第27話 友人の妹と一歩近づく話

 ああ、なんて迂闊なんだ俺は。

 ナンパされている朱莉ちゃんを救出し、その手を引っ張って歩きながらも俺は自分に対する苛立ちを抑えられずにいた。


 表面上は笑顔を浮かべながらも、体調の悪い朱莉ちゃんを1人放置していった迂闊さにはほとほと呆れてしまう。


 俺が渡したドリンクを嬉しそうに飲む朱莉ちゃんを見て、少しは気持ちも落ち着いて――冷静に考えてみれば、そりゃあ男だったら声を掛けたくなるよなぁ、と納得してしまう。


 朱莉ちゃんは文句なく美少女だと思う。俺はそういうことに疎いとよく周りに言われるけれど、このことなら自信を持って言える。

 今時垢抜けていない、日本人らしい黒髪――一般に、髪色が明るい方が印象も明るくなるという話を聞いたことがあるけれど、彼女の髪は幼さを感じさせ、きっとナンパ男から見れば慣れていない風に捉えられてしまったのだろう。


 実際、俺から見ても彼女は幼く感じる。しっかり者で真面目という高校の時噂程度で耳にしていた印象とはまるで違う、それこそ年下らしく可愛がってあげたくなってしまうような――


「はぁ、美味しい……」

「良かった。落ち着いたら帰ろうか」

「はいっ」


 朱莉ちゃんはしっかりと頷いて――ドリンクを握っていない、空いている方の手を差し出してくる。


「え?」

「あ――い、いやぁ! これは、その、そのですね……あの……」


 あの、その、と呟きながら、所在なく手を彷徨わせる朱莉ちゃん。俺は一瞬その意味が分からなかったけれど、なんとなく理解して――彼女の手を優しく握った。


「ひうっ!」

「ご、ごめん。違った!?」

「ち、違わないですっ!!」


 彼女の否定に咄嗟に離した手を、今度は朱莉ちゃんから握ってくる。とても、強く。

 さっき、ナンパ男から彼女を助け出す際のことを思い出し、再び彼女の手を握ったのは正解だったみたいだ。

 咄嗟のことだったとはいえ、彼氏面したみたいで怒られるかもとも思っていたのだけれど。


 もしかしたら、まだ少し怖い気持ちが残っているのかもしれないな。


「先輩の手、大きいですね」

「そうかな。普通じゃない?」

「私に比べれば大きいです。しっかりしてて、暖かくて」


 にぎにぎと俺の手を揉むような彼女の手の動きが少しくすぐったい。

 朱莉ちゃんは手を掴みながら、小さく跳ねるように俺の隣に並んだ。


「えへへ、先輩の隣ー」

「なんか楽しそうだね」

「だって今だけは私だけのものですから」


 私だけって……ああ、俺の隣がってことだろうか。

 そんなものいつでも空いてるし、碌に埋まったことがない、大して価値のあるものじゃないと思うんだけどな。

 まぁ……あのナンパ男に比べれば信頼してくれていると思うと、少しは嬉しく感じるものだ。


「あの、先輩。先ほどはありがとうございました。私、ちょっと怖くて、どうすればいいのかも分からなくなっちゃって……」

「お礼を言われるほどじゃないよ。当然だし……むしろ、“俺の連れ”なんて、なんか彼氏面してるみたいで良くなかったかなぁって」

「そんなことないですっ!! むしろ――むしろ、その……」


 朱莉ちゃんは俺の言葉を強く否定し、そして突然勢いを失ったみたいに俯いてしまう。

 けれど、そんな消沈した勢いに反して、俺の手を握る力は強くなった。


「あの、先輩」

「ん……なに?」

「あまり、私に気を遣い過ぎないでください」

「え?」


 朱莉ちゃんはじっとこちらを見上げてそう言った。

 キャップのツバでできた影で目元は暗くなっていたけれど、それでもはっきりと、強い意志を宿してこちらを見つめてきている。


「私が悪いんですよね、変に“女の子として見て欲しい”なんて変なこと言うから……」

「変って、そんなこと……」

「先輩は優しいですから、きっと凄く考えてくれたんだと思います。でも、私気が付いたんです。私、凄く自分勝手なことを言ってたんだなって」

「え?」


 自分勝手などではない。実際に俺は過去、朱莉ちゃんが言ったような妹扱いで誰かを傷つけたのだ。まだ幼い中学時代に犯していた過ちを、大人になった、成長したと思っていた今も繰り返して――

 けれど、朱莉ちゃんは俺の反論を許さないかのように、前に躍り出ると、俺の両手をがっしりと掴んできた。ドリンクはいつの間にかポーチにしまっていたらしい。


「だって、先輩は最初から私を“宮前朱莉”として見てくれてたんですから。宮前昴の妹、先輩とあまり接点のなかった後輩……それが私です。先輩にとっての私なんです」

「朱莉ちゃん……」

「それを私は……先輩に“私が見られたい私”として見てほしいって思ってしまって……だから、あの時言ったことはただの我儘だったんです」


 つう、っと彼女の頬に水滴が流れる。涙なのか、汗なのか、帽子のツバに隠れた今は判断がつかない。


「今でも思いは変わりません。私には、先輩にこう見られたいっていうのがあります。もしもそれを伝えたら――もしかしたら先輩はそう見れるよう努力してくれるかもしれません。でも、それじゃあ本当に私の欲しいものは手に入らないと思うんです」


 ぎゅっと、握られた手に力が籠る。その手は少し震えていた。


「だって、今も、先輩の家に来た時も、その前も……私、先輩と一緒にいると凄く嬉しいんです。暖かい気持ちになれるんです。それは偽物なんかじゃないから……だから私、先輩にお願いなんかしなくても、“見てほしい私”として見てもらえるよう頑張りたいんです。先輩が嫌でもそう見ちゃうような、私に……」

「それって――」

「先輩、余計な詮索は禁止です。そりゃあ私にはこの夏しかないから、少し焦っちゃう気持ちもありますけど……でも、後悔はしたくないんです」


 朱莉ちゃんは俺の手を握ったまま、胸元に寄せる。まるで祈るみたいに。まるで何か想いを込めるみたいに。


「だから、先輩。これも我儘かもしれませんけど……どうか、私のこと見ていてください! 絶対に損はさせませんからっ!」

「あ……」


 そう言って顔を上げた朱莉ちゃんは泣いてはいなかった。

 笑っていた。とびきりの、魅力的な笑顔を浮かべて。


 もしかしたら彼女は“借金のカタ”なんてものとは全く違う理由でここにいるのかもしれない。いや、普通に考えて500円の借金のカタなんてなることがおかしいのだから今更なんだけれど。

 そういう意味ではなく、俺の思ってもないような意図があって、俺の家に押しかけてきたのかもしれない。昴の意志ではなく、朱莉ちゃんの意志で。昴に協力してもらって……。


 ……いや、それは朱莉ちゃんの言った余計な詮索かな。きっと朱莉ちゃんはそれを行動で教えてくれる。それに俺が気付けるかどうか……思い知らされるかどうかはまだ、未確定の未来の中だけれど。

 だから、俺は彼女の言う通り、彼女をちゃんと見ていよう。俺が思うままに。


 世界にたった一人の、宮前朱莉として。


「分かった。見てるよ、朱莉ちゃんのこと」

「――ッ!! はいっ!!」


 朱莉ちゃんは一瞬泣きそうに表情を歪め、けれど、すぐに笑顔で頷く。後ろで結われたポニーテールが大きく跳ねた。

 そして――


「よーしっ! やる気湧いてきましたっ! 先輩、お家まで勝負です!!」

「え? 朱莉ちゃん!?」


 何故か、そんなことを言いだして走り出してしまう。家の方向、ちゃんと覚えているのだろうか――という疑念は置いておくにしても、さっきまでぐったりしていたというのに!


「はぁ……はぁ……」

「思ったより早かったな、ダウン……」


 ものの数分でやっぱり燃料切れになった朱莉ちゃんだったが、その表情は最初よりもずっと生き生きしているように見えた。

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