夏・ほとけのざ差し遇う畦道
▶︎登場人物
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※差し遇う…さしあう。点で交わる
―――
グォッ、グォッ、グォッ
ドスの効いた声が、空に響く。ほどなくして、ホトケノザの上にずしっと重いモノが乗る気配がした。
「あれ、これウシガエル?」
「そうだな」
「こいつら、さっきからうるせえ」
色黒の女性がしゃがみこみ、ホトケノザがいる方……正確には、ホトケノザの上にのっているモノをじっと見つめる。そのモノ、ウシガエルは人間の視線など意に介していないようで、のっしのっしと歩みを進めていった。ホトケノザは重さが無くなり、ほっとした。
「芽衣、お前小さい頃から毎年見てただろ。そんなまじまじ見るもんでもないだろう」
呆れたような男性の声に、芽衣と呼ばれた女性は言い返す。
「小さいころから毎年まじまじ見てたから。だって、音だけ聞いてたら、音の主の正体気になるじゃん。ウシガエルは、声より見た目の方が面白いし。むしろ親父こそ、毎年見てるのに引きすぎでしょ」
「おっしゃるとおりで」
「はははっ、兄貴は芽衣には適わないな」
「慶彦は一言余計だ」
娘に丸め込まれている様子を見て快活に笑う慶彦に対し、崇はむっつりと突っ込みをいれた。
慶彦は全く懲りた様子もなく言葉を続ける。
「悪い悪い。いや芽衣と兄貴のやりとりが変わってなくて安心しちまってな。芽衣は昔っから、好奇心が強いよな。義姉さんに似たのかな」
「いや、あれもそんなに物事への関心が強いタイプじゃない。むしろ東野家で芽衣に一番似てるのは、慶彦なんじゃないか」
「俺?」
「ああ。お前に似てるから、結婚できる気がしない」
「おい、」
何か言いかけた慶彦を、芽衣が遮る。
「わたしは、結婚するつもりないの。今の仕事面白いし、結婚・出産・子育てで住む場所が縛られるの嫌だから。面白い仕事ができることが最優先。だから、今はいいんだ」
「うう……」
「また兄貴が丸め込まれてる」
「うるさい……」
頭を抱えた崇が、弱々しく呟く。
「慶彦のことがあるから、あまり芽衣に結婚しろとか、結婚はいいもんだとか強くはいえない。が、俺たちが死んだ後、芽衣に何かあった時を考えると、な。やっぱり親としては不安なわけよ」
「ああ、それで俺に似てるから、結婚できる気がしないってことか。別に生活面では、俺と芽衣は似てないと思うぞ。芽衣の方がよっぽどコミュニケーション力高いし、しっかりしてる。家のことを一切やらずに嫁さんに逃げられた俺みたいにはならないだろう」
「え、よしおじって、結婚してたの」
芽衣はすごい勢いで慶彦を見上げ、次いで崇を見る。崇は慶彦をちらりと見てから、頷いた。
「ああ。短い期間だったし、慶彦の周りで色々あったから、あえて言ってなかった。でももう大丈夫だろう?」
崇の問いかけに、慶彦は頷く。
「俺が全面的に悪いからな。兄貴は相手が悪かっただけだとか、お前は悪くないとか言ってくれてたけど、それでも結婚を決めたのは俺だからさ。いいんだ。今はとにかく仕事かけもちして、合間合間に畑をいじって生活できてるし。若くもないからこのまま余生をむかえるのもよし」
「お前、何かあったら絶対に連絡入れろよ」
「はいはい。兄貴と義姉さんのところには、真っ先に連絡するよ。連絡する余裕も無く、一人で家で倒れたら申し訳ないけど」
「はぁーっ、お前もお前で、独り身はそれが怖いんだよ」
崇は大きなため息をつく。
「家が近い慶彦でさえこれだからな。俺が与り知らないところで倒れられたら、すぐに助けられないからな。本当にそれは勘弁してくれよ」
「できれば、な。悪いけど断定はできない。なるべく不健康にならないように努力はするけど」
慶彦の言葉に返事を返さず、崇は空を見上げた。
「親父もお袋も、家で倒れたんだよな。どっちもたまたま慶彦が家にいて、すぐに救急車を呼べた。だから俺たちは、死に目に立ち合えた。
だが、もし死に目に立ち合えなかったら、死んだ実感が湧かないんじゃないか。気持ちを切り換えて別れの儀式が、本当にできるのか。俺は、そのイメージがつかめない。だから、周りの人間のことを考えると、怖くなる」
「親父は、いつも考えすぎだよ」
芽衣が横から口を挟む。
「人が死んだ時なんて、そのときにならないとわからないよ。それに、ふつうに考えたらよしおじやわたしよりも、親父の方が年上なんだから、この中で一番先に亡くなる可能性高いでしょ。周りの心配するより、自分が長生きすることを考えた方がいいんじゃないの」
「それもそうだな」
慶彦も同調する。
「まあ、そもそも兄貴が俺たちより長生きする気満々で、それ前提の心配なのかもしれないけど。俺たちは兄貴より長生きするよ。そういっても兄貴は責任感強いから、俺たちのことを心配してくれるんだろうけどさ」
「当たり前だ」
崇はむっつりと答える。
「どちらが先にこの世を去るかなんて、わかりゃしない。だったら、普通は自分が気になる方を心配するだろう。俺が先に死んだ後のことなんて、残った人たちに任せざるを得ない話だから俺が考えても仕方ない。それより、お前たちの方がよっぽど心配だ」
「俺たち、ずいぶん愛されてるよね」
「不本意だけど、そうだね」
「茶化すなよ」
首をゆるく横に振る崇に、慶彦は頷きを返す。
「でも、この時期になると死について考えがちになるのは、わかるな。お盆に先祖の魂が帰ってくるとはいうが、死んだ後も子孫のところに戻れるんなら悪くないな、とかさ」
「わたしのところによしおじの魂がやってくるんだね」
「俺が死んだらそうなるな」
「お盆の期間は、変なことできないね」
「いつもするなよ」
「してないよ」
父親の釘さしをさらりと受け流しつつ、芽衣も頷く。
「わたしは、家を出るまでは『親戚の人たちが集まる期間』っていう認識しか無かったな。でも、離れてからは『おじいちゃんとおばあちゃんに会いにいく期間』って思うようになった。
実際に会えるわけじゃないけど、親父とかよしおじとかからおじいちゃん・おばあちゃんの話をたくさん聞くから、帰る時には、来るときよりもふたりについて詳しくなってる。それってやっぱり、おじいちゃんとおばあちゃんに会いにいく、っていうことなんじゃないかなって」
「おお、いいこというじゃないか芽衣」
慶彦がぱちぱちと手を叩く。
「俺にとっても、『親戚の同窓会』的なイメージが強いけど。確かに元々の目的が目的だから、亡くなった人が話題にのぼることは多いよな。俺たちの記憶の中でひっそりと生きているふたりに、会いにいく日なのかもな」
「記憶のなかの二人に会いにいく、か。うん、そんな感じ。おじいちゃんもおばあちゃんも好きだったけど、一番二人のことを思い出すのはこの、お盆の里帰りのタイミングだから。また、今年も会いにきたから、色々教えてね」
「「ああ」」
崇と慶彦が同時に頷く。三人は連れ立って、崇の自宅があるほうへと帰っていった。
・・・
人間たちは死に対して、ずいぶん色々と考えるらしい。ホトケノザは単純だ。子孫を残せそうな時期に根を張って、それ以外の時期は種で耐える。今はまだ、種で耐える時期だ。万が一、すみかにしている畦道の下の田んぼが無くなってしまったら、種状態での引っ越しを検討しなければいけない。
ホトケノザの生活自体は単純だが、生活拠点の確保には人間の生死が影響する。
来年も同じ場所で根付けることを願いながら、ホトケノザは眠りについた。
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