第4話 友人の妹が料理を振る舞ってくれる話

「はい、それではこれから晩御飯を作っていきたいと思いまーす!」

「テンション高っ」

「食材は……じゃーん! これを使って料理していきますよー!」

「なに? カメラでもあるの?」


 1人暮らし用の部屋に相応しい質素なキッチンで、朱莉ちゃんは随分と楽しそうに料理の準備を進めていく。

 まな板に並んだのはニンジン、ジャガイモ、玉ねぎ、それに豚肉。これだけ見ても何を作るのか大体検討がつく。


「はい、先輩。これから私は何を作ると思います?」

「カレー?」

「ピンポンピンポーン!」

「おぉー」


 両手を大きく広げてにっこり笑う朱莉ちゃん。

 けれど俺は今一リアクションが取りづらくて、とりあえず手を叩く。


「流石先輩っ。私のこと理解してくれてますねっ!」

「いや、だってルー買ってたし」

「ふふん、先輩。カレールーを買ったからといってカレーを作るとは限りませんよ?」

「そうなの?」

「はい、例えば……」


 顎に手を当て、宙を眺めること数秒。


「さっ! それでは早速調理に取り掛かりましょう!」

「誤魔化したっ!?」

「先輩、あまり細かいことを気にする男性はモテませんよ?」

「細かい事かな……?」

「なのでこれからもどんどん細かいことを気にして、どんどん非モテ男子になりましょうっ!」

「なんでっ!?」


 兄の友人の不幸を願う友人の妹。

 話したことのない割に懐いてくれていると思っていたけれど、違うのかもなぁ。


「あっ、先輩。ここから先は企業秘密ですので、どうぞ気にせずごゆるりとくつろいでいてください」

「えっ、でもただ待ってるのも悪いし手伝うよ」

「手伝う……!? い、いえ、その申し出は大変魅力的ですが、その、緊張で手元が狂ったりしたら危ないですし……」


 朱莉ちゃんはそう、手で顔を覆うように隠しながらまごまごと言う。

 隠しきれない耳がほんのり赤らんでいた。


「それに、その……料理しているところを見られるの、恥ずかしくて。私はただ、先輩に美味しいって言ってもらえれば、それでいいので……」

「……そっか。それじゃあ、楽しみに待たせてもらうよ」

「っ……はいっ! 先輩の度肝を抜いてあげますよっ!」

「あはは……お手柔らかに」


 やはり臓器は狙われる定めらしい。



「じゃーん! 朱莉ちゃん特製、愛情たっぷりトマトカレーですっ!」

「おおっ……!」


 暫く使っていなかった皿に装われた少し赤みを帯びたカレーライスに思わず感嘆の声を漏らしてしまう。

 久々に稼動した炊飯器によって炊かれた、てらてらに輝く米は勿論のこと、その上に乗った赤みを帯びたカレールーが何とも……アッ、いい香り……


「控え目に言って美味そう……」

「えへへ……ささっ、先輩、冷めない内にどうぞっ!」


 照れくさそうにはにかみつつ、そう促してくる朱莉ちゃんに頷き、スプーンの上に小さなカレーライスを作るように掬い上げ、口に含む。


「んむっ!?」


 瞬間、口の中に広がるスパイスの辛みと溶けだした肉の旨味、そしてトマトの酸味ッ!

 美味い。それ以外では言い表しようのないくらい、美味い!


「これ、滅茶苦茶美味いよっ!」

「ほ、本当ですか? な、なんだか照れてしまいますね……」


 そう嬉しそうにはにかみつつ、自身も一口食べて、成功を喜ぶように頷いた。


「買ってきた物ばっか食べてたからかな。なんだか凄く暖かく感じるよ」

「えへへ……言ったじゃないですか、先輩。男性の1人暮らしには女の子の手料理が必要だって」

「あ、それまだ生きてるんだ」

「そりゃあそうですよ」


 朱莉ちゃんは誇るように胸を張る。

 最初こそしっかり者みたいな雰囲気を出していた彼女だけれど、ここに来て随分と子供らしい仕草も増えてきた。年相応といえば年相応なんだけどさ。


 そんな会話をしながらも、手は止まることなく、すぐに皿は空になってしまった。


「あー、美味しかった」

「本当に大したものではないんですよ? 特別な手間をかけているわけではないですし」

「えっ、そうなんだ。こんなに美味しいのに?」

「私の料理はあくまで趣味の範囲で……その、普段の暮らしの中で気苦労無く作れる家庭料理ばかり練習していたので」

「へぇ……でも、こんなに美味しい料理、毎日食べられたら幸せだと思うなぁ」

「おおっ!?」


 ガタン、と食事用に置いていたちゃぶ台が揺れる。

 勢いよく身を跳ねさせた朱莉ちゃんの足が当たってだが――彼女は痛みを感じた様子もなく、何故か目をキラキラと光らせていた。


「どうしましたか、先輩!? いきなりグイっと来て……はっ!? まさかもう胃袋掴んじゃいました? 心臓射抜いちゃいましたっ!? 度肝抜いちゃいましたかっ!!?」

「大丈夫。どこもやられてないから」

「うはぁ、ドライ……」


 朱莉ちゃんががっくりと肩を落とす――が、それは一瞬で、すぐにまた身を乗り出してきた。


「しかし、先輩! 先輩はこんな美味しい料理を毎日食べられたら幸せだと、そう仰いましたね! それはつまりどういうことですか!?」

「え? 言葉通りの意味だけど……」

「その言葉通りをもっとこう……その、普段の暮らしに紐づけるというか、具体的にするというかっ!」


 目を爛々と光らせる朱莉ちゃんに若干引きつつ、言われたことを素直に考えてみると、1つの言葉が浮かんできた。


「ええと……いいお嫁さんになるだろうね、とか? いやでも、これってちょっとセクハラっぽい――」

「お嫁さんっ!! パワーワード出ましたよ、コレ!! いい感じ、いい感じじゃないですか先輩! なんですかもう! メロメロじゃないですかっ!!」

「なんか楽しそうだね」

「楽しいとはまた別の感情ですが、高まってはきました!!」


 興奮したように――いや、完全に興奮した様子でグイグイ身を乗り出してくる朱莉ちゃん。

 って、前傾になりすぎて首元からブラジャーが見えそうになってる……!?


「なんで目を逸らすんですか、先輩?」

「ん? ああ、いや……食後の首の体操かな? ほら、食道酷使したし……」

「ふぅん……? ま、いいです。どんな先輩でも受け入れる覚悟はありますから」


 あ、軽く変人認定されたっぽいな?

 いやでも、友人の妹の下着を意識している色ボケ男と思われるよりはマシか……マシか?


「で、先輩。いいお嫁さんになる、でしたっけ? いいワードが出たところでもうちょっと深めてみましょうよ! 踏み込んでみましょうよ!」

「踏み込む……?」

「はい、踏み込んでください! もっと掘り下げちゃってください! もっともっと自分ゴト化しちゃってくださいっ!!」


 自分ゴト化って……どういうことだろう。

 ああ、でもスタートは料理が美味しいってところからだったよな。それを生活と絡めて……分かったぞ!!


「朱莉ちゃんは家庭料理って言ったけれど、このレベルだったらお店を開けるレベルだと思うっ!」


 どうだ? アマチュアではなく、プロレベルだという賛辞――これは中々だと思う。実際、お金を払ってでも食べたいと思う味だったし。

 まぁ、食材費は全部俺が出してるんだけどね。朱莉ちゃんの分はプラマイゼロだから。内訳は知らない。


「………………」


 俺の回答に対する朱莉ちゃんの返しは――先ほどまでの嬉々とした様子からは信じられないくらいの“無”だった。

 まるで巻き戻したかのように前傾を解き、深く腰を落ち着かせた朱莉ちゃんは、呆れかえったかのように深い溜め息を吐いた。


「違う、そうじゃないんですよねぇ……なんでそっちに行っちゃうかなぁ……?」

「ごめん、なんか悪い事言った……?」

「いえ、先輩が精一杯の賛辞を送ってくれたことは理解しているんです。だからこそやるせないというか……でも、いいです! まだまだこれからなのでっ!」


 落ち込んだり、元気になったり、やっぱり賑やかな子だ。昨日までの静かな1人暮らしが嘘みたいだ。


「先輩、私頑張りますから……!!」

「え? うん、頑張って」


 何をかは知らないけれど、取りあえず頷いておく。それ以外は許されない気がした。


「ああ、朱莉ちゃん」

「はい?」

「ご馳走様。繰り返しになっちゃうけど、本当に美味しかったよ」

「はうっ……!!」


 朱莉ちゃんが大きく仰け反った。え、何か変なことした?


「その笑顔は反則ですし、『ご馳走様』なんて言われたいワードベスト10に入る台詞をサラッと……!?」

「朱莉ちゃん?」

「と、トイレ! ではなく、お花摘みに行ってきます! 泣きそうなので!!」

「なんでっ!?」

「それは乙女の秘密です!!」


 大して広い部屋でもないのに、朱莉ちゃんは逃げるように部屋から出ていってしまい――あ、戻ってきた。

 彼女はドアの隙間から半分だけ顔を出し、やはりほんのりと頬を赤くしつつ、


「お粗末様です。えへへ……」


 と、見ているこちらもほっこりするような笑顔を浮かべて――今度こそトイレへと飛び込んだ。


 こういう騒がしい所は兄そっくりかもな――なんて思いつつ、俺は残された皿を片付け始めるのだった。

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