シンジケート
Tohna
第一章 パリ、ミュンヘン
第1話 端緒
「
耳に聞こえてきたのは自分の名前だけ。優吾はフランス語を殆ど解さない。
「Je ne
事前にいくつかの会話文を暗記してきたので、その一つを披露すると男は、
「
と冗談交じりに返してくる。優吾はなんとなくではあるが、ジャックが何を言ったかが分かった。
ジャックは英語に切り替えた。
「英語なら少しはわかるな? 漸く会えたな。ジャック・グノーだ。ジャックでいい」
「ユウゴ・キサラギです。よろしく、ジャック」
握手の代わりに肘を出した。
「
ジャックは顎をしゃくって進行方向を示した。
「写真より随分と男前じゃねえか。ガビアータのジャージを着てるしまあユウゴに違いないと思って声をかけたんだ」
「それはどうも」
優吾は素っ気なく返した。
「おお、その荷物は俺が持ってやるよ」
ジャックは優吾の肩に担いでいたPumaのボストンバッグを指差して言ったが、
「ありがとう」
優吾はそう言うと、引いていたスーツケースをジャックに手渡した。
黒髪の長髪、オークリーのサングラスをカチューシャのように頭に掛け、黒いジャケットに革のパンツを履いた
歩いている途中もジャックの携帯電話にはひっきりなしに電話が掛かって来ていた。
優吾にはフランス語でまくしたてる電話の会話は全く聞き取れないが、感情豊かに電話でまくしたてるジャックに、
「随分忙しいそうだね」
と話しかけたが、またすぐに電話がかかってきて遂に返事はしてもらえなかった。
エレベーターに乗り、駐車場のある8階を目指す。エレベーターの中では珍しく電話は鳴らなかった。
他の旅行客はおらず、優吾はなんとなく沈黙しているのは居心地がわるかった。そこで、
「あの、ジャック。明日からのスケジュールなんだけど」
優吾は今後の予定をざっくりでもいいので確認することにした。
そう、優吾はまだ自分が何の立場でサルペートリエールFCに加入するのかが分からなかったからだ。
ジャックはフリーランスのフットボールアスリートのエージェントだ。
「今日はオレの車でまずオステルリッツ駅の傍にあるホテルまで行ってチェックインする。腹は減っているか? 打ち合わせを兼ねてウエルカムディナーに外に出よう」
「うん、わかったよ」
機内食が胃にもたれていてあまり食欲はないが、打ち合わせを兼ねるといわれれば断る選択肢はない。しかし瞬時に返答ができなかった。
「……心配しているのか?」
ジャックは一瞬答えを逡巡した優吾に対して、相好を崩して緊張を解こうとした。
「まあ、心配していないと言えば嘘になるけど。クラブはなんて言っているの?」
「最初は練習生という扱いらしいぜ」
「練習生か」
溜息を一つ付き、優吾はそう言った。
「まあお前さんは日本でも無名の存在だしな。悪いがいきなりお前さんに労働ビザを出すようなリスクはどのチームも取らねえだろうよ」
確かに時期が悪いこともあった。
新型コロナウィルスの世界的パンデミックのため、昨年はほとんど各国のサッカーリーグは試合が催行されず優吾が活躍する場所はなかったのだが、理由はそれだけではない。
ジャックには日本人にコネがあり、日本のプロリーグ、JSL-A(ジャパンサッカーリーグ一部)のガビアータ幕張の
優吾は日本人には珍しいタイプのストライカーだ。
「こんな普段は優等生みたいにおとなしそうな奴が、あんなプレーをするもんかね」
笑顔で話すジャックとガビアータのGMの園田とは、園田が現役時代にフランスプロリーグ ディビジヨン・アンでプレーをしていた時にチームメートであったことからずっと懇意にしていた。
なんでも、「すごい才能だがとにかくチームの戦術にはフィットしないストライカーがいるけど、どこかに需要はないか?」という事だった。
園田が自ら編集したというユースチームでの優吾が出場した試合のダイジェスト版を見て、自分が生まれ育ったパリ13区にあるプロサッカーチーム「サルペートリエールFC」に、絶対的な点取り屋が欲しいという情報をもらっていたことを思い出した。
ビデオで見た優吾は、一言でいえばエゴイストだ。
優吾はチームメートに常にボールを強く要求する。
そしてボールが来れば、少しゴールまで遠くても相手のディフェンダーに囲まれていてもお構いなしに左脚を振り抜いて強いシュートを撃ちまくる。
21歳にして既に強い体幹を持ち、身体能力は南米のストライカーを彷彿とさせる。
信じられない体勢で撃つボレーシュートは破壊力抜群だ。
テクニックは小さなころから自分で鍛えてきたらしく、
失敗しても全く動じない。チームメートから非難されようがお構いなし。
しかし、試合ではここぞという場面で値千金のゴールを今まで叩き込んできた。それ故にチームメートからは一目置かれていた。
目の前にいる優吾はビデオよりも少し背が伸びた印象だ。
「ソノダと何かあったのか? お前みたいな良い
「『トップチームには永遠に昇格させない』ってリザーブの監督と園田さんの両方に言われたんですよ」
ジャックは園田らしいと思った。園田は飛びぬけた才能よりも規律を大切にする男だ。それは現役で一緒にリーグ・アンを闘っていた時と何も変わってはいなかった。
「だからオレはチームを辞めるって監督に言ったんです。そうしたら監督は『お前のやりたいようにできるチームがあるかどうか聞いてやる』っていうんで、話に乗ったんです」
優吾はサルペートリエールFCから、
「渡航費用はこちらで持つので、一度チーム練習に参加されたし」
という打診を受けた。トップチームでの出場経験がなく、ビデオだけでは判断が付かないのは当たり前のことだが、逆に言えばビデオだけでも相当のインパクトを与えることができたという事だ。
しかし、優吾は、
「チームに入れないのであれば行かない」
と断りを入れた。他にも良いオファーがある、とブラフを打って。
するとサルペートリエールFCからは、
「身分は保証しないが、チームには入れてやる。パフォーマンスをみせろ。そうすればきちんと契約する」
という最終オファーが来た。労働ビザの代わりに「滞在許可証」をパリ市から発行してもらったようだ。
優吾は作戦勝ちでこうしてフランスに渡航してきたのである。
「さあ、この車だ。乗れ」
ジャックが指さした8階の駐車場に停められていた車は、悠に20年は経っていそうなメルセデス・ベンツのEクラスのステーションワゴンだった。
「随分古臭い車だね」
優吾はジャックに率直に言った。
「お前、本当はアルゼンチン生まれだろう? 今までお前みたいな日本人は見たことねえよ。わははは!」
ジャックが今まで見てきた日本人選手はみんな遠慮がちで、本音を言わないタイプがほとんどだった。園田がそうであったように。
「新しい車が買えるように、お前がオレのために稼いでくれよ。このままじゃオレのところには一銭も入らないからな」
一応ガビアータとはプロ契約していた優吾だが、チームを移る時に発生する移籍金はほとんどタダ同然だ。
エージェントは移籍金や選手の年棒に対するコミッションで生計を立てているので、練習生で終わってしまうとジャックには実入りがない。
駐車場のゲートをくぐると、ジャックは円盤のような特徴のあるシャルルドゴール空港の第一ターミナルの周回路を一度回って、高速道路A1へ進み南下するルートに入った。
パリの夏は遅くまで明るい。今は午後8時だが優吾には日本で言えば4時くらいの感じに思えた。そしてこの時間はパリ中心部に向かう方向は西日が強い。
ジャックは頭に掛けていたオークリーのサングラスを本来の目的に適うように眼に掛け直した。
「ちょっとだけ遠まわりするぞ」
特別渋滞していたわけでもないのに、ジャックはiPhoneのGoogleマップで示されたA3に入って南下を指図するルートを外れ、そのままA1を走り続けた。
理由は直ぐにわかった。
A1沿いのサンドニにある、
「漸くサッカーがみんなの手に戻って来たんだ。3年後のパリオリンピックではお前もここでプレーできるといいな、ユウゴ」
「オレはその頃はU-23じゃないですよ」
ジャックは頭を掻いた。優吾はコロナウィルスの影響で1年延期された東京オリンピックの世代だったのだ。
「日本人は幼く見える。お前が21歳なんて信じられねえよ」
その時だ。
「ズウウウウン!!」
ジャックの車のかなり前方で、大音響と共にガソリンを積載したタンクローリーが爆発を起こしたのが見えた。
巨大な炎と煙の塊が生き物ののように天に向かって昇って行った。
「ユウゴ、前に屈むんだ!」
ジャックがそう言うや否や爆風とともに熱線がジャックの車を襲った。
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