第25話 ボローニャへ
午前6時12分。
日の出は6時過ぎだったので辺りはまだ少し薄暗い。
フィレンツェから北へ高速道路を使って1時間ほどのところにある、エミリア=ロマーニャ州の州都であるボローニャへ向けてジャックはシュコダ・オクタービアを走らせている。
ボローニャのプロフットボールチーム、「スポルティーボ・ ボローニャ」のテストを優吾に受けさせるためだ。
昨日CCフィレンツェのヘッドコーチであるフィリップスから口頭ながら合格通知をもらい、ボローニャで食事を楽しんで来いと言われたのだが、スポルティーボ・ボローニャのクロアチア人ヘッドコーチ、ステパン・ニコリッチとの約束を反故にするわけにいかなかった。
そしてジャックはフィリップスの事を心の底から信じてはいなかった。
昨日のフィリップスの言葉は、単なる口約束だ。契約書を交わしたわけでもない。
実はジャックはフィリップスな手痛い仕打ちを受けたことがある。
マルセイユの監督をしていたフィリップスに、若手の有望なボランチを紹介した。
優吾のケース同様フィリップスは口頭で合格を言い渡した。
ジャックは他のチームのテストを全部断ったが、後日フィリップスは、
「何のことだったかな?」
と、契約書がないのをいいことに、とぼけて見せた。
以来ジャックはこの事を「貸し」と呼んでいるが、フィリップスにはその認識は多分ない。
一方、助手席で現地のFMラジオから流れる音楽を聴いている優吾は、
「今日は何食べるんだ? やっぱりボローニャだからボロネーゼかな」
などと悠長なことを言っている。
「優吾、昨晩も言ったがまだ安心する時じゃない。フィリップスには一度手痛い失敗をさせられている」
またその話か、という顔をする優吾。
「ステパンもお前の事を気に入っている。それから、このチームには知っていると思うが、マサトミがいるからな。いろいろと良いことがあるんじゃないか」
マサトミ、とはセカラシア福岡からベルギー1部のアントワーペンに移り、大活躍が認められてスポルティーボ・ボローニャに移籍していたセンターバック、正富
「正富さんは別に日本人の同僚なんて欲しくないんじゃないかな。あの人はもうチームの中核だし、ミラネーゼとか、FCローマンみたいなビッグクラブからのオファーも来てるって話だから」
「お前のそういう所は良いと思うぞ。できるだけ日本人が複数いるチームに行きたがる日本人選手の方が多いって聞くしな」
「太陽高速」アウトストラーダA1はトスカーナの丘陵地帯に沿うように建設されたため、アップダウンと高速コーナーが連続するドライバーに緊張を強いる区間だが、エミリア=ロマーニャ州に入るとパダーノ平原が広がり、一転起伏が無くなって景色もあまり面白いものではなくなる。
ジャックは少し深酒をしたため、少々眠気を催していた。
「少し飛ばすか。眠気も飛ばさねえとな! ハハハハ!」
「まだ酔ってるの? ジャック」
優吾はそう
「正富、移籍金18億円でローマンへ」
正富の移籍についての飛ばし記事だ。
「18億円ってユーロだといくらだっけ? 大体1500万ユーロか。正富さんローマンFCに行くってことになってるけど、本当のところはどうなの?」
「さあな。でも、俺は動かないと思うぞ」
「なんで? いい話じゃないの? ビッククラブだし、ボローニャにとってだって1500万ユーロは大きいよ」
「マサトミは試合に出ることが最優先だって話だ。ローマンには良いセンターバックがたくさんいるからな」
ふうん、と言って優吾は沈黙した。
そして
「俺はビッグ・クラブでやっぱりスタメンになりたい」
ジャックは少し驚いて優雅な顔をみた。
「ああ、ユウゴならなれるさ」
優しい顔に変わるジャック。
「でも、一足飛びって訳には行かないぞ」
「分かってる。とにかく今日も結果を出さないと」
自分には十分な実績がない。
ビッグ・クラブから「欲しい」と呼ばれるようになるには、結果が必要だ。
ボローニャも、フィレンツェも決して弱者ではないし、規模も小さくない。
しかしながら、優勝を争うにはピースが何枚か足りない。
資金力もビッグ・クラブとは比べ物にならない。
その意味では正富もビッグ・クラブへの階段を登り始めたばかりで、2シーズンほど活躍したがローマンに移籍できても、レギュラーが取れる確約などない。
優吾は自分を正富に重ねて見ているのだろう。
今日の優吾は昨日みたいにやってくれそうだと、ジャックは目を細めた。
しかし次の瞬間、ジャックは大声をあげる事になった。
「クソッ! なんて事だ!」
驚く優吾。
「どうしたの? そんな大声あげて」
「速度取締機にやられた」
眠気を取ろうとスピードを上げたのが仇になった。直線の続くこの区間には時折速度自動取締機が設置される。パダーノ平原の罠に嵌ってしまった訳だ。
いつも陽気なジャックが憔悴している。
優吾は少し笑ってしまった。
「笑い事じゃない!
「遅くまで飲んだからだろ。自業自得だよ」
優吾の言葉には、流石にジャックも抗弁できない。
落胆したままジャックはA1からボローニャ市街にアプローチするA14に入り、まもなく高速道路沿いにあるスパルディーボ・ボローニャの練習場に辿り着いた。
「さあ、仕事だぞ」
ジャックはニヤリと笑って言った。
「うん。やってやるさ」
優吾には自信がありそうだ。
昨日のフィレンツェでの練習で、優吾はこのままイタリアリーグに入ったとして、自分の立ち位置が明確になったためだろう。
そう、今日の優吾も何かやってくれる。
ジャックはそんな気がしていた。
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