第7話 兄に叱咤されたり頼み込んだりした話

「私は、先輩と――いつでも話せるようになりたい!!」


 言った。言ってしまった!


 あぁ……顔が熱い。心臓がバクバクする。

 はしたない妹だと思われただろうか……と、思いつつ、恐る恐る兄の方を見ると、兄は呆然と口を半開きにしたまま固まっていた。


「そ、それだけ……?」

「え? それだけなんて……いや、かなり踏み込んだと思うんだけど……」

「あ、あはは、そうなんだ……我が妹ながら中々にピュアというか……」


 兄は深々と溜息を吐く。なんだかそこはかとなく馬鹿にされている気がする。


「繰り返しになるけどさ、付き合いたいとか、結婚したいとか思わないのか?」

「そ、それは……それはまた先の話でしょ! 私、まだ先輩とちゃんと関りも持ててないんだよ!? それなのに付き合うとか、けっ、結婚とか、一姫二太郎なんて――」

「うん、最後のは言ってないな」

「それ、捕らぬ狐の油揚げって言うんだよっ!?」

「捕らぬ狸の皮算用な」


 ぺしっと丸めた雑誌で頭を叩かれる。軽くではあるが、ちょっと痛かった。


「ま、確かに今までの奥手さを思えばこんなものって感じもするけどさぁ……朱莉、はっきり言う。そんな志じゃ無理だ」

「っ……!!」

「いいか、朱莉みたいなやつはゴロゴロいる。生半可な気持ちじゃ、一歩……いや、二歩、三歩前へと抜きんでることなんか永遠にできる筈がない」

「え、永遠に……!?」


 がつん、と強い衝撃を受けた気がした。

 今度は雑誌で叩かれたという訳ではなく、言葉で直接頭を揺さぶられたみたいな感覚だった。


「受験だってそうだぞ。行きたい大学の基準をさらに超えるレベルに達しないと、入試でこける可能性なんかざらに――」

「どうしよう、お兄ちゃん!? このままじゃ先輩、誰かに取られちゃう!!」

「……お前はまだ取った取られたなんて言える段階にねぇよ」


 ガツーン!!

 二度目の衝撃。そうだ、私は先輩にとっては路傍の石。村人A。燃えるごみの日に出された資源ごみみたいなものなんだ……。


「だが、お前の兄が誰か分かってるだろ?」

「外見ばかりのポンコツお兄ちゃん……」

「この流れでそんな悪口言う!? それにそんなのお前だってそうだからな!?」

「私、勉強できるもん! 先輩とお兄ちゃんの入った大学だってA判定貰ってるもん!」

「いや、俺が入ってる時点で自慢にならないだろ……そういうところをポンコツって言ってんの」


 そう苦笑する兄に、私は履いていたスリッパを投げつけようとして――やめた。

 喧嘩は同類の間でしか起こらない。私は兄に怒らないという大人な態度を見せることで、ポンコツではないと証明するのだ。

 

「話を戻すが、俺はお前の想い人の親友だぞ。当然、求への理解もお前なんかに比べたら全然高いっつーの」

「自慢!?」

「自慢することじゃねぇよ……。てかさ、そんな態度取っていいわけぇ?」

「え?」

「そもそも相談してきたのだって、俺なら状況を変えられるかもって思ったからだろ? それなのに俺の機嫌損ねたら……なぁ?」


 兄は意地悪な笑みを浮かべる。

 それを見て、さっと血の気が引いていくのを感じた。

 そうだ、私は兄に頼みに来たのだ。先輩と仲良くなりたいから、変わりたいから、手伝って欲しいって――


「朱莉、人に頼むならそれ相応の態度が――」

「お願い、お兄ちゃん! 力を貸してくださいっ!!」

「早っ! 心変わり早ぁっ!?」


 考えるまでもなく、私は深々と床に頭を擦り付けた。

 ジャパニーズ土下座。古来より伝わる最大級のへりくだりスタイルだ。


「妹よ、なんだかそこまで必死になられるとお兄ちゃん色々心配になるぞ……?」

「だって……だって辛いんだもん! 学校に行ってももう先輩はいないんだよ!? 毎日あれやこれや手を使ってお兄ちゃんの弁当隠したり、先に持ってたりして、昼休みに届けるついでに先輩に会うのが大事な日課だったのに!」

「あれお前だったの!? いや、そんな気もしてたけどさぁ……毎朝、もしかしたら本当に弁当抜きかもと恐怖に震えていた俺の心労を返せよ……」


 ちなみにお母さんも協力者だ。

 私は弁当作りを手伝っていたから、お母さんを味方につけるのは容易だった。

 兄は早弁しちゃうから私が昼休みに届けに行く、と言えばイチコロだった。ふふふ。


「とにかくお願い、お兄ちゃん! この通り! 一生のお願いだからっ!!」

「必死過ぎる……!! つーか、顔を上げろっ! よくよく考えたら妹に土下座される状況ってかなりヤバいから!!」

「粉骨砕身の思いで手伝う、と言ってくれるまで納得しません」

「要求重てぇな!? 分かった、手伝うから!!」


 よし、言質をとった。

 思わず緩む頬を隠すことなく顔を上げると、兄はぐったりと項垂れていた。


「はぁ……なんかすげぇ疲れた……」

「お兄ちゃん、溜息吐くと幸せが逃げるっていうよ」

「ソウダネ……」


 なんだかそれ以上は話しかけづらく、項垂れる兄を前に待つこと数分――


「……思いついた」

「え?」

「思いついた。朱莉と求をガッツリ接触させる方法」

「ほんとっ!?」


 ガッツリ接触というなんとも耳障りの良い言葉に私は身を跳ねさせる。

 どうやら項垂れていた兄はその間に具体的な策を練っていてくれたらしい!

 凄い! 頼りになる! そこそこ好き!


「いいか、朱莉。この作戦は少々危険だ。運にも左右されるだろうし、何よりお前の覚悟が求められる」

「か、覚悟……!」

「けれど、この作戦の第一段階が成功すれば、お前は求と期間限定だがいつでも話せるようになるっ」

「そ、そんな素敵な作戦が!?」

「それだけじゃない……一つ屋根の下でだ!」

「ひ、ひと、ヒトツヤネっ!!?」


 そんなの、もう、結婚じゃ。


「聞きたいか、この作戦を……!!」

「聞きたい! 聞きたいですっ! 今まで生きてきた人生の中で一番知りたいと思った情報かもしれない程度には聞きたいですッ!!」

「分かった。それじゃあその前に――」


 兄は先ほど私に投げ渡したティッシュを指し、言った。


「鼻血、止めろ」

「え? ……あ」


 興奮し過ぎたせいか、私の鼻からはぽたぽたと血が出てきていた。

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