第四章 ベルリン、ワルシャワ

第28話 バウンサー

 地下組織「23」のアジトがある旧東ベルリンに立地する「ベルクハイン」は世界トップクラスのテクノ・ハウス・クラブだ。


 かつて発電所だった巨大な敷地内にあるボイラー室をリノベーションしたものだ。


 剥き出しのコンクリートウォールに無数の落書き、地下階のフロアには無駄に高い天井。上階には見晴らしの良いパノラマ・バーがある。

 上階と地下階では流れる音楽も客層も違う。

 地下階ではテクノを超有名DJがガンガンに掛けていて、性的指向はLTBGQの客が多いが、一方パノラマ・バーではハウス・ミュージックをストレートの客層が楽しんでいる。


 今日土曜日は深夜0時に扉が開き、バウンサー用心棒に入場を妨げられずに中に入れれば月曜の朝まで狂ったように踊り続けられる。

――望めばの話だが――。


 それがテクノの神殿、ベルクハインだ。


 そう言えばロックダウンの最中、この神殿でのダンスは禁止された。


 その代わりモダンアートの展示会が催事され、「MORGEN IST DIE FRAGE明日が問題だ」と、人を喰ったような巨大な横断幕が外壁に掛かっていた。


 踊り狂った後の朝、正気に戻った者たちが現実に連れ戻され、この横断幕を見て頭を抱えることを揶揄していたのか。


 優吾の異母兄弟である中嶋啓吾はある男とベルクハインに入るための長蛇の列に並んでいた。

 啓吾はまだ自分がサン=ドニにおけるテロの容疑者としてリストアップされている事は知らないが、用心深くマスクをしてキャップを目深に被っていた。


 連れの男が口を開く。


「ケイゴ、バウンサーに何か聞かれたら、全部『Jaはい』と答えるんだ。それから……」


「堂々としていろ、だろ?」

 バウンサーの入店に相応しいか否かの判断には明確な基準はない。


 ただ、彼らの審美眼に適ったこの神殿で踊るのに相応しい客だけが入ることを赦される。最悪、長い列に並び漸く1時間後にたどり着いた入り口でバウンサーに入店を拒否されれば全てが無駄になる。


「そうだ。中に入らなければ話は始まらない。ここは人が隠れるには持って来いのところだが、我々のが及ばない」


「へえ、あんた達でもなんとか出来ないなんてね」

 啓吾は少し悪戯な顔をした。

「だったら他の場所が良かったんじゃ?」


「言ったろ? お前を隠すにはここが一番なのさ。まあ大丈夫だろう。ゲストリストには載っているはずだ」


 もうかれこれ一時間は待っただろうか。

 

 次の次が啓吾とその男の番になった。

 

 啓吾は全く落ち着かない。

 待っている間中、バウンサーに「Nein!ダメだ」と言われて次々に追い返される奴らを目の当たりにすれば心配をするなと言われる方が無理である。


 しかし男は、


「ケイゴ、堂々と、だぞ」

「分かっている」

 そう言いながらも心臓は早鐘を打っている。


 バウンサーは、白髪交じりの長髪をオールバックにし、エナメルの黒くて太いフレームの眼鏡を掛け左の顔半分にタトゥが入った髭面のでっぷりした男だった。

 耳と口許にピアス。


 ニコリともせずドイツ語で話しかける。


Seid ihr お前らauf derゲストリストには Gästeliste載っているのか?」

 啓吾はさも当たり前というように、


Jaああ」と自信たっぷりに答えた。

Wie heißen Sie名前は?」

Meyerマイヤー Kuhnheimクーンハイムだ

Due bistで、そっちは?」

Dietmarディトマー Gellarmanゲラーマン

 啓吾は偽名を使った。


 バウンサーは、じろじろと啓吾と男 ――オットーを始末したあのマイヤー――を交互に見ると、


「Nein」

 と告げた。


Wieso何故だ⁉」

 マイヤーは叫ぶ。

 バウンサーは極めて静かに、

「理由はオレがそうダメだと言ったからだ」


 「Scheisseクソっ!」

  マイヤーはそう吐き捨てて列から離れた。


「ケイゴ、お前もこっちに来い!」


 釈然としない啓吾。

「どうして入れなかったんだろう。オレが悪いのかな」


「知るか! とにかくボスに連絡する。このままじゃベルクハインの中で待ちぼうけだな」

 マイヤーは携帯電話を取り出し、ウンターシェフ下級マネージャーに電話を掛けた。


「マイヤーです。ケイゴと一緒に中に入ろうとしたのですが、バウンサーに追い返されました」


「そうか。それでは仕方ないな。誰がバウンサーだったんだ?」


「名前なんか知らないですよ。長髪の髭のオッサンでした」

 ウンターシェフは笑った。


「スヴェンか。まあいいだろう。悪いが俺は折角入ったので、少し楽しんでからそっちに行くことにする」


「分かりました。とにかくケイゴがこのままだとまずいです」


「オフィスで会おう。誰かに後を付けられるなよ」

 電話は切れた。


 マイヤーは、

「おい。しくじりやがって」


「ちょっと待ってくれ。オレはどうしくじったって?」

 

「知るか!」


「八つ当たりは止してくれよ」

 啓吾がそう言い終えた刹那、マイヤーは啓吾の胸倉をつかんで尻のポケットからバタフライナイフを取り出し、啓吾の頬に当てた。


「殺すぞ」

 マイヤーの眼は完全に据わっている。


「落ち着けよ。マイヤー」

 啓吾はマイヤーをなだめると、マイヤーの右腕を掴んで自分の頬からバタフライナイフを離した。


 マイヤーはナイフをまた尻ポケットにしまうと、いきなり啓吾を殴りつけた。

 鈍い音がして、啓吾はよろめく。


「チッ、痛てぇな! 何するんだ!」

 

「よく聴け。二度とオレに偉そうな口を訊くな。二度とだ!」


「俺には、怖いもんなんてねえんだよ。お前なんか微塵にも怖いなんて思わねえ」

 啓吾はマイヤーににじり寄り、二発顔面に拳をヒットさせた。


「やっぱり殺してやる!」

 そう叫んだマイヤーは、一度収めたバタフライナイフを取り出そうとしたが尻ポケットからナイフは消えていた。


「お前が探してるのはこれだろう?」

 啓吾は掌でマイヤーの尻ポケットから抜き取ったナイフを転がしている。


「お前、いつの間に」


「殺してやるって、誰に言ってんだ?」

 啓吾は目にも止まらない速さでナイフをマイヤーの眼前で振り抜いた。


 マイヤーは鼻先を斬られてその場にうずくまったが、啓吾は容赦しない。

 マイヤの背中から馬乗りになってスリーパーチョークを掛けながら言う。


「さあ、言えよ。誰を殺すって?」

 形勢が全く逆になったマイヤーは、顔面を血に塗れながら懇願する。


「頼む、殺さないでくれ」


 ニヒルに啓吾は笑った。

「バーカ。ここでお前を殺さないとまた俺が殺されそうになるだろう?」


 すると、いきなり知らない男が声を掛ける。


「おい、そこまでにしておけ」


「誰だ? お前」

 啓吾は男に言った。


「ぼ、ボス!」


「初めて、だよな? ケイゴ」

 男は続ける。


「『23』のベルリン地区ウンターシェフのパヴェウ・ジェルジンスキだ」

 

「ボス、ベルクハインの地下階にいたのでは?」

 目を丸くしてマイヤーは立ち上がった。


「マイヤー、後を付けられるなよ、と言ったはずだ」

 マイヤーの白い顔は更に蒼白になった。

 

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