第二章 千葉、東京

第8話 不信感

「本当に申し訳ない事をしました」

 パリ警視庁の正門で、ヴァンサンはニコラと共に釈放されたジャックに誤認逮捕の事を詫びた。


「まあ流石に笑って水に流すって訳にもいかねえけど、旦那が俺のリール時代のシャツを持っているって事で俺は騒ぎ立てたりしない事にするさ」

 そうは言ったものの、ジャックの本心は偽物の優吾を見抜けなかった件を蒸し返されたくなかったのだ。


「そりゃあどうも」

 そう言ってヴァンサンは握手の手を差し伸べたが、


「旦那、今のご時世はこれですぜ」

 とジャックは言って肘を突き出した。


「ははは、そうでしたね。これは失敬」

 ヴァンサンは照れ隠しに笑い、続けて、


「ところでその、本物のユウゴ・キサラギとはどうするのですか?」

 と訊いた。


「そうだなあ、まあジャン=クロードにも確認してチームの意向も聞いたんだが、ケチのついた移籍だから白紙になったって事だった」

 ジャックは残念な顔で言った。


「まあ、そうでしょうな。ジャン=クロードらしい考え方です」

 ヴァンサンがそう言うと、


「ところで旦那。あんたとジャン=クロードは一体どんな関係なんだい?」

 と、今更ながらジャックが違和感を感じていた事を聞いた。


「彼は表向きの顔はクラブチームのGMですが、もう一つの顔は警察にとっての情報屋なのです」

 ジャックはヴァンサンの言葉に衝撃を受けた。


「あのジジイが、この件で何を知っていたっていうんです?」

 

「流石に私もそれを職務上明かすわけには。でも彼は裏社会にも通じている。まあこの辺で勘弁してくださいや」

 お互いに痛い腹の探り合いになりそうだったのでその話はもう止めようとジャックは、


「で、本物の優吾の聴取は日本の警察が行うんですよね」

 と言った。


「まあICPOインターポールは自分で捜査はしませんし、そもそも私は蚊帳の外です」


「オレがあんたの立場なら、日本の警察なんかにこの件を任せたくはないですけどね。いや、単なる戯言ですが」

 ジャックは少し出過ぎた事を言ったと思い顔を少し顰めた。


「いや、その件なんですけどね」


「えっ?」


「日本に捜査へ行こうと思ってるんですよ」

 ヴァンサンが思わぬ事を言い出したので、ジャックは大声を上げた。


「警部!」

 ニコラはキツくヴァンサンを睨んで叫んだ。


「あー、訂正させてくれ。日本に『旅行』に来週立つんです」

 ヴァンサンは面倒くさそうに言った。


「そうなんですか」

 ジャックは言いにくそうに、


「あの、オレと一緒に付いて行けませんか? 旦那」

 と提案した。


「あんたも今の感じでは公式な職務でなくユウゴの取り調べをするつもりなんでしょう? どうやってヤツに接触するつもりなんですか?」

 ヴァンサンにはこれと言ったプランがある訳でもなかった。


「ま、まあ日本にもそれなりにコネはありますし」

 ヴァンサンは出まかせを言った。


「オレはユウゴの所属していたガビアータというチームのGMにこの件について責任の所在をハッキリさせておきたい」

 ジャックはニヤリとしながらそう言った。


「だから本物のユウゴとオレはビジネス上、会う権利があるんですよ」

 ヴァンサンは天啓だと感じた。


 これで私的にユウゴ・キサラギに面会できる。始末書を書く必要もない。


「こちらからもお願いしていいですか? グノーさん」


「ああ、『ジャック』と呼んでくれ」

 ジャックはジャックでパリ警視庁のCBとパイプを作るにはもってこいのチャンスなのだ。


「ではジャック。私の事は『ヴァンサン』と」

 そうヴァンサンが言うと、ジャックは手を差し伸べてきた。


「あの、こうした『ご時世』ではなかったですか?」

 ヴァンサンがそう言うと、ジャックは苦笑いして、


「これは一本とられたな」

 と豪快に笑い飛ばして手を引っ込めた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「優吾、園田さんがお見舞いに来てくださったわよ」

 優吾の母、如月千穂は自宅のある成田市内にある「北総共済病院」の個室に入院している優吾に、ガビアータ幕張のGMである園田の来訪を告げた。


「会いたくないんだ」

 今回の件で優吾は既の所すんでのところで救い出されたが手足を結束されて数日間自由を奪われ、飲み食いは愚かトイレにも行けないという悲惨な体験をしたため、塞ぎ込んでいたのだ。


 流石に身体能力の高い優吾だ。常人よりも回復は早い方だが、それでも十分な休養を医師から厳命されていた。


「そんな事言わないの。お通しするわよ」

 ちょっと待って、と言いかけたが、園田はすぐに個室に入ってきた。


「優吾、災難だったな。思ったより元気そうだ」

 優吾は何も答えない。


「どうした? そりゃあショックだっただろうし、移籍の件も一旦白紙にしようって事にはなったがまたウチでやればいい」

 優吾は園田の艶のいいオデコを見て、


「GMはオレを厄介払い出来なくなったんで困ってるんじゃ?」

 と拗ねた感じで言った。


「そんな事はないさ。お前の能力の高さは高橋さんBチーム監督も認めてるんだし」


「じゃあなんで」

 優吾はそう言いかけて止めた。


「ウチのチームは一人の才能に頼った戦術は持っていない。お前のお陰で勝ちを拾ったことも、負けを凌いだこともあるのはオレだって分かってるさ」

 園田は続けて、


「トップチームにいた雅志を知っているだろう?」

 雅志とは、天才ドリブラーと喧伝された、ロンドンオリンピックの代表選手、不破雅志の事だ。


 優吾はガビアータのジュニアユースチームに入ったキッカケを作った雅志の事を未だに慕っていた。


「ええ、まあ」

 園田は引退後暫くフランスのチームでコーチを務めていたため、優吾がガビアータに入団した経緯を知らない。

 そのためか園田の言葉はいつも軽く、優吾には響かないのだ。


「雅志のあの怪我さえなければ、今頃ガビアータはJSL-Aのタイトルをいくつか獲っていたかもな」

 

 園田の言う「あの怪我」とは2012年のJSLカップ、アンギーラ浜松との準決勝で起きた。


 その試合はテレビ中継されておりアナウンサーはその時のプレーをこう実況していた。


「ガビアータ、ブロックを敷いてアンギーラ山下のボールを奪った! ボールを奪った河南から右サイドに展開、そのまま中野がライン際を持って上がる! 中野、アーリークロス気味に前線に張っていた不破にセンタリング! あーっと、合いません。ボールはそのままタッチを割ってアンギーラボールでのスローインに変わります」


「あれ、大丈夫ですかね?」

 そう声をあげたのは解説で放送ブースにいた元日本代表監督の橘功雄だった。


「おーっと、ガビアータ中野からのセンタリングに合わせようと飛んだ不破と、アンギーラセンターバックの真鍋がもつれて倒れたままです」

 画面は苦痛に顔を顰める不破雅志の顔を大映しにした。

 相手ディフェンダーが空中で不破のシャツを引っ張っため、バランスを崩して着地した脚は間違った方向に一瞬だが曲がった。

 不破はその怪我で手術、リハビリを1年半掛けて復帰したが、パフォーマンスが元に戻ることは二度となかったのである。


「あの怪我で、カップ戦に負けたのはもちろんのことガビアータはガタガタと順位を下げた。終わってみればギリギリ15位だ。雅志がいた時は4位だったんだ」

 園田は優吾を起用しない理由を不破に擬えて説明したつもりだった。


「その時の監督は、誰でしたっけ」

 鋭い目で園田を睨む優吾。


不破を失い、チームを立て直せなかった張本人は園田だったのだ。

 

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