした経験のあるサッカー選手だった。
ソングーは190㎝と恵まれた体格に加え、傑出したドリブル技術、強烈な右脚のシュートによって実績を重ねてきた。
イングランドの古豪、アストンヴィラのアジア太平洋地区のスカウトはこの逸材に目をつけ、早速監督であるステュワート・マッケインに獲得を進言した。
そしてマッケインは、ソングーのプレーをビデオだけ見て獲得の指示を出したといわれるほどその才能に惚れ込んだ。
しかしだ。
ここからは日本や韓国などからEU圏外からヨーロッパの5大リーグといわれる主流なリーグに所属しているチームへやってくるほぼすべての選手にまつわる不都合な真実を書かねばならない。
残念ながらFIFAのランキングで30位あたりを行ったり来たりしている国からの選手を、才能だけで就労ビザを発行し、高い年棒を払うようなお人好しのチームは皆無だ。
代理人は、ソングーのような才能あふれる「サッカー後進国からの若手」に対して年棒の持参を求める。
つまり、彼の年棒をサポートするスポンサーを連れてこい、というのが通例になっている。
残念ながら、これが真実だ。
フィレンツェが獲得した優吾は話が別だ。
彼の年棒は、クラッセAの最低保証年棒だからだ。
野球に例えるならば、WBSCのランキングの30位はドイツの隣国オーストリアで、29位は香港だ*。
日本のプロ野球球団が、オーストリアの才能のある若手にいきなり1億円をオファーするかといえばおそらくしない。
それと同じだ。
結局労働ビザを発給されなかったソングーは、シャルロッテンベルリナーにレンタル移籍された一年目、そこでもレギュラーを取ることはかなわなかった。
彼は移籍当初オフの過ごし方などの規律を破った上に、ドイツ語の取得を渋ったからだ。
シャルロッテンベルリナーの監督はドイツ代表のサイドアタッカーだったグルムバッハはソングーが規律を守らず、言語を覚える意欲すらないことを見抜くとベンチにも入れなくなった。
ソングーのパトロン企業であった
シャルロッテンベルリナーに対してあからさまな圧力をかけ始めた。
しかし漢江ゴムは彼の個人スポンサーに過ぎず、この圧力はあまり効かず、むしろグルムバッハが、ソングーがスポンサーに告げ口をしたことで圧力がかかったと勘違いしてさらに二人の関係の間の溝は深くなった。
未成年のソングーが夜な夜なベルリンの街に繰り出すようになったのはこのころだった。
アンダーグラウンドの世界に、こうしたソングーの動向が伝わったのは瞬時であった。
「23」の下級支配人であるジェルジンスキがベルリンの地区を担当しているマチェックにソングーとの接触を指示した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「隣、いいかい?」
今シーズンもあと4試合というタイミングで、ベンチにも入れなくなったソングーは、在ベルリンの韓国人の若者と連れ立ってアングラなバーに来ていた。
カウンターの隣席に、自分とそれほど遜色のない筋肉質な三十路くらいの男が座ることの許可を求めてきたことに対して、
「
と、韓国語で言い相手を睨んだ。
「
マチェックがそう言い返すと、拙いドイツ語で
「チームの奴か?」
とソングーは聞いてきた。
「いや、俺はチームの人間ではない」
マチェックはそう答えた。
「最近試合に出ていないようだが、どうしたんだ?」
ソングーの友人はドイツ語が堪能なようで、マチェックの通訳を完ぺきにこなしている。
「知るか! グルムバッハのおっさんに聞いてくれ。で、あんたは何者?」
「俺はお前の『救世主』さ」
「おい、オッサン。ふざけたことを言ってんじゃねえ」
「まあそう興奮するな。俺はお前をちゃんと試合に出させてやるためにここに来たんだ」
用心深いソングーはあざけるかのように言い放った。
「なぜそんなことをする? お前の得になるのか?」
「そうだな。俺にも得になるさ」
「ほぉ、ビジネスみたいなものか。それで? 俺は何をすればいい?」
「試合に出ろ。そして点を決めてこい」
ソングーはマチェックの言葉に、鼻で笑った。
「俺の状況、理解できてるのか? オッサン? 試合に出れないから俺はここにいるんだ」
「信じろ。お前は試合に出ることができるさ」
「信じられねえな。胡散臭い」
「まあごもっともだ。じゃあ、次のリーグ戦はザンクトパウリだったな。試合にもし出られたらここに電話しろ」
「俺はザンクトパウリ戦には帯同も許されていないんだぞ?」
「まあ、見てなって」
そうマチェックは言うと、バーから出て行った。
呆然と見送るソングー。
しかし、気を取り直して、
「なんだか邪魔が入ったな。飲みなおそうぜ?『
1時間もたったころだろうか。
ソングーの携帯電話に着信音が。
表示には「
「ケッ!」
そう毒づいてソングーは無視を決め込もうとしたが、グルムバッハからの電話は何度も掛かってくる。
「
「
スピーカーフォンにしたソングーに、友人は韓国語で先発する、と伝えた。
「なぜだ? 俺は帯同すら許されていなかったじゃないか」
グルムバッハに訊くと意外な答えが返ってきた。
「ニールがついさっき交通事故に遭った。あいつの代わりはお前しかいない。明日、ブランデンブルグ空港に10:00に来るんだ。いいな」
電話を切った後、最初呆然とし、そして絶句するソングー。
「まさかとは思うが、あいつがやったのか?」
ソングーは電話を手に持ったまま、マチェックが渡したメモを取り出して、まじまじと見つめ、そして恐怖で震えた。
「あいつは、本当に『救世主』なのか? それとも……」
*ランキングは2021年現在
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