三 くずばな × フィールドワークに来た大学教授

秋・くずばな守る社

 暗い目の前の景色に、さぁっと光が差し込む。

 見慣れた鳥居が太陽の光を受け、白く輝く。


 白い光の間から、黒い影が見える。影はだんだん大きくなり、頭の形から全身の形へと変わる。ほどなくして、男性の姿が現れた。

 男性はクズバナの方をちらりと見やり、手前にある手水で丁寧に手を洗い、口をすすぐ。真っすぐ境内を進み、鐘を鳴らした。

 ガラン、ガラン

 鈍い金属音が、辺りに響く。

 パァーン、パァーン

 続けて手を叩く勢いの良い音がした。男性は静かに手を合わせ、しばらくそこで立ち止まる。

 ゆっくり顔を上げ、一礼をする。


「あれ、亥岡いおか先生じゃないですか」

 顔を上げた瞬間に声をかけられた男性は、振り返り目を丸くした。

「あ、こごえさん。今日から一週間お世話になります」

 午と呼ばれた男性は笑顔を浮かべて、賽銭箱の前に立つ亥岡に握手を求める。

「先ほど到着されたんですか」

「ええ」

「お声がけ頂ければ、こちらの神社もご案内しましたのに」

「いえ、これはいいんです」

 午の言葉に、亥岡は首を横に振る。


「僕は毎回、色々な地域にフィールドワークに行きます。そのときは、まずはじめに調査地にある神社にお参りすることにしているんです。この土地で長いこと、地元の皆さんを見守ってきた神社の神さまにご挨拶をして、そこからようやく地元の方の話を聞ける。僕は、そう思っています。なので、神社へのご挨拶の前にフィールドワークを始めてしまうのは、僕にとってはマナー違反です」

「さすが先生だ。独自のこだわりがおありなんですね。確かにここの神社の神さまは、ぼくたちが住むまちで一番、長生きですよ。ぼくたちの祖先が住むずっと前に、ここで雨を降らせたという伝説がありますからね」


「雨、ですか」

 聞き返す亥岡に、午は得意げな顔で頷く。

「ええ。かつてこの辺りの地域は、雨が降らず農作物が育たないので、困っていたらしいです」


「そうなんですか。今は、涌き水で有名だとうかがいますが」

「そうなんです!でもどうやら、昔は水も湧き出てなかったようなんですね。

 それである年、全く雨が降らなくて、このままでは作物が全く育たず飢え死にする住民がでそうになったようです。それで住民たちが困っていた時に、神さまのお告げがありました。『この場所に祠を建てて、じぶんに稲の藁を捧げなさい』と。

 住人たちがいうとおりにすると、神さまは住人たちに三日間、家から決してでないようにと告げました。住民たちが家の中に入ったことを確認してから、神さまは祠の中にある舞台に立ち、大きく大地を揺らしました。

 三日後に住民たちが外に出てみると、地面が揺れてできた割れ目から、たくさんの水が吹き出していました。吹き出した水は田畑にも流れ出て、乾ききっていた作物たちをたちまちのうちに潤し、その年は豊作になった、というお話です」


「神さまが地震を起こして、地下水を採れるようにした、ということですか。確かにそれは、かなり古そうな伝説ですね」

「ええ。この伝承は、西暦が2ケタのころの話だとされていますよ。この下の公民館に伝承をまとめた資料がありますので、もしよろしければ後でご覧になってください」

「ありがとうございます。……面白い。名実ともに、地元の方の暮らしを支えてきた神社なんですね。きれいに整えられているのもわかります」

「ええ、そうでしょう」

 亥岡の言葉に、午は満足げに頷く。


「この神社には、他にも色々なみどころがあるんですよ。せっかくですので、ご案内してもよろしいですか?」

「はい、ぜひお願いします。神さまへの挨拶は終わりましたので」

 頭を下げる亥岡に、午は笑顔を見せる。


「ではさっそく、ご案内します。まずそこの鳥居ですね、これも特徴があるんです」

「ああ、これは私も気になっていました。これだけ歴史がありそうな神社で、石づくりの鳥居は珍しいと思って」

「さすが先生、気付くのがお早い」

 午は亥岡をおだててから、鳥居に近づき、触る。

「実はこの鳥居、見ておわかり頂けると思いますが、比較的最近立てられたものなんです。以前は他の神社と同じように、木製の簡素な鳥居が立っていました。

 しかし、十年ほど前に御幸にいらっしゃることになりまして。偉い方をお迎えするのに、粗末な鳥居では失礼だろうということになって、皆で知恵を絞ったんです。

 テレビにも取り上げられるので、地元の素材で作りたいという思いははじめからありました。木の鳥居でもいいですが、この辺りの木は柔らかくてすぐにへたれてしまうので、長くは持ちません。

 どうせ新しくするのですから、頑丈で長く祠を守ってくれる立派なものにしたいというのが、話し合いを重ねた私たちの総意でした。そうしたら、この近くでとれる花崗岩を使った白い鳥居をつくればいいんじゃないかという話になりまして。

 地元の石工の方が広域の仲間たちにも声をかけてくださって、石の採掘から加工まで、普通よりも数ヶ月早い工期で仕上げていただきました。

 最近では石の鳥居も珍しいものではないようですが、小さな神社で、これだけ材質から細部にまでこだわってつくられた石鳥居はなかなか無いと思いますよ。うちの誇りのひとつです」

「確かに、石の柄にムラが無くて、美しいですね」

「ええ。この近くで採れる花崗岩は、品質が良いことで有名なんです」


 午は周りを見渡してから、ポンと手を叩く。

「……あとは、そこのくずもいいですね」

 二人の目線が、クズバナの方に向いた。突然の注目に、戸惑う。

 ――じぶんは、そんな昔からここにいるわけではないけれど――

 亥岡も、小さく首をかしげた。


「葛、ですか?あのくず粉がとれる」

「ええ。おっしゃるとおりです。ここの神社の周り、緑は多いのですが花は少なくて。数年前に、ここに葛を植えたんです。そうしたら一気に空気が華やいで、近所の方にも喜んで頂けました」

 ――ああ、その話か――

 クズバナは納得しながら、話の続きを待った。

「もともとこの地域は葛がよく育ちます。古い家だと庭に普通に生えてるんですよ。だからくず湯もけっこう身近で、年配の方の家ではよく飲まれるんですけど、若い人とか最近この町に来た人には知られていなくて。

 だったら人が集まる場所に植えようということで、庭の手入れがしきれないご高齢の方のお庭から、公民館や神社に植え替えていったんです。そのうちの一株がここにある葛なんです」

「つまり、この葛はもともと、どなたかが育てていたものだということですか」

「はい。もう元の持ち主のおばあさまは去年、お亡くなりになったのですが、子どものころから遊んでいた神社で、じぶんが育てた葛が育っているのを聞いて喜ばれていました。『じぶんの代わりに、葛が町に貢献してくれている』とよくおっしゃっていましたね。

 おばあさまは足が悪かったので、直接ここにいる葛を見ることは叶いませんでした。なので、僕や他のボランティアが代わる代わる、写真を撮っておばあさまに様子を報告していたんです。そのうちに僕たちも、この葛に愛着がわいてしまって。いまも、この神社に来るたびに様子をチェックしてるんです。そのおかげもあってか、毎年元気に育っていますよ。

 葛で有名な神社、というわけではありませんし、他の地域の方に誇れる大それたエピソードではないんですけれど、先生には是非知って頂きたい、とおもいお話しさせていただきました」

 午は一気に喋って、若干息が切れている。亥岡はそんな彼の様子を見て微笑み、クズバナを見上げた。


「それは、いい話を伺いました。確かに一株だけですし、観光資源という感じではありません。しかし、本当に大切に育ててこられたことが窺い知れます。

 僕は仕事上、色々な地域に行きますし、葛の花もたくさん見てきました。正直、花に強い関心があるわけではないので、見ても忘れてしまっていることだってあります。でも、ここに咲いている葛は立派です。ここまで大きいものはなかなか見られません。先ほどうかがったエピソードも含め、ここの葛のことは忘れないと思います」

「ありがとうございます! そういって頂けると、光栄です」

 頭を下げた午に対し、亥岡も小さく顎を引く。


「こちらこそ、初日からいいお話を聞かせて頂きました。今回のフィールドワークは、とても充実したものになりそうです。

 偶然の遭遇から始まってしまいましたが。一週間、宜しくお願いします」

「こちらこそ! 亥岡先生がご納得頂けるよう、僕も勤めさせて頂きます。ご不満がありましたら何なりとおっしゃってくださいね」

「はい。ではさっそく、お言葉に甘えて。この辺りでおすすめの食事所はありますか」

「ええ、いくつもありますよ。しかし、今日は先生の歓迎用に、僕の家で食事をご用意してますので。あとでまとめてお伝えしますね」

「それは楽しみです」

「ぜひ、期待しておいてください」


 二人は鳥居をくぐり、下の町へと戻って行く。午は一度ちらりとクズバナを見て、歩みを止めずに去って行った。クズバナも午に意識を向ける。

 ――また、じぶんはひとり。ここに来るひとたちを見守るだけだ――

 そう、気持ちを新たにしながら。

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