第6話 兄に好きな人について相談した話

「んんっ……ん……」


 ぼんやりと目を覚ます。

 見慣れない景色。自分の家とは違う、不思議な香り。


「すぅ……すぅ……」


 私のものではない、規則正しい寝息。


 そうだ、私、先輩の部屋にいるんだ。


「先輩の、部屋……」


 思わず頬が緩んでしまう。

 まさか、こんなに先輩に近づけるなんて夢にも思わなかった。

 昨日、先輩のもとに無理やり押し掛けて――凄く不安だったけれど先輩は優しく迎え入れてくれた。少し困った感じは出していたけれど、そこからは目を逸らすことにする。


 けれど、目を覚ました筈なのにまるで変わらず夢の中にいるみたいな感覚だ。

 ずっと遠くで、眺めていただけの先輩がすぐそこに……


「~~っ!!」


 自覚した瞬間、妙な気恥ずかしさから掛布団に顔を埋めて唸る私。

 まだ買ったばかりの布団は、新品特有の臭いを放っていて……けれど、それで逆に現実に戻される。


 この買ったばかりの布団はまるで私だ。先輩の部屋の香りにまだ馴染めていない。

 いつか馴染むのだろうか、馴染む前に捨てられてしまうだろうか。この布団の行方を思うと、なんだか他人事のように思えなかった。人じゃないけれど。


 でも、私もいつまでもこんなことをしてはいられない。

 兄の借金のカタなんて、そんな話に先輩がいつまでも付き合ってくれる筈はないし、それにどちらにしろ夏が終われば、私は高校に通うために地元に帰らなくちゃいけない。


 流石に学校を休んでまで居座ることを先輩は許してくれないだろうし、両親も“兄の家で受験勉強に集中する”という話をいつまでも鵜呑みにはしてくれないだろう。

 そんなことは重々承知している。


 けれど、それでも。

 私は決めたんだ。後悔しないように精一杯頑張るって。

 たとえ、先輩に迷惑を掛けてしまったとしても、変な子だと思われても……


◆◆◆


「えっ、お前、求のこと好きだったの!?」


 今年のゴールデンウィーク。大学に入学して1人暮らしを始めた兄が帰省してきた時、私は泣きじゃくりながらずっと秘めてきた想いを吐露した。

 友達にも、誰にも言ったことの無い想いを、よりにもよって想い人と友達である兄に対して。


「そうか……そりゃあ俺も可愛い妹のことなら何とかしてやりたいって思うけど、よりにもよって求かぁ……」


 兄は私の足元にポケットティッシュを投げ置きつつ、困ったように苦笑する。


「先輩、だと、駄目なの……?」

「いや、あいつはいい奴だし、もしも義弟になったとしても悪くない――いや、むしろいいな。面白い」

「義弟って――ッ!? お兄ちゃんっ! 話、飛躍させすぎっ!!」

「そうか? だって朱莉は求のことが好きなんだろ。付き合って、いつかは結婚したいって思わねぇの?」


 至極当然のように無遠慮にそう言ってくる兄に対し、私は相談相手を間違えたかもと思ってしまう。


「分かんない、分かんないよっ……! 私はただ、先輩が好きで……寂しくて、それだけで……」


 そこから先のことなんか、考えたことも無かった。

 私は先輩がいなくて寂しいと思えるほど、先輩に近しい相手ではないから。


 仲良くなりたい。当たり前のように話せるようになりたい。

 そこから先のことなんか――そういう未来を想像しなかったかといえば嘘になってしまうけれど、そんな未来、まるでファンタジーだ。


「朱莉よ、初心なのはいいと思うが、そう奥手なままじゃ求は手に入らんぜ?」

「て、手に――!?」

「そうだな……実際にあったある人の話をしよう。本名を言うと知っている相手だった時気まずいだろうから仮に松本さんとしておこう」


 松本さん……偽名にしては普通にありそうな名前だ。


「松本さんは俺達の1個上の先輩でなぁ。求とは同じ図書委員だったわけよ」

「同じ委員会……いいなぁ」

「いいなぁって……」


 兄が呆れたように溜息を吐く。普段溜息を吐かせる側の兄にこんな反応をされるのはちょっとムッとしてしまうけれど、同時に先輩と同じ委員会に入ったという松本さんに嫉妬してしまったことが恥ずかしくも感じた。


「まぁ、いいや。とにかくその松本さんに求は図書委員の仕事を教えてもらっていたらしく……結論から言うと、惚れた」

「え……先輩が!?」

「いや、松本さんが」

「ややこしい言い方しないでよっ!?」


 今の言い方は確実に先輩が松本さんに惚れた感じのものだった。ああ、ショックで死んじゃうかと思ったぁ……。


「松本さんは結構内向的な人でな、口下手な説明にも文句を言わず、笑顔で付いてきてくれる後輩にトゥンクしちゃったらしい」

「トゥンク?」

「ばっ、おめっ、説明させんな恥ずかしい!」

「なら最初から口にしないでよ……」


 なんて話はさておき、兄曰く、結局その松本さんと先輩はお付き合いには至らなかったらしい。良かった。


「松本先輩はまぁ、さっきも言った通り奥手でな。周りが見ても明らかに求に惚れてたっぽかったんだけど、あいつは全く気付かずでそのままって感じだ」

「へぇ……」

「何が『へぇ』だよ。どっかの誰かさんと状況が全く同じだろうが」


 先輩のことが好きで、けれど直接アクションをかけられず自然消滅……あ、私だ……。


「求の周りにはそういう子がまぁまぁいたぜ? 無自覚にモテるんだよ、ムカつくことに」

「で、でも、先輩は誰とも付き合わなかったんでしょ!」

「ああ。お前を含めてな」

「むぅ……」


 つまり、私も松本さんも先輩に片思いをする有象無象にすぎないということらしい。


「ま、他にも鶴羽(つるは)さんとか、杉さんとか、秋桜(こすもす)さんとか……求の女関係についてのエピソードはあるけど、結末は大体同じだ」


 なぜか薬局の名前縛りの仮名を並べる兄。

 けれど、口ぶりからしてエピソードがあること自体は嘘ではないのだろう。


「ま、お前みたいなやつは珍しくもないわけで……それを知った上で、朱莉、お前はどうしたいんだ?」


 兄はそう、真剣に聞いてくる。

 私の兄として、そして先輩の友人として。


「私は……先輩と……」


 具体的に考えたことは無かった。

 先輩とどうなりたいとかそういうのは無くて……でも、それが今の後悔に繋がっていて……


「お兄ちゃん……私、私は、先輩と――」


 改めて考えて、浮かんだ確かな想いを、勇気を振り絞って口にした。

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