第22話 友人の妹が何かを決意する話

「そういえば、先輩」

「わっ、復活した……」


 掛布団にミノムシのように包まりながら、顔だけを出した朱莉ちゃんが不意に話題を振ってくる。

 ちなみに俺はせっせとソシャゲで周回に勤しんでいたところだ。


「先輩、大学では部活には入ってないんですか? 陸上部とか」

「部活――まぁ、うん」

「……? どこか曖昧な感じが……」

「ああ、いや。本当に入ってはないよ。部活にもサークルにも」


 嘘ではないので、はっきりと頷いておく。

 まぁ、軽重様々な部活・サークルが存在する大学に置いて、どこにも入っていないというのも珍しいかもしれないけれど。


「じゃあ先輩、最近走っていないんですか?」

「え?」

「いえ、朝起きて走る――みたいなことをされていないようなので」

「確かにそうだね……最近、っていうか大学に入ってからはしてないかも」


 1人暮らしの為の引っ越しとか、家事に取られて朝晩に時間が作れないとか、何かと理由を付けてサボったまま今に至っている。

 うーん、後輩の女の子に指摘されるとは何とも情けない。

 しかし、彼女、どうしてそんなことを気にして……も、もしかして太ってきてるのかな……?


「勿体ないですっ!」

「勿体ない?」

「はい、筋肉は使わないと日々少しずつ衰えていくといいます。先輩は折角陸上で鍛えた体があるのに、今怠けていたら30、40歳を迎えた時にぶよぶよになっちゃいますよ!?」


 う、ぶよぶよ……!

 実際言われるとあまりいい響きではない。


「確かに、最近特に怠けがちだったし、習慣的に走った方がいいかもな……」

「ですです」

「あ、じゃあさ、折角だし朱莉ちゃんも一緒に走らない?」

「え゛」


 明らかに動揺したように、朱莉ちゃんが鈍い声を出す。


「え、嫌だった?」

「い、嫌じゃないです! むしろ光栄というか、思わぬチャンスというか――先輩からお誘いいただけるなんて光栄の極みなのですがっ!」

「なんか大袈裟じゃない……!?」

「いえ……ですが、その、私ですね……走るのはちょっと苦手といいますか」


 朱莉ちゃんはまた少し掛布団の殻に籠りつつ、もじもじごにょごにょと言う。

 意外だ。成績がいいという噂は聞いていたけれど、運動神経が悪いという噂は聞こえてこなかったし。


 それこそ、朱莉ちゃんほどの美少女であれば運動神経が悪いという欠点もポジティブなものに変わる。ギャップ萌えというやつだ。

 当然、彼女のファンである男子連中も放ってはおかなかっただろう。


「う、運動自体は嫌いじゃないんですよ!? でも、走るのは……なんだか目的がはっきりしないというか、ただ走るだけって感覚がその、しっくりこなくて……」

「あはは、じゃあ俺とは真逆かもね」

「うぐ……!」


 しまった、という声が聞こえてきそうなくらい、顔を歪める朱莉ちゃん。というか、若干涙目にもなっている気がする。


「ああいや、そういう意見があるのは当然知ってるし、否定するつもりなんかないよ。俺の友達にも同じようなことを言っている奴はいたし」


 体力が有っても長距離走になると真価を発揮できない奴もいる。

 極端な例だと、サッカーの時間は延々走り回っているのに、長距離の記録は下から数えた方が早い、みたいな。


 そいつも朱莉ちゃんみたく、延々とトラックを周回し続けるのは滑車を回すハムスターみたいで嫌だと言っていた。いや、コイツの方がよっぽど酷い事言ってるな。


「まぁ、朱莉ちゃんが嫌なら別に」

「――いえ、先輩。私が間違っていました」

「え?」

「よくよく考えたら、ただ苦手とかいう理由で目の前に転がっているこのチャンスをみすみす見逃すなどありえませんっ! 宮前の血が泣きます!」

「大袈裟な……でも、宮前さんちの昴くんは目の前に転がってるチャンスをこれまで何度も逃しているように見えたけど」

「兄は宮前家にして最弱ですから」

「へ、へぇ……」


 あんまりな物言いに昴が不憫に思えたが、思い出せば朱莉ちゃんは寝言で昴のことを呟くくらいのお兄ちゃんっ子だ。これも照れ隠し、ツンデレというやつなのかもしれない。


「とにかく――折角先輩が一緒に走ろうと言ってくれたんです。それに、毎日一緒にランニングする姿なんて、まるで…………ですし」

「ごめん。まるで、なに?」

「い、いえ! 今のは独り言ですからっ!!」


 独り言、と言うには前半部分ははっきり喋っていた気がするけど……まぁ、いいか。

 しかし走るとなるとちゃんと準備しなきゃな。シューズはこっちに持ってきていた筈だけど……シューズ?


「あのさ、朱莉ちゃん」

「はい?」

「俺から提案しといてあれだけどさ……靴、どうするの?」


 朱莉ちゃんが持っている靴は、履いてきたローファー。そして軽く外に出歩く際に履くサンダルくらいだ。

 どちらも走るのには適していない。


「そういえば持ってませんでした……!」

「そっかぁ。それじゃあ厳しいかもね。変な靴で走って足痛めても大変だし」

「……いえ。折角の先輩からの持ち込み企画。これに応えられずしてどうして覚悟など示せましょうか……!」

「朱莉ちゃん? 変なスイッチ入ってない?」

「こうなったら先輩、あの手しかありませんっ!」


 布団をがばっと取り払い、ベッドの上で固く拳を握る朱莉ちゃん。


 その目は爛々と、いやメラメラと決意の炎で燃えていた。

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