第26話 間合い

 スポルティーボ・ボローニャの練習場は郊外のカステル・ボーデレ地区にあり、周りは高速道路を挟んで倉庫街であったり郊外型の店舗が並ぶエリアだ。


 人口四十万人の地方都市にある中堅どころのクラブチームではあるが、歴史は古く、スクデット(リーグ優勝の盾)を取ったことも過去七度ある名門である。


 ジャックと優吾は約束の時間通りにクラブハウスに到着し、受付でテクニカル・ダイレクターであるパオロ・フェラーラを呼び出した。


 五分後、パオロは二人のところにやってきて、


「時間通りだね」

 とウィンクしながら言った。


「遅れるわけにはいかないからね。まあお陰様で3か月後に速度違反の罰金を支払う羽目になったがな」

 ジャックはまだ速度違反について悔いているようだ。

 

 パオロは、


「移動式の速度取り締機だろう? あれ、動いてるのか?」

 と、速度取り締り機そのものの信頼性に疑問を持っているようだ。


「ボローニャの警察も予算不足らしいからな。しっかり請求は来るって話だ」


「お気の毒様だな、ジャック。おっと、こっちがユウゴだね? チャオ、ユウゴ」


 優吾はパオロの陽気な感じが好きになった。

「パオロ、卯月優吾です。よろしく」


「お、なかなか良いイタリア語の発音だね。サッカーの方はどうなんだい?」

 パオロの眼の奥は笑っていなかった。

 

 優吾も一瞬でパオロのモードが変わったことに気が付いた。


「イタリア語を話すよりはもっと得意だよ」

 

「そうか、楽しみだな。今日は所用でステパンは練習中は来ないんだ。僕が合否を決めるけど構わないかい?」


「もちろんだよ」

 ジャックは口を挟んだ。


 異論などあるわけもない。

 パオロは監督であるステパン・ニコリッチよりこのテストの採用に関する全権限を委譲されている事を知っていたからだ。


「それはそうと、ステパンは元気かい?」


「ああ元気だよ。残念ながら今日はBチームの試合の視察なんだ。ジャックに『よろしく』って言ってたよ」

 禿げ上がった頭を撫でながらパオロはそう答えた。


「さあ、ユウゴ。君のために練習着を用意させたよ」

 そう言って手に持っていたRossoblu赤と青の練習着を渡した。


「ありがとう。着替えはどこで?」

 

「ロッカールームはあっちだ。君のスペースも作ってある」

 テスト生に随分な厚遇だな、と優吾は思ったが、ロッカールームでその理由が分かった。


 ロッカールームのドアを開けると、七、八人の選手が着替えをしていた。

 すると、奥の方から、


「おい、卯月君」

 と日本語で呼ばれた。


 正富丈晴だった。

 身長は188㎝の長身長ながらテレビで見る限りCBにしては華奢そうな印象だが、上半身裸になっている正富の身体は鋼のように頑丈そうだった。


「正富さん、初めまして」


「よく来たね。疲れてないかい?」

 正富は練習着のシャツを着ながらしゃべっている。


「いえ、昨日はフィレンツェでもテストを受けて来たんで調子は悪くありません」


「ほう、フィレンツェも受けたんだ。どうだったの? フィレンツェとウチ、両方とも合格したらどうするつもり?」


「両方受かったら考えますよ。僕は選ばれる立場ですし」

 

「優等生的な答えは要らないよ。本命はどっちなの?」


「昨日のフィレンツェのチームの印象は悪くなかったです。フランシス・リベリーノとコンビを組んでやってみたい気持ちは正直あります。でもそれはあくまでも昨日だけの感覚ですよ」

 優吾は率直にそう話した。


「そうか。僕は君にこのクラブに入ってもらいたいと思っていろいろ手回ししたんだけどな。ほら、こっちが君のロッカーだよ」

 

「正富さんは僕になんでそこまで親切にしてくれるんですか?」


「日本人選手はこのチームでは僕一人だし、一緒にプレーをしてみたいと思ったからだよ」


「でも正富さんにはいくつか良いオファーが来ていると聞いています。それでもずっとこのチームにいるんですよね?」


「やっぱりいつかはビッグクラブに行きたいさ。でも、ここでスクデットを取ったって構わないだろう?」

 正富は試合中のような鋭い眼光を放っていた。


◇ ◇ ◇


 実際に練習が始まり、午後には昨日同様優吾のセレクションのために紅白戦が組まれていた。

 優吾は控えチームのワントップとして出場した。


 攻撃時のマッチアップは、センターバックの正富となる。


 前半5分、右ウイングからのラストパスで抜け出した優吾に正富が直ぐに対応、寄せのスピードにびっくりしている間に正富の右足でボールを簡単に失った。

 

 優吾の足元の技術は非常に高く、キープ力がある方だ。


 しかし、正富はその高い上背を活かした空中戦を制する力が強いことで一定の評価がある一方、攻撃側の選手との間合いの取り方が巧みで、一対一デュエルの強さはこのイタリアの地でも有名なのだ。


 前半はその後2度ほど正富と一対一の場面があったが、いずれも正富に軍配が上がった。


「このままじゃ、アピールができないでテストに落ちちまう」

 そう吐きだすと、優吾は唇をぎゅっと噛み締めた。


 タッチラインの方を見やると、パオロと目が合った。

 ニコリともせずこちらを見ている。


「ヤバイな。この様子だと後半はないものと思わなきゃ」


 前半43分、右サイドバックの控え選手からトップ下に浮き球のパスが出た。

 相手チームのアンカーと空中で競ると、ボールはカバーで少し下がり気味の位置にいた優吾の左脚に収まった。


 ドリブルを開始する優吾にすかさず正富が付くが優吾はスピードを落とさない。

 高速のダブル・タッチで正富を抜き去ろうとしたが、正富は身体をすぐさま反転させて長い右手を優吾の胸辺りにねじ込んできた。 


 優吾も想定済みのようで、慌てず競り合っている。


「俺だって体幹は結構鍛えているんだぜ」

 後数分で目に見える結果をパオロに見せつける必要がある優吾は、ショルダータックルされてもボールを失わず正富のプレッシャーを跳ね返してついには抜き去った。


 もう一人のCBセンターバックが寄せてきたが、距離は十分とみてミドルレンジのシュートを左脚を振り抜いて放った。

 ボールはCBのつま先を掠めて、ゴールポストを叩いた。


「くそっ!」

 優吾はゴールを決められず顔を両手で覆おうとしたが、その手が止まった。

 

 跳ね返ったボールを詰めていた右オフェンシブハーフがそのままダイレクトで決めたのだ。


 

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