第21話 契約社会

 ボーヌと言う街で昼食を取るために高速道路を降りた。

 

 ジャックはニヤニヤしながら、


「美味いもの食わしてやるよ」

 と言うので、優吾は、


「何を食べるの? フランス料理は脂肪分が多くてちょっと」

 とけん制すると、


「ユウゴ、オレもアスリートの端くれだぜ? そこは心配するところじゃない」

 と直接的には答えをはぐらかされた。


 市街地までのディジョン道路とよばれる道のりは典型的な田舎町のそれで、AldiなどのスーパーマーケットやMcDonald'sマックがある。


 やがて市街地内に入るとアスファルト路面から石畳に変わり、小刻みな振動がシートを伝わってくるようになった。


「さあ、着いたぞ」

 ジャックが車を止めたところは、日本料理店だった。


「Koki」と書かれた看板。


「寿司屋なの? ここ」

 どうやら回転寿司屋のようだ。


「寿司はヘルシーだろ? それでここの寿司は大したもんなんだ。オレは日本へは何度も言って寿司が何たるかをそこら辺のフランス人よりは分かっているつもりだ」

 寿司はヘルシーかどうか、糖分カットをする人が多い昨今議論の余地はあるだろうが伝統的なフランス料理を食べるよりはヘルシーだろう。


「いわゆるビュッフェスタイルで、ベルトコンベアに乗せられて来たものは何を食べてもいいんだ」

 なるほど、日本にはないスタイルだ。優吾は興味を持った。


 店内に入ると、中年夫婦がジャックに声を掛けてきた。


「あら、グノーさんじゃない?」

 夫人はジャックを知っている。


「おお、グノー選手だ」

 瓶のキリンビールを飲んで赤ら顔になった旦那もジャックを知っているらしい。


「もう、選手じゃありませんよ」

 そっけなくジャックは言った。


「ああ、そうだったね。今は何を?」

 旦那は遠慮なしに聞いた。


「選手のエージェントをやっているのです」


「おお、じゃあそっちのアジア人は君が売り込む選手?」

 旦那は優吾を見てそう言った。


「なんていうんだ、ニーハオ?」

 アジア系の顔を見ると中国語で話しかけるフランス人は確かに多い。

 それほど中国人のフランス国内でのプレゼンス存在感は上がってきているのだ。


「ノン、シノワ。 ジュスィジャポネ」

 優吾が何とかフランス語で日本人であることを伝えると、


「おお、君は日本人か。ここの寿司は日本で食べるより美味しいぞ⁉」

 と絡んでくる。


「どこのチームに行くんだ? リヨンか? バーゼルか?」

 確かにリヨンまではあと2時間くらいだし、国境を越えて4時間くらいあればバーゼルには到着する。なかなかの読みだ。


「ムッシュ、すまないがまだ契約もしていないし話すわけにはいかないんだよ」

 ジャックがそう断ったが、しつこく


「オレはリールにいたアンタのファンだったんだ。少しくらいいいじゃないか」

 酔いも手伝っているためか遠慮というものが全くない。


「ジャック、なんて言ったの?」


「ユウゴは黙っていろ。いちいち相手にしていたら大変だ」

 確かにジャックの言う通りだが、ジャックのファンだという夫婦に少し冷たくはないかと思った。


「オレはファンを大切にしたいね」

 そう優吾から言われたが、ジャックは一つ咳払いをして、

 

「ユウゴ、ファンを大切にすることと、秘密を漏らすことはイコールなんかじゃない。秘密を守るっていうのはヨーロッパという契約社会では最低限守らなきゃならないことなんだ。これからユウゴはここで生きてい行くんだ。気の毒とか思ってはだめだぞ」

 その理屈はわかるが、これがヨーロッパだ、と言われても慣れていくには時間がかかるのだろうと思い知らされた。


Désoléごめんね

 と、優吾は詫びて夫婦から離れ、通された席に着いた


「しかしジャックは人気者だね」

 優吾は嫌味ではなくジャックがたくさんの人たちに愛されていたことを改めて認識した。


「まあ、フランス代表としてワールドカップには出場できなかったがな。人気はあったんだぞ」

 ジャックが少し得意げな顔で言った。


「こんな田舎町でもジャックを知っている人はいるし、本当にすごいよ」


「ユウゴもそうなって欲しいさ。明日、それの第一歩を踏み出すんだ」

 優吾も頷いた。


「さあさあ、食べよう」

 ベルトコンベアからは握りずしだけではなくいわゆるロール寿司やよくわからないサイドメニューも流れてきた。

 確かに寿司は美味しかったが、夫婦が言うように日本より美味しいというのは言いすぎだと思った。


「日本に来たフランス人が、フランス料理のレストランで『ここのフランス料理は、フランスよりも美味しいだ』とか言われたら怒るだろうね」



「それは違いない」

 二人は大笑いした。


 €17のランチビュッフェで腹八分目食べて、二人は店をでた。


「先を急ごう。まだこの先800㎞くらいある」


「結構走ったと思ったけどまだ1/4しか来ていないんだ。時間は大丈夫なの?」


「ああ、早く着いたに越したことはないが、遅くとも日付は跨ぎたくないね」

 ジャックは笑いながら言った。


 二人はまたシュコダに乗り込んで、A6に戻り、そのまま南下。マコンでA40 に乗り換え、東方向に進んだ。


 やがて国境を越えてジュネーブに着いた。夕食にはまだ早かったので軽くサンドイッチをパーキングエリアで買った。


 また国境を越えてイタリアに入った。

 ミラノを過ぎ、ボローニャを抜けてフィレンツェに着いたのは午後10時ごろだった。流石に辺りはもう夕闇に暮れていた。


「疲れただろ。今日はもう直ぐに寝るんだ」

 チェックインしてエレベーターを待っているときにジャックはそう言った。


「疲れてなんてないさ。ジャックこそ13時間も運転してくれてありがとう」


「ケイゴの時のように、爆発事件が起きなくてよかったよ」

 ジャックは少しふざけた。

 冗談を冗談で返せなくなったのは優吾だった。


「ヤツの事は今は言わないでくれ。集中したいんだ」

 この事件が優吾に与えた影響は小さくはなかったのだ。






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