第10話 疑心暗鬼

「君がユウゴなんだな?」

 入院先の病院の個室でジャックは本物の卯月優吾にようやく会うことができた。


「用済みの選手に、何の用ですか?」

 優吾は既にサルペートリアルFCへの移籍話が白紙に戻ったことを知っていた。

 チーム通訳を通じて下を向いたままそうジャックに冷たい言葉を放つのも不思議はない。


「随分なご挨拶じゃないか。オレも被害者なんだぜ?」

 口を少々尖らせたジャックは続けざまに、


「それで、ガビアータに戻るつもりなのか?」

 と訊いた。


「いえ。そのつもりはないです。どうせ飼い殺しにされますから」

 

「それなら話は早い。ソノダには『優吾の意向を尊重してくれ』と言われていたんだ。もしユウゴがガビアータに戻ると言ったら、オレはこのままフランスに戻るつもりだった」

 飼い殺し、という言葉を優吾が発したのには驚いた。つい先ほどジャックは園田と高橋にそう言って啖呵を切っていたからだ。


「滞在許可も出ないし、ビザなしでシェンゲン協定国であるフランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダのトライアウトを受けてみるっていうプランを持っている。どうだ、ユウゴ」

 優吾は顔を上げた。


「サルペートリアルは身分を保証すると言ってくれたから渡航するつもりだったんだ。身分の保証もなく金を使うわけにはいかないよ」

 優吾はともすれば呑気とも思えるジャックの提案は気に入らなかった。


「なあユウゴ。『身分が保証されている』っていうのはどういう意味だ? オレはプロとしてサッカーを15年続けたが、一瞬たりとも身分が保証されていたことなんてなかった」

 優吾の眼をしっかりと見据えてジャックは言った。


「甘い考えは捨てるんだ。お前は出場機会を得たくてこのチームを出るつもりだったんだろう?」

 優吾は、


「ああ、そうだよ。自分に自信がないからこういうことを言っているんじゃない」

 とジャックに返した。


「ではどういうことだ」


「自分を安売りしたくないんだ。頭を下げて採ってもらうなんてまっぴらゴメンだね」

 

「それは実績のある人間が言っても良い事だな。お前がまずしなければならないことは、お前の実力を証明することだ」

 ジャックは内心、優吾の事を「跳ね返りの面倒くさい奴」と思ったが、それ以上言うのを思いとどまった。

  

「金の事なら心配するな。オレが先行投資で持ってやる。その代わりお前はオレの専属だ。お前をビッグチームに移籍させてきちんと回収させてもらうからな。


「悪くない話だね」

 優吾は一言そう呟いた。


「私からも少しいいかな?」

 ヴァンサンが口を挟んだ。


「オレはヴァンサンと言う。ジャックの友達なのだが、刑事をやっているんだ。」


「刑事…ですか?」


「まあ警戒されても仕方ないか」

 肩をすくめるヴァンサン。


「ジャックは君を騙る男にテロリストの濡れ衣を被せようとしたんだ。それは知っているね?」


「ええ。警察の方にはそう聞きました」

 自分の不遇からか、優吾の答えは何か投げやりな言い方だった。


「その男は、君の知り合いか?」

 ヴァンサンは単刀直入に聞いた。


 ヴァンサンには、一瞬、優吾の眼が泳いで、病室の入り口の前に立っていた千穂を見た気がした。しかしそれはほんの一瞬だった。


「知りませんよ! 何しろいきなり後ろから羽交い絞めにされて何かを嗅がされたんです。それからの記憶がなくて、気が付くと縛られて車の中でした」

 優吾は激高しつつもしっかりと抗弁した。


「手がかりが欲しい。ジャックは君の写真と偽の君の些細な違い ――身長は偽物が高く、顔は似ているが少し大人っぽく見えた―― を見つけていたんだ。誰か心当たりはないかい?」

 

 必死に手がかりを掴もうとしているヴァンサンの援護なのか、ジャックは言った。


「その偽物はユウゴのチームでの立場をきちんと把握している奴だった。園田さんや高橋さんから君がチームの戦術から構想外だって事とかね。これはチームの関係者以外知り得ないことなんじゃないかな?」

 と尋ねた。


「いえ、僕がGMや監督から干されているのはほかのチームも知っているでしょう。試合で僕が何点取ろうがスタメンもないし、昇格もない。他のチームも気が付かないほうがおかしいですよ」

 そう聞いたヴァンサンは溜息を付いた。


「何か知っていると思ったんだがなあ。残念だ。しかし、自分を騙った男が、君のパスポートを持っていまだにヨーロッパの中に潜んでいるっていうのは君だって気分が悪いだろう?」

 

「ええ、もちろんです。早く捕まえてくださいよ」

 ヴァンサンは、千穂の方を向いて、


「お母さんはこの件を何かご存じのようですね?」

 と断定口調で訊いた。

 千穂は、いきなり何事が起こったか分からなかったが、通訳がそれを伝えると、


「わ、私が何を? 何を知っているというんですか?」

 と、かなり慌てた様子で反応をした。


「おや、何かご存じだと思ったんですがね。それは失敬、私の思い違いでしたね。お母さん」

 と謝罪を述べた。


 ジャックは、

「とにかく君は早く回復するように栄養をつけるんだ。ソノダと高橋にはオレの方から退団の意向だと伝えておく」

 と伝えると優吾は、


「国内には移籍先はないのか?」

 と聞いてきた。


「これはオレの私見だが……君の能力は、日本の枠では狭すぎる。もう君は21歳だ。身体能力は今がピークで、よくて後3~4年それが続けばいいだろう。今、ヨーロッパに行かなければ必ず後悔する」

 ジャックはそう断言した。そして、


「国内に移籍先はあるにはある。JSL-C3部リーグのチバリヨーデ名護には、フランス人監督のアランがいる。クチは聞いてやってもいいい」

 憐れむような表情でジャックは優吾にそう伝えた。


「少し、考えさせてくれないか」

 優吾はそう応えた。


「自分が何か大きなものに巻き込まれているのが、怖いんだ」


「ああ、分かるぜユウゴ。しかし歩みを止めてはだめだ。時間は取り返すことができない。ピークを逃した日本人選手は誰一人として大成していなんだからな」

 ジャックがそう言うとヴァンサンは、


「優吾、お母さん、どんな些細な事でも構いません。私の日本での滞在先と携帯電話の番号はこちらです」

 と言ってメモを優吾に渡した。


「事件のことはともかく、君にとって最高のキャリアの選択をしてほしい。一サッカーファンとしては、できれば君がフランスリーグで活躍してくれることを望んでいるよ」

 そう言い残し、千穂に日本人式のお辞儀をしてから、ヴァンサンは病室の外にでた。


「メールでもいい。電話でもいいぞ。ユウゴの気持ちが固まったら、直ぐに連絡をくれ。」

 そう言ってジャックもヴァンサンに続いた。


 病室を出て廊下で二人は歩きながら、


「ユウゴはオレと一緒に来ると思うか?」


「オレは80%は来ると思うぞ」


「そうであって欲しいがね」

 と移籍の見通しの話をしていたが、


「あと、これはオレの勘だが……優吾も、お母さんも何か知っていると思う」

 ヴァンサンはそう言ってどうしたものかと思案顔をして黙ってしまった。


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