第15話 決意

「話があるんだ」

 たどたどしい英語で優吾から電話があったのは次の日の朝だった。

 

 ジャックは、優吾がフランスに付いて行くことを決心したのだと直ぐに悟った。


 ジャックはちょっと小躍りしたくなった。


 それもそのはず。優吾ほどのストライカーをほぼ無償で移籍させる事ができるのだ。

 

 しかしその気持ちを抑えて言った。


「どうしたんだ? こんな朝早くから」

 移籍金のことだけでは無い。


 ビデオで見た優吾のプレーに、ジャックはすっかり魅了されていた。


 優吾にそれを悟られたら、色気を出して他に目を向けてしまうかもしれない。

 

 それがジャックには怖かった。

 

 その態度が奏功したかは分からないが、優吾は、


「俺、あんたに付いて行くことにしたよ」

 と、決意を込めて言った。


「そうか」

 務めて素気なく振る舞うジャック。しかし拳を強く握っていた。


「どうすればいい?」


「ユウゴ、君のお母さんは賛成しているのか?」


「もちろんだよ」


「じゃあ、」

 そう言いかけてジャックは少し黙ってから続けた。


「なあ、オレとお前はこれからはパートナーになるんだ。お互い隠し事は無しで行こうや」


「えっ、」


「そりゃぁそうだろう? お前は俺を頼って海外への移籍を果たしたい。俺はお前を売り込むんだ。お互いに信頼し合わないのはマズい」


「信頼ってどこまで自分のことを話せばいい?」

 優吾は英語の実力もあるが、やや曖昧な聞き方をした。


「端的に聞こう。『アイツ』は誰なんだ? 話はそれからだ」


 優吾は沈黙した。


 ジャックは辛抱強く待つことにしたが、電話で双方が沈黙しているのはなんだか滑稽な気がしてきた。


「今話したくなければ、直接会って話そう。オレは今、トーキョーのグランドパレスホテルに居る。ここまで来れるかい?」


「オーケー、そっちに行くよ。もう昨日退院したんだ」


「それは良かった。会えるのを楽しみにしている」

 優雅からの電話は切れた。


Je l'ai fait!やったぞ

 と、ジャックは短く吠えた。


 するとすぐに日本の法律事務所へ電話をかけた。


「やあ、オレだ。ジャックだ。はいるかい?」

 電話に応対した事務の女性は「少しお待ちください」

 と、極めて事務的な受け答えをした後、ジャックの携帯からはサティの音楽が流れてきた。


「サティよりショパンの方が良いのにな」

 と独りごちるといきなりサティの音楽は途絶えて、濁声が聞こえてきた。


「ようジャック。日本に来ていたのか?」

 斎藤国際法律事務所の弁護士、田中明仁の声だった。


「タナカさん、二つ日本での案件がまとまりそうなんだ。契約書のドラフト下書きを作って欲しいのだが」


「分かった。いつまでにだ?」


「二つとも至急だ。なに、ひな形があるだろう? レビューに何人も掛けなきゃいけない文芸作品じゃないんだ。ちゃっちゃとできるだろう?」


 田中は電話でも苦虫を嚙み潰したような表情をしているのが分かる。


「おいおい、契約書を簡単に言ってくれるじゃないか。ジャック、お前さんの契約書はバイリンガル仕様でなスキームをいっぱい絡めてやがるから難しいんだよ」

 ジャックは存外なことを言われて少し怒っている。


「タナカさん、『なスキーム』は随分なご挨拶だな」


「まあそう怒るなって。これでも褒めてるんだ。選手想いのいい契約書だと思うぜ?」

 ハッとして、少し照れながらジャックは続けた。 


「明後日には日本を立ちたいんだ。うかうかしているとヨーロッパの移籍市場は閉じてしまうし」


「ああ、首尾よければ明日の夜にはホテルに届けられるよ」 


「それは助かる」


「特急料金を頂きますがね」


「がめついな」


「これも商売なので」

 ジャックは、いいだろう、と言って電話を切った。


 「さて、パンドラの匣を開けてないと良いんだがな」

 



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