第10話 友人の妹に正座で待ち構えられる話
今日のバイトは12時から17時までの5時間勤務だった。
夏休みだから働けるよね、と初めて入れられたシフトだったけれど、まさかお昼時があんなにキツイなんて……。
俺達学生は夏休みでダラダラと過ごしているけれど、社会人の皆さんはクソ暑い中もしっかり働かれている。なんとも頭が下がる思いだ。
なんてことを思いつつ、家へと帰ると――
「おかえりなさい、先輩」
玄関に、朱莉ちゃんが正座をして待っていた。
「あ、朱莉ちゃん……?」
そういえば彼女がいたんだった――と、バイトの中で朱莉ちゃんの存在を忘れていたことは、口に出さない方が良さそうだ。
そう咄嗟に防衛本能が働くくらいに、今の朱莉ちゃんは怖かった。
笑顔なのに、なにか怒りのオーラのようなものが漏れ出てきているように感じる……!
「な、何か怒ってる……?」
「先輩、帰ってきたら最初に言うべき言葉を忘れていませんか」
「え、あぁ……ただいま?」
「……そうですね。もう一度やっておきましょう」
正解を引けたらしく、ほんの少し表情を緩ませる朱莉ちゃん。
そんな彼女が再び、「おかえりなさい」と言ってきたので、今度は「ただいま」とすぐに返す。
「ふふっ、なんだか新婚さんみたいですね?」
「そう、かな……」
おかえりもただいまも、誰だって言うと思うので今一ピンと来ない。
……それよりも、玄関前に彼女が座り込んでいるせいで、いつまでも靴を脱げない状況の方が気になった。
「朱莉ちゃん?」
「なんでしょう、先輩」
「その、どうしてそこに座っているの?」
「勿論先輩を待っていたからですよ」
朱莉ちゃんは頬をぷっくら膨らませて、拗ねたように睨んでくる。
「だって起きたら先輩がいなくて……私捨てられちゃったんじゃないかって凄くショックだったんですよ?」
「捨てられたって……でも、書置き残したよね?」
「ええ、拝見しました。ちなみにあれは私がいただけたということでいいですか?」
「え? うん、勿論」
「そうですか……えへぇ、本当にお嫁さんみたい……」
「朱莉ちゃん?」
「こほんこほん」
何故か俯く彼女は、俺の呼びかけに対しハッと顔を上げ、わざとらしい咳払いをした。
「もう返さないですからね。ずっと私のものですからね」
「……? うん、どうぞ」
書置きのメモくらい、捨てちゃってもいいと思うんだけど……もしかしたら俺の下でちゃんとやっているという証拠で、昴に見せるつもりなのかな。
頑張った証というにはちょっと雑なメモ書きな気もするけど……。
「それよりも朱莉ちゃん、いつからそこに座っていたの?」
「起きて、先輩がいないことにショックを受けて、書置きで状況を把握して、着替えて……そうですね、2時間くらいでしょうか」
「に、2時間も!?」
「はい。だって先輩がいつ帰ってくるか分からなかったですし」
そう、朱莉ちゃんは少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
「先輩がお仕事頑張ってきたんですもん……ちゃんとお出迎えしたいじゃないですか」
「……なんだか、ごめんね?」
「いえ、私がやりたくてやったことですからっ」
朱莉ちゃんはニッコリ笑うけれど、ずっと正座をしているのはツラいみたいで、ほんのり汗が浮かんでしまっている。
起こさなかったのは軽率だったかな、と反省しつつ、俺は彼女に手を差し出した。
「取りあえず立って? いつまでも玄関で話してるってのも変だしさ」
「あ、はい……! あっ、きゃっ!?」
朱莉ちゃんは何故か生唾を飲み込みつつ、俺の手を取り、立ち上がる――が、長い間正座をしていたせいで痺れてしまったのか、体勢をふらつかせてしまった。
そして、そんな彼女を俺は咄嗟に――
「っと、大丈夫?」
なんとか、抱き留めることができた。
「~~~ッ!!?」
「あまり無理しないでね?」
「は、はひっ……」
正座で帰りを待つなんて、それこそ新婚さんでもやらないだろう。彼女にもしものことがあれば俺も昴に顔向けできないし……
「あ、あの、先輩……少し、差し出がましいお願いがあるのですが……」
「うん、なに?」
「その……もう少し、このまま、支えていただいても、その、よ、よろしいでしょうか……!?」
「え……ああ、勿論」
そう簡単に痺れが取れるとも思えないし、俺は喜んでその願いを受け入れた。
むしろ、俺なんかが抱きしめる形になっちゃって悪い気持ちが強いというか……
朱莉ちゃんは俺に体重を預けつつ、控え目に脇の辺りを掴んでくる。思ったよりも痛いのか、呼吸も少し荒い。
「だ、大丈夫?」
「…………ふぇっ!? あ、あいむ、ふぁいん! せんきゅーっ!!」
「な、なんで英語? っていうか、もしかして臭い……? ご、ごめんね。バイト上がりだからその……」
「に、ににににおいはその、実に良い香りですっ! 毎日、嗅ぎたいくらいで……あっ、いや、そのぉ……」
「あはは、それは流石に嘘でしょ……」
あまりに過度なフォローに思わず苦笑してしまう。
そんな対応が恥ずかしかったのか、朱莉ちゃんは表情を見られないよう、俺の胸にぎゅっと顔を押し付けてきた。
逆にこうなると、俺が朱莉ちゃんの香りを意識してしまうというか……妙に女の子らしい不思議な香りが鼻腔をくすぐってきて、妙に気恥ずかしい気分になってしまう。
そして――
「朱莉ちゃん、そろそろ大丈夫?」
「いえ、もう少しかかりそうです」
「あ、朱莉ちゃん? 流石にもう――」
「いいえ、ぶり返してきたみたいなので、もう少し」
「……朱莉ちゃん、これ、無理に立たないで横になった方がいいんじゃない?」
「あっ、痺れ引いてきました。もう大丈――あっ。あぁ……きをゆるめたらまたしびれが……これはもう少し時間がかかりそうです。ああでも、多分深刻なアレじゃないと思うので、もう暫く支えて貰えれば最高です」
なんて、今度は俺が立ちっぱなしで痺れてきてしまうくらい、朱莉ちゃんの足の痺れは長引いたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます