第32話 陥落
ソングーは、エルベ川沿いの港町、ドイツ第二の都市であるハンブルグでのザンクトパウリ戦で先発し、見事2ゴールを決めて見せた。
「やったぞ! グルムバッハの奴、目を白黒させやがって! クソッ! ざまあみろだ‼」
試合が終わって興奮冷めやらぬまま投宿先のホテルの自室でそう吠えると、マチェックとの約束を思い出した。
(本当に試合に出られたら、ここに電話しろ)
ドイツ人ストライカーのニール・フスが交通事故で全治6か月の大けがを負ったのはマチェックに無関係だと思う方が不自然だ。
「電話をかけても、かけなくても、これ、俺詰んだんじゃないか?」
今自分は、大きな力に飲み込まれようとしているのか。
突然不安が頭をもたげてきたのだ。
しかし、意を決して電話をかけることにした。
電話をかけないでいることに抵抗があったからだ。
「
ソングーはドイツ語を話すことができない。会話をどう成立させようか迷ったがとにかく電話をかけたという事実が重要だと思い、後のことは出たところ勝負に持ち込むつもりだったのだ。
ところが驚いたことに電話に出たマチェックはアクセントはドイツ人らしいが実に流暢な韓国語を話したのだった。
「
「韓国語を話すんだな」
「さあ、これは韓国語なのか? 教えてくれた野郎が朝鮮語だって言ってたがな」
「それはまあどうでもいい。ところで俺を出場させるために、どんな手を使ったんだ?」
「なあに、俺たちの組織にしたら、簡単なことさ」
ソングーはそれを聞いて身震いした。
「俺に……どうしてもらいたいんだ? お前たちの組織っていうやつは」
「そうだな、俺たちの『お客さん』を喜ばせてほしいんだ」
それを聞いてソングーは2度目の身震いを感じた。
かつて、闇のブローカーたちは、韓国のKRリーグのサッカーくじ「カルチョTOTO」というスポーツ振興目的のくじで不正に利益を上げるために、各チームに八百長を働きかけ、2010年に19試合、2011年に2試合の合計21試合の結果に影響を及ぼした大事件があった。
当時8歳だったソングーだがKRリーグ一部におけるこの「KRリーグ八百長事件」のことを知っていた。
彼が憧れていたカン・ヒョンシクがこの件の捜査対象に上がり自殺を遂げたからだ。
「それは、八百長をやれと。そう云う事なのか?」
マチェックは短く返答した。
「そのとおりだ」
「断る、と言ったら?」
「そうだな、お前の大切なモノか、大切な人に常に目を光らせておけ、とだけ言っておくよ」
「なぜ俺なんかに!」
「ソングー、お前には価値があるんだよ。それなりに謝礼は払う」
「俺一人にそんなことを言ったって、サッカーはチームスポーツなんだ。そんなうまくいくはずはない」
「お前の他に、あと3人仲間がいる。お互いに誰かは知らないが全員同じ合図で何かをしでかすように打ち合わせはしてある。それで誰が仲間なのかはわかるだろうが、この件について話し合うのは自分たちにとっていいことはないから止めておいた方がいいぞ」
やめておいた方がいい、と言っているが意味は「するな」だ。
そのくらいはソングーもわかっている。
同時に自分がもう逃げ道のない袋小路に追い詰められたことを悟った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ホームにフュッセンを迎えた最終節、ソングーは成功報酬として3万ユーロを約束され、指示を受けた。
200ユーロの報酬で虫けらのように使われ、殺されたケマル・ケペラーとは段違いの報酬だ。闇で動く金額も桁違いなのだろう。
片や連邦リーグ3部のリザーブチームで将来を期待された若手。
此方1部リーグの新星だ。むべもない。
「俺の他にあと3人いるって言ってたな。どいつなんだろうか」
疑心暗鬼になっているとフィールドに立っている全員が疑わしくなった。
マチェックからの指示はこうだ。
「『合図』がでたら、トップにいるであろう前はボールを持っている状況だ。点を取れ」
「おいおい、点を取れって、簡単に言うなよ」
「大丈夫だ。点を取ってくるんだ」
何が大丈夫なのか全く理解ができなかったがやってみる、と一言返した。
「気負って外すな。それだけだ」
「お前、俺を誰だと思っているんだ。裏で何かしらの力が働いているのなら外す分けねえだろう」
「頼もしいな。しっかりやってくれ」
小雨降る中の試合となったこのピッチで、0-0で迎えた前半29分。
その瞬間はやってきた。
『合図』だ。
トップ下からフリーの状態でパスを受けたソングーは、そのまま相手ディフェンダーに突っ掛けるようにドリブルをし、
濡れた芝生に足を取られるようなそんな感覚ではあったがこれはマチェックからの指示だ。従わねばならない。
(またこんなプレーをしたら、グロムバッハのオッさんに何を言われるか……)
監督のグロムバッハはドイツ人らしくロジックの強い戦術を好み、スタンドプレーについては眉を顰めるタイプだ。
しかし、次の瞬間信じられないことが起こった。
相手のセンターバックが濡れたピッチの芝に足を取られてスリップダウンし、尻餅をついたのだ!
あっさりゴール前に空いたスペースに走りこんだソングーは、あの薄暗いバーで「気負って外すな」というマチェックの言葉を何度も頭の中でリフレインさせていた。
ポジショニングのいい相手GKは、シュートを打たれてもよいコースを限定するような動きを見せた。
「こいつ、なかなか」
そう相手を褒めるようなことを言ったが、ペナルティエリアに侵入しながら構わず右脚を振りぬいた。
完璧なゴールだ。
しかし、ソングーは腑に落ちない。
相手の敵失によって辛くも指示通りの結果がだせて一安心だが、 自分のチームのプレーヤーが協力することなく終わったプレーだった。
誰が俺を助けるつもりだったんだ?
相手が勝手に転んだだけじゃないか。
味方のチームメイトが駆け寄ってきて、モミクチャにされながら、ソングーは協力者を目で探した。
「誰だ? 誰だ? くそっ!」
ボールがセンターサークルに戻された。
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