六 すずな × テレワークに勤しむ若手スタッフ

春・すずななびく庭

 トポトポトポ、とじょうろの水が土を湿らす。

 身体に直接かかる水の冷たさに、スズナは一瞬身震いしそうになる。大気の冷たさにはだいぶ慣れたが、液体の冷たさはまた別物だ。一定の時間当たり続ける雨水よりも、不意打ちで一瞬かけられるじょうろの水の方が、冷たいと感じるのが不思議だ。土の中でじわじわ水を吸い取る分には、全然寒さを感じることは無いのだが。


 ナズナに不意打ちの水を浴びせた人間は、じょうろを片付け窓ガラスを開けた。そのまま屋内へ入っていくが、またすぐこちらへ戻ってくる。片手には、スマホが握られている。

「今日、台風並みの強風が吹くんだって。暑いかもしれないけど、一日だけ部屋の中で我慢してもらおうかな」

 人間はそういって、スマホをポケットにしまうとスズナが住んでいるプランターを抱える。箱が傾き、土から飛び出してしまわないかひやひやしたが、意外と安定した足取りで部屋の中へと迎え入れられた。


「あ、下に新聞紙とか敷いた方がいいのかな」

 人間はそういって、ごそごそと棚の下から灰色の紙を何枚か取り出す。床にそれを敷き、スズナのプランターを上に置き直した。

「これでよし、と。うるさかったらごめんね」

 人間の言う通り、部屋の中は外に比べて大分暑い。外に接している葉が溶けてしまいそうだ。しかし、身体の芯がある土の中は今のところ大丈夫そうだ。芯さえ無事なら問題ないだろう。外にいたところで、人間が言った通り強風が吹いて土から身体が離れてしまえば、それこそ生きてゆくのが難しくなる。


   ・・・


 スズナが鎮座するすぐ脇で、人間はバタバタと色々なモノを持ち移動させている。パソコン、マウス、クッション、膝掛け、筆記用具、マグカップ、大きなお菓子の袋。あらかたのものを机と椅子に置いてから、パソコン画面を起動した。何やら操作していたが、ほどなくして画面上に、別の人間の顔が現れた。目の前に座っている人間は、画面越しの人間に頭を下げた。


「おはようございます」

『おはよう、戊亥いぬい。お前背景それでいいのか。生活感丸出しだけど』

「男の一人暮らしの部屋なんて需要ないでしょうし、別にいいです。見るのたつみさんだけですし」

『まあ、それもそうだな。でもこの通話ソフト、バーチャル背景にもできるからな』

「バーチャル背景って、あの黄緑とかピンクとか入るやつですよね。俺あれ苦手なので嫌です。俺以外にモザイクかけてる感じになって、俺がグロ映画の主人公みたいになるんで」

 目の前に座っている人間――戌亥と呼ばれていた――が顔をしかめると、画面越しの人間――巽――はわずかに首を傾げた。


『そうか? まあ戊亥がそれでいいならいいか。……じゃあテレワークのやり方を一応説明しておくぞ。この後は基本的に画面オン、スピーカーオン、マイクオフの状態で接続を維持する。何かあればそのままマイクをオンにして声をかけてくれ。休憩するときは画面とスピーカーも切って良し。ただし、戻ってくる時間を必ず俺に報告すること。多少の遅刻は多めに見るが、あまりに長い場合は電話するからな。俺も部長に怒られたくないから、そこらへんはよろしく頼む』

「了解です」

『何か、確認しておきたいことはあるか』

「うーん、いや大丈夫です。何かあれば適宜マイクを入れて声かければいいんですもんね」

『ああ。俺も席離れるときはチャットに入れるから、声かけて反応無ければそこチェックしといて』

「わかりました」

『じゃあ、勤務開始な』


 画面の先にいる巽という男性がそういうと、ぷつっという音と共に不自然な音が消える。椅子に座り画面の男性と話をしていた戌亥という男性は、巽の映る表示画面を小さくして、何やら別のソフトを立ち上げ始める。文字か数字かわからない、細かい列が延々と並ぶ。

「俺、エンジニアじゃないんだけど。何でこんなコードチェックしてるのかねぇ」

 戊亥は小さく呟きつつも、キーボードを叩く。キーボードを叩くカタカタ、という音とパソコンが時折放つフゥーンといううなりだけが、部屋の中に響いた。


                ・・・


『戊亥、お疲れ。俺はそろそろ昼飯にするけど、お前もそろそろ休憩するか?』

 画面から突然音声が聞こえてきた。戊亥は大きくビクッと肩をこわばらせてから、左上で小さくなっていた画面越しの人間……巽の姿を拡大する。


『お前、びびりすぎだろう。後ろめたいことやってる様子ではなかったけどな』

「いや、誰もいない部屋で突然他人の声がしたらびっくりしますよ。一瞬良からぬものが部屋に入ってきたのかと思いました」

『おい、俺の声覚えてないのかよ。……さっきのグロ映画の主人公の話といい、戊亥は最近ホラー映画でも見てるのか』

「いや、ホラー映画は有名作品のあらすじを読むくらいで、映像は見ないですね……ってそうじゃなくて、お昼ですよね。俺も休憩にします」

『了解。再開はだいたい一時間後な』

「承知しました」


 そう答えてから、戊亥はスズナの方を振り返る。

「君たちもごはんね。この部屋乾燥するから、いつもより多めに水いるよね」

 そういって立ち上がりかけた時、巽が呼び止めた。


『おい、戊亥こそ誰に話しかけてるんだよ。ペットでも飼ってんのか?』

 画面越しでも伝わるようにか、戊亥は手を大きく左右に振る。

「動物は飼ってないですよ。いるのは植物です。ほら、そちらの画面に映ってませんか?」

『右側の茶色い箱か?』

「そうです」

『お前、植物に話しかけて生活してるのか……』


 巽にそう言われ、戊亥はなんともいえない表情を浮かべた。

「いや、独り身の男が変なことしてるみたいに言わないでくださいよ。このカブの種を買った店の店員さんが、植物は話しかけてあげた方が育つと言ってたので、実践してるだけです。定期的に話しかけるようにした方が、水やりとか世話とか忘れないですし」

『あーなるほど。確かに、ポジティブな言葉を聞いていた花はきれいに咲くって聞いたことあるな』

 画面越しに巽が大きく頷くのが見えた。


『でも、何でカブなんだ? 食えるメリットはあるだろうけど、あんまりプランターでちんまりと育てるイメージが無いんだが。手間かかるんじゃないのか?』

「そうですね……テレワーク導入が決まったので、家の中にもっと楽しめることをつくりたいと思ったのがそもそものきっかけです。最初は雑貨屋をうろうろしてたんですが、そこに植物の種が置いてあって。どうせ早起きするので、毎日手入れがいる、ちょっと手間のかかる植物を育ててみるのもありかと思ったんですよね。で、食べることができたら更によし、って感じで」

 握りこぶしを作って見せる戌亥に対し、巽は納得したように頷いた。


『それで、あえて家庭菜園のメジャー所を選ばなかったのか』

「はい。もっと色んな種が見たいと思って、別の園芸屋さんに行って買ったんですけど、『ちょっと育てるのに手間がかかって、でも素人でも育てられて、最後食べられるものがいいです』って言ったら、店員さんがカブを紹介してくれたんです。ちょうど寒い時期に育てられて、植えてから2ヶ月くらいで食べられるようになって、美味しいということで選びました」

『最後主観じゃねえか。まぁいい趣味じゃねえの。会社に観葉植物持ち込んで枯らす奴もけっこういるし、そこまで育てられてるのはすごいな』

「はい、収穫が楽しみです。ただ、カブに話しかけるのが日常になってるので、収穫した後も別の植物を育てようかと思っています」

『そうだな。植物無いのにプランターとかに話しかけ始めたら、本当にちょっと心配な感じになるからな』

「さすがにそれはしないと思います」

『ははっ。今度カブできたら教えてくれよ。俺もプランターでどれくらいの大きさのカブができるのか、興味あるわ』

「獲れたら写真送りますね」

『おう。っとまた雑談がすぎたな。俺も、お前も、お前のとこのカブもランチタイムな』

「はい」

 今度こそ、動画の通信が切れた。戊亥はそれを確認してから、改めてスズナに向き直る。


『いっぱい水を飲んで、うまいカブになるといいな』

 自分を食べます宣言をされたスズナは、とりあえず冷たい不意打ちの水を飲む日々を保障されたと思うことにした。

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