夏・すずなあそぶ庭

 ▶︎登場人物

 ・戊亥いぬい…一人暮らしの会社員男性。

 ・たつみ …戊亥の先輩社員。


 ―――

 タタタタ、タァーン!とキーボードをたたく小気味よい音が弾ける。勢いよく通話ボタンを押したらしい画面の先の先輩が、口を開く。

「よし、飯の時間だ。お前も切りのいいところで休憩な」

「はい、承知しました」

 巽の声掛けに戌亥は答えて、通話ボタンを切る。

 すっかりおなじみになったパソコン上のやり取りをもう一度見返してから、戌亥はキッチンへと向かう。

 ほどなくして、ご飯とみそ汁と漬物をお盆に載せてテーブルに戻る。

「いただきます」

 小さくそういってから、食べ始めた。


               ・・・


「なぁ、仕事関係ない話していい?」

「いつも関係ない話している気がしますけど、どうぞ」

「だって雑談した方が仕事はかどる気がするからさ……おまえ、食事中にカメラきってなかったから聞くけど、今日食ってたやつ全部自分で作ったのか?」

 巽の問いに、戌亥は頷く。


「そうですよ。ひとり暮らしで他に作る人もいませんし。両親がたまに食材を送ってくれることはありますけど、調理品はさすがにないですね。って、それが普通じゃないですか」

「いやご近所さんが『作りすぎて余った』って言っておすそわけしてくれてる可能性もあるだろ。……でもそうか。お前すごいな」

「そうですか?」

 戌亥が心底不思議そうな声を出すと、巽は画面越しに身を乗り出してきた。


「いやすごいだろう。一汁一菜プラスごはんって、めちゃくちゃちゃんとしてるわ。俺ごはんに具材詰合せてるだけだからな」

「それ要するにおにぎりじゃないですか。一汁一菜といっても、中身は有りあわせですよ。野菜切って炒めるか、鍋に入れるかの違いくらいで凝ったことはしてないですし」

「いやいやいや。それ料理できる奴の発言だろ。それにフツーこの時期に汁モノ作らねえよ」

「冷房がんがんに効かせてるので、あったかいもの食べたくなるんですよね。手作りのモノをあったかい状態で食べられるの、リモートワークのいいところだと最近思います」

「お前微妙に意識高いとこあるよな。今の発言完全に冷え症の女子だったぞ」

「俺、けっこう冷え症なんで」

「だと思ったわ。にしても、あったかい食い物って他にもいろいろあるだろう。作りたてなら何だってあったかいしな。何で味噌汁なん?」

 巽のあまりの食いつきに、戌亥は思わず苦笑いが漏れた。


「やたら引っ張りますね……もともとのきっかけは、カブを育てたことですかね」

 返答が意外だったのか、巽は視線を彷徨わせる。


「カブ?」

「ほら、リモートワーク始めるちょっと前くらいから育て始めたやつです。年明けに収穫して、3個しかできなかったんですけど折角だからいろいろ料理に使ってみようと思いまして。葉っぱをおひたしにしたり、実を漬物にしたり色々やったんですけど、単純に切ってみそ汁に入れたのが一番ウマかったんですよね。作るの楽でしたし、みそに入れるだけでこんなにウマくなるんならほかの野菜でもやってみようと思って、作り続けて今に至ります」

「ああ、そういえば採った写真見せてもらったな。にしても、味噌汁づくりにはまるとか、今どきの主婦でもそうそういないだろうよ。ちなみに今のベストオブ味噌汁の具はあるのか?」

「そうですね。やっぱりじぶんで育てた思い出補正もあるので、カブが一番ウマかったですかね」

「思い出補正は強力だよな。俺も、実家で食ってたとろろ昆布入ってるやつが一番ウマいと今でも思ってるからな。この前その話を嫁にして、ちょっと言い争いになったけど」

「だから、味噌汁の話にこんなに食いついて来たんですか」

 戌亥が納得したように呟くと、画面の向こうで巽が頷く。


「あー、そうかもな。俺がとろろ昆布入れないのかって聞いたら邪道だってめちゃくちゃ怒られてさ。嫁はいつもわかめ入れるから、同じ海藻だし何が邪道かよくわからなかったんだけど、何かみんなこだわりあるのかなと思って」

「確かに、とろろ昆布美味しそうですけどね」

「だろ? まじでウマいから今度入れてみ」

「はい。安い時見つけて買ってみます」

「おう。……戌亥はあっさり受け入れたな、とろろ昆布」

 巽のつぶやきに、戌亥は首をかしげる。


「うーん。俺は味噌汁の型が決まってないですからね。味噌のこだわりもないですし、中に入れるものと味噌の組合せの最適解が見つかれば、それでいいと思っているので。さっきも言いましたけど、別の料理をつくったあとで余った具材を無造作に放り込むことも結構ありますし。そういう意味では鍋と一緒ですね。毎朝同じ食材で味噌汁作っている人とは、ちょっと感覚が違うのかもしれません」

「あー、鍋か!」

 巽は大きく頷いた。


「確かに鍋の感覚で味噌汁作ってたら、何入れてもいいやって気分になるな。俺も割とそっちの感覚だわ。で、嫁は同じ食材で作りづけてきたクチだから、それは許せない、と。なるほどな」

「奥さんとは、仲直りできたんですか?」

「仲直りっつーか、『そんなにとろろ昆布入れたいなら、ひとりで家にいるときに自分で作れ』って言われて話が終わった。言われたときは『わざわざ作るか!』って思ったけど、そんなに難しくないなら、本当に作ってみようかな」

「それがいいと思いますよ。巽さんが自分で食べて、余ったという名目で奥さんにも食べてもらったら、もしかしたら美味しいと思ってもらえるかもしれないですし」

「胃袋をつかむ、ってやつか。そうだな。なんかやる気出てきたわ。今から作ろうかな」

「さすがに、そろそろ仕事した方がいいと思いますよ」

「あ、そうだったな。仕事中だったな俺ら……戌亥おまえ、突然現実に戻してきたな」

「さっきから話しすぎじゃないかと思ってたところだったので。潮時かなと」

 恨めし気な視線を向ける巽に、戌亥はしれっと答える。


「午後、味噌汁食いたさに集中できなかったらお前のせいだからな」

「熱い風評被害ですね」

「いやまじで。味噌汁食いたいわ。晩飯は味噌汁で決定だな。うし、メモしておこう」

「仕事のtodoリストには書かない方がいいと思いますよ」

「いや、いいんだよ。リモートワークになってから私用の予定と仕事の予定一緒に書くようにしてるから。公私のけじめ付けろっていうやつもいるけど、終わらせるべき仕事量から逆算して私用の予定入れてくから、タスクリスト一緒の方が計画立てやすいんだよな」

「そういうものなんですか」

「そうそう。ってかまじで、仕事戻るか。いい加減取り掛からないとやばそうだ」

「そうですね。マイク切りますよ」

「おう。じゃあまた何かあれば声かけろよ」

「はい」


              ・・・


 戌亥はマイク設定と画面設定を操作して、仕事の画面に切り替える。しかし、頭の中では先ほどの会話を反芻していた。

 ――おもいがけず味噌汁談義になったけど、俺もそもそもカブを育てなかったら、味噌汁作ろうとは思わなかったな――


 つくったカブは美味しかったが、あっという間に無くなってしまった。それが惜しくて、らしくもなく色々料理をしたり、写真を撮って記録をしたりすることになった。軽い気持ちで始めた栽培が、ここまで自分の生活に影響を及ぼすことになるとは思ってもみなかった。

 ――また、作るか。料理もするようになったし、もう少し量があったほうがいいな。今年は思い切って、一回り大きいプランターを買って育ててみるか。俺も書いておこう ――

 仕事のtodoリスト、ではなく手元の手帳にメモを残し、戌亥は今度こそ、午後の仕事に取り掛かった。

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