第9話 友人の妹の気持ちを察する話
「ふぁあ……」
寝起きざまに欠伸しつつも、どこか心地の良い朝だった。
いや、心地がいいというより、調子がいいというほうが正しいかもしれない。
「ん?」
いつも通りの音――窓の外から聞こえてくる鳥のさえずり声やクーラーが冷気を吐き出す音とは別に、呼吸音のようなものが聞こえた。
一瞬、何だろうと不思議に思ったのだけれど……そういえば、“彼女”が泊まっていたのだと思い出した。
宮前朱莉。俺の友人の妹である彼女が我が家にいる理由は、彼女曰く、彼女が“昴に俺が貸した借金(500円)のカタ”だかららしい。
正直改めて考え直してもよく分からないが……まぁ、昴のことだ。変なことを言いだすのも昨日今日に始まったことではない。
それこそ、高校入学直後に仲良くなってから、もう3年と数か月の付き合いになるが、そういう子供っぽいところというか、衝動的なところは変わっていない。
そこが彼の難点でもあり、愉快なところでもあるのだけど……巻き込まれた朱莉ちゃんからしたら溜まったものではないだろう。
ふと、朱莉ちゃんの眠る、床に敷いた布団の方に目を向ける。
「う……!?」
そこには当然彼女がいた。勿論、いない筈も無いし、それ自体に驚く要素はないのだけれど……問題はその恰好にあった。
彼女は掛布団をまるで抱き枕のように抱きしめていた――ピンク色のパジャマをはだけさせながら。
それに、眠る前に軽く結んでいた長い黒髪も解けて布団の上に広がってしまっている。
なんというか……無防備だ。そりゃあ寝ているんだから無防備で当たり前だろうと思うけれど、それにしたって無防備だ。意図して無防備になっているんじゃないかと思えるくらい無防備だ。
それこそ襲われても文句を言えなそうな妙な色気というか……って、相手は友達の妹だぞ!? 何考えてんだ、俺は!
「朱莉ちゃん?」
軽く声を掛けてみる。けれど反応は無い。
……ほんの少し興味が湧いて、彼女の寝顔を覗き込んでみた。
「わぁ……」
思わず、自分でもよく分からない感情の声が漏れ出てくる。
朱莉ちゃんの寝顔は……なんとも幸せそうだった。
高校時代、俺は朱莉ちゃんとはそんなにガッツリ話したことはなかった。
あくまで彼女は友達である昴の妹という認識だったし、朱莉ちゃんからしてもそうだろう。
それに、彼女は俺なんかとは違って、それなりに有名だった。美少女という噂が一番多かったか――まぁ、初めて会った彼女が中三だった時にも文句なくそう感じたくらいだし、納得できる。
あとは、声が綺麗とか、物静かでカッコいいとか、少し天然が混ざっていて可愛らしいとか――まぁ、こういうフワッとした噂は後を絶たなかったので、その真偽のほどはあまり分かっていなかったけれど。
彼女は高校に入ってから、昴が家に忘れた弁当を届けによく俺達の教室まで来ていたのだが、その時は礼儀正しくていい子そうだという印象だったかな。
――白木先輩。
そう、最初彼女はそう俺を呼んでいたんだ。けれどいつしか“先輩”だけになって、肌感覚でしかないんだけれど、口調や表情もどこか柔らかくなって、最初の頃より親しく感じてもらえているのかななんて思ったものだ。
ちゃらんぽらんな兄とは違い、周囲から憧れの視線を浴びるようなしっかり者の朱莉ちゃん――彼女がまさか今、こうして俺の部屋で寝ているなんて、正直夢と言われた方が信じられそうだ。
それも、幸せそうに頬を緩め、口の端からは涎を垂らすなんて……ちょっと恥ずかしい寝顔を浮かべているなんて。
「ふへぇ……ありがと、おにいちゃ……」
突然彼女の口から漏れ出た寝言に、吹き出しそうになった。
その寝言は明らかに昴に向けられたもので――
(もしかしてと思ってたけど、やっぱり朱莉ちゃん、ブラコン気味なんだなー)
俺には兄弟はいないから分からない感覚だけれど、兄妹愛が深いというのは微笑ましいと感じる。
昴も朱莉ちゃんについての噂を耳にする度に「どこぞの有象無象に朱莉は絶対やらねぇ!」とイライラしていたくらいだし、両思いなのは間違いなさそうだ。
(まぁそれが恋愛感情とかだったらまたややこしいんだろうけど)
昴に彼女ができたことを朱莉ちゃんは知っているのだろうか。
もしも知らなくて、現在進行形で昴に恋愛感情を持っていたら……、
(しゅ、修羅場……!?)
昴の彼女と朱莉ちゃんが昴を取り合ってバチバチ火花を散らすなんてあまりに笑えない。
今は幸せそうに寝言で「お兄ちゃん」と呟く朱莉ちゃんが、鬼の形相で「オイコラ糞兄貴」などと言い出した暁には……うん、俺は逃げるな。確実に。
もしかしたら昴が彼女を俺のところに寄こしたのもそれが多少なり関係しているのかも……?
少し飛躍させすぎかもしれないけれど、でも実家暮らしの時から朱莉ちゃんが昴に大好きオーラを出していたらあるいは……。
こういうのなんて言うんだっけ……冷却期間――は違うよな。
ただ、昴の為にも、朱莉ちゃんの為にも必要な時間なのかもしれないと思うと少し納得できた。巻き込まれた俺としては迷惑だけれど。
いや、迷惑というのは違うか。今朝体調がいい感じなのは朱莉ちゃんがまともなご飯を作ってくれたおかげかもしれないし、一概に俺に悪い事ばかりとは――
「っと、そういえば、今何時……って、こんな時間!?」
時計は既に11時を回っていた。今日は12時からバイトがあるんだ……!!
……しかし、騒いだにも関わらず朱莉ちゃんに起きる様子は無い。顔見知り程度の相手をと一日いたのだから疲れが溜まっていたのかも。
「うぅ、起こすのは忍びないし、でもそろそろ出ないとバイトに遅れるし……!」
朱莉ちゃんを放ったままバイトに行っていいものか……少し悩んだけれど、結局俺は朱莉ちゃんに対してこの部屋の合鍵と、「バイトに行くから自由にしてくれて大丈夫。帰る場合はポストに合鍵入れておいて」という旨の書置きを残し、バイトに行くことにした。
休むという選択肢も有ったのかもしれないけれど、「店長怖いから……」と保身を優先する、なんとも情けない俺であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます