第11話 警告
本物の
IPCOから卯月優吾の案件を嘱託されている警視庁からの呼び出しに応じたのだった。
朝から水銀柱は30°Cを超え、コロナウィルス対策のマスクをしている人も疎だ。
おまけに湿度は74%、不快指数は100%だ。
温暖化の影響によりフランスでも近年35°Cを超えることもザラになったが、この湿度とは無縁だ。
サラリと乾燥した夏しか知らないヴァンサンには、この高温多湿は堪える。
ヴァンサンは昨晩ホテルのバーでジャックと深酒をしていた所電話で警視庁の刑事を名乗る男から来庁するよう流暢なフランス語で要請された。
それで仕方なくホテルのある品川からJRと地下鉄を乗り継いで桜田門までやって来たのだった。
朝の通勤ラッシュで高い乗車率には反吐が出そうになったが、パリの地下鉄とは違い東京メトロの車両にはエアコンが効いているのには驚いた。
それでもヴァンサンはこの時期に自ら好んだ日本へやって来た事を後悔していた。
通された部屋から窓の外を見ると、皇居が見える。
もっと手前に視線を合わせると、反時計回りに皇居の周りを一周するランナーたちがこの夏の暑い最中走っているのが見えるが、ヴァンサンには狂気の沙汰に思えた。
「こんな高温多湿でマラソンとか、冗談だろ?」
札幌にコースが変わったが、延期の末結局中止になった東京オリンピックでのマラソンがいかに過酷であるかはヴァンサンにも容易に想像できた。
暫くするとドアが開き、若い男が二人入ってきた。
そのうちの一人は制服でいかにも事務方という趣きだったが、スーツを着た若い男が口を開いた。
「ヴァンサン・バイヤールさんですね」
外事第三課第二係の名刺を差し出しながら、北小路誠也は流暢なフランス語でヴァンサンに話しかけた。
昨晩ヴァンサンに電話をかけたのは彼だ。
「一体なんです? せっかくの休暇なのに」
ヴァンサンは北小路の綺麗なフランス語に驚きつつも、呼びつけられた事に対する抗議の意を込めてそう冗談めかした。
「しかしアンタのフランス語は大したもんだよ。どこで勉強したんだい?」
北小路は、
「私の父が外務省勤めでしてね。随分と長い間、フランス本国のみならずフランス語圏のアフリカの各国ばかりに赴任していたもので」
さも当然、という面持ちで答えた。
「それで、この旅行者に何の御用で? ムッシュ キタコージ」
「卯月千穂さんからあなたに対する抗議の連絡をいただきましてね。それでお呼び立てした訳です」
とぼけたような言葉を操るヴァンサンに対して、北小路はずばりと切り込んだ。
「あなたがやっていることは違法捜査だ。分かっていますか? ムッシュ」
「いや、オレは友人の付き添いでたまたまあの場に居合わせただけだよ」
「まあいいでしょう。そういう事にしておきます。しかし、『次』はありませんよ? ムッシュ」
北小路の言葉に、首をすくめるヴァンサン。
「我々はICPOからこの
「しかし被疑者は日本にはいない。何が出来るんだ? キタコージ」
「あなた方にしっかりと誰を追うべきなのか、それを徹底的に調べる。それだけです」
ほう、とヴァンサンは相槌をうち、笑顔になったが、
「では良い旅を」
と北小路に「手出しをするな」を暗喩で釘を刺され、また仏頂面に戻った。
「じゃあ、オレはこれで」
ヴァンサンが立ち去ろうとすると、
「ご安心ください。我々警視庁が被疑者の身元をしっかり調べますから」
と北小路。
「あなたのすべき事は、フランスでその男の身柄を確保することです」
ヴァンサンは北小路の
「ああ、頼りにしている」
皮肉と取られても構わない一言を残して部屋を後にした。
警視庁本部庁舎の出入口からヴァンサンが出てくるとニコラが妻、ペリーヌと共に待っていた。
「どうでした? 日本の警察は」
ニコラは興味半分、心配半分に聞いた。
「ああ、誇り高き猟犬、という感じだったな」
ヴァンサンはそう答えた。
「優秀、という事ですね?」
そうは言ってないぞ、という顔つきでヴァンサンはニコラを見た。
「あなた、これで日本での『お仕事』は終わりでしょう? これから楽しみましょうよ」
ペリーヌは元よりヴァカンス中の捜査には否定的だったので、思いの外早く日本での活動にダメ出しされたのを密かに喜んでいたのだった。
「今日はどうしましょうか。ねえ、ニコラ。昨晩のヤキトリは最高だったわよね? そして冷たいサケ。白ワインよりも芳醇で料理にはピッタリだったわ!」
昨晩、ペリーヌはニコラと共に西新橋の「炭火焼 鳥越九郎」という焼き鳥の名店で舌鼓を打っていた。
余程気に入ったのであろう、日本食に対する好奇心が抑えられなくなっている。
確かに卯月優吾の母、千穂に抗議されるとは予想もしていなかった。晴天の霹靂だ。
こんなに早く「捜査」が出来なくなるのは誤算だった。
ヴァンサンは仕方なく、
「ペリーヌ、今日はどこへ行くつもりなんだい?」
と訊いた。
(しかしまだ諦めたわけじゃ無いぞ)
口に出すことはなかったが、ヴァンサンはかからの中でそう呟いた。
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