第29話 パヴェウ・ジェルジンスキ

「ケイゴ、マイヤーの事は許してやってくれ」

 

 「23」のアジトの大きな広間の中央部に置いてあるコーヒーテーブルを中心にソファセットが取り囲んでいて、ペンダントライトが仄明るくテーブルを照らしていた。


「殺されそうになった相手を赦すのは、次は殺されるかもしれないっていうのが『23ここ』から教わったことだよ」

 パヴェウは啓吾がそう言うと、ふっ、と笑って言った。


「まあそうだよな。しかし啓吾は短い時間で随分と格闘とドイツ語が上手くなったもんだ」

 

「ドイツ語は問題ないさ。オレは子供の頃ドイツに住んでいた」


「ほぉ、それは知らなかったな」


 啓吾は、父がブンデスリーガの選手の頃、ドイツで知り合った啓吾の大学院の学生だった母との間に生まれた。


 ドイツでの契約が終わると、啓吾の父親は日本に帰ってしまった。

 

 母は学問をあきらめきれず、日本に一緒に帰ろうという父の説得を聞かず日本に帰国した後もドイツ国内にとどまり、啓吾を大学に通いながら育てた。


「必ず君を迎えに行く。それまで大学院で勉強をがんばってくれ」

 フランクフルト空港で別れ際、父はそう言ったそうだ。


 啓吾の母は、それまでドイツで学位を取って、日本で結婚することを夢見ていた。


「でも俺の母さんは、俺が12の時に死んだよ。心を病んでたんだ。ある日、ギムナジウム中等教育学校からアパートに帰ったら、人だかりがしていたんだ」

 母は、一年も経たずに父が別の女性と結婚したことを知っていたのだ。

 

 裏切られたという気持ちや、異国で子供を育ててゆくプレッシャーで段々と心を病んで行った。

 我慢して、我慢して、そしてある日突然それが弾けた。


「それは……気の毒だったな」


 ドイツで生まれたため、国籍を持つ啓吾は児童養護施設に入所した。

 フランクフルトのあるヘッセン州の政府は啓吾の父にもコンタクトを取ったが啓吾を認知もしておらず引き取りは拒否されたからだ。


 入所したとき、啓吾の持ち物は母が遺した日記だけだったという。

「俺はさ、その日記で知ったんだ。母さんが持っていたあの男に対する憎しみとか色々」

 啓吾は施設ではギムナジウムには通わず、サッカーに専念していた。


「俺にはあの男の血が流れているから、フットボールは得意だった。『呪われた血』だな。施設の近くにはクラブチームのユースもあった。そこで俺は選抜されたりとまあまあ頑張ったよ」

 

「でも、フットボールじゃなくて復讐のために日本に行ったんだな?」


「ああ、あの男をぶっ殺してやるつもりだった。で、俺は『23』にスカウトされた。というか俺がアプローチしたんだ。2年間フランクフルトで格闘と武器の扱いを叩き込まれた。フットボールと格闘。それが俺の16歳の頃の日課だった」


 その後啓吾は、日本にいる祖父母を身元引受人になってもらい日本へ渡った。そして東京ブリッツは18歳になった啓吾とプロ契約した。


 プロとしてサッカーをしながら母を捨てた父を殺す準備をしていた啓吾は、やがて事故で父が死んだことを報道で知った。


「愕然としたね。だって、殺そうとした奴が勝手に死んだんだぜ? でもさ、神様って本当にいるんだと思うよ。俺には異母兄弟の弟が居たんだ」

 啓吾は父を憎むあまり、死んだ父に代わって標的を優吾に変えた。


「あいつが立場をなくして酷い目に遭えばオレも少しは救われるかなって」

 父親の葬儀で優吾に近づき、優吾がガビアータで圧倒的なパフォーマンスを発揮しているのにも拘わらず干されていることなどの情報や、積極的に聞き役に徹してアドバイスをしたりしているうちにいくつかの接点ができた。


「ボス、マイヤーのことなんだけど」


「ああ、許してやってくれるか? 俺がお前をこれ以上狙わないように言っておく」


「いいよ。アンタに免じて。でも少しでも俺を殺そうとしたら悪いけど今度は遠慮しないかも」


「分かった、いいだろう」


 啓吾は満足そうな顔をして、一つ質問をした。

「俺は国際手配されていないみたいだけど、ここにいつまでいればいい?」

 

「手配されていない、というのは楽観的過ぎるな。警察も馬鹿じゃない。お前は泳がされていると思ったほうがいい」

 実際、優吾の証言によって啓吾は既にIPCO内部では捜査線上に浮かんでいる。


「そんなもんかな。優吾は俺に気が付いてないと思うよ」

 頸をすくめて、パヴェウは言った。


「組織のイタリアのメンバーから、ちょっとおもしろい話は聞いたがな」


「え、どんな」

 バヴェウはiPhoneのメールから画像を開いて啓吾にみせた。


「ここはどこ? なんか紫色の練習着だからフィレンツェかどこかかな?」


「そうだ。フランシス・リベリーノに見込まれてヘッドコーチのフィリップスがこの日本人と契約したそうだ」

 人差し指をフリックして映し出された次の画像には、笑顔でCCCフィレンツェのヘッドコーチ、フィリップスと卯月優吾ががっちりと握手している姿が映されていた。


「優吾のやつ、もうこっちに来てやがるんだな」


「警察はお前の事を認識していると思ったほうが良いだろうな」


「なるほど。でも、これで優吾のこともやりがいが出て来たじゃねえか。ふざけやがって、何がフィレンツェだ。クソ野郎が」

 啓吾は毒づいて見せた。


「ケイゴ、その前にやってもらわないといけない仕事があるのを忘れるな」

 パヴェウはその柔和な顔から、眼光鋭い表情に変えた。


「わかってるさ」


 そう言って啓吾は頷いた。

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