五 ほとけのざ × 田舎暮らしの男兄弟

春・ほとけのざざわめく畦道

 ぽちゃん、ぴちゃん。

 稲が刈り取られたままの田に、水が溜まっている。今朝まで降っていた雨のしずくが草木に溜まり、粒になって水たまりに落ちる。

 水分を含んだ粘り気のある土が道を形成し、まさしく田んぼの田の字のような景色を生み出す。

 ホトケノザは田んぼの脇からぴょいと生まれた。田んぼの水につかることも、時おり畦道を行進していく農耕機械にかれるおそれもない。風にあおられやすくバランスを取りにくいことだけが唯一の欠点だが、根を張りやすい地面を活かしてどうにか踏ん張っている。


 ホトケノザの真下に広がる田んぼは、近くに住む年老いた女性の持ち物であるようだ。時折田んぼに来て、様子を見ている。また、別の近所の人が現れて、彼女と話をしていくこともある。


                 ・・・


 畦道を歩いていた男性が、田んぼを見やり立ち止まる。この男性も、田んぼの持ち主と話をしていたことのある人のひとりだ。彼は地面をみやり、つぶやいた。

「今年も、お米分けてもらえるのかな」

 老齢の女性は毎年、近所の人たちに作ったお米を配って回っていたらしい。しかし、加齢とともに持っている田んぼ全てで耕作するのが難しくなり、去年から少しずつ、作付面積を縮小してきた。その結果、そのお米をあてにしていた近所の人たちがやきもきしているのだ。この前女性が話していた言葉を聞く限り、そんなあらましだろう。


 ピリリリリ


 不意に、高い電子音が鳴る。田んぼを眺めていた男性はバタバタとポケットを触り、胸元から携帯電話を引っ張り出した。

「はい。どうも東野とうのです」

『あー親父おはよう。明日一旦そっち寄ってからいくけど、いま野菜なにがあるんだっけ』

 電話の音量を最大にしているのか、電話の先の女性の声が、近くで会話しているかのようによく聞こえた。

「えーと、小松菜と、白菜と、後いろいろ細かいのだな。段ボールに入れて玄関横に置いておくから、好きに持って行けよ」

『りょうかーい』

「あ、畑寄るならイチゴもあるぞ。慶彦よしひこが育ててたやつ」

『よしおじさん、マメだよねぇ』

「ああ、今のうちの畑に生えてるものは、慶彦のほうが詳しいと思うぞ。明日いるかはわからんがいたら聞いとけば、他にも持ち帰れる作物があるかもしれない」

『はーい。じゃあそっち行く前にいったんよしおじさんのとこ行ってみるわ。じゃね』

「おう」

「俺は今日も明日もこっちいるよ」

「うわっ!!!」

 電話を切るや否や、背後から声をかけられた男性は飛び上がった。手から離れたスマホを背後にいた男性がキャッチする。

「ほら兄貴、びびりすぎでしょ」

「いや、噂をしていて本人が来たらびびるだろう……慶彦、お前今日仕事は?」

 携帯を受け取りながらけげんそうに尋ねる男性に、慶彦と呼ばれた男性は苦笑を返す。

「俺のところ、不定休だけどたまたま今回は土日休みなの。つってもやることねえし、とりあえず畑見てこようかなと思ったら兄貴がいたから」

「ああ。いつもありがとな」

「いいよ。家に居ても寝るだけだし。畑いじってる方がよっぽど健康的だ」

 そういって慶彦は伸びをした。

「で、芽衣めいが明日来るって?」

「ああ」

「久しぶりだなー後でメールしとくわ。俺が寝てても気にせずピンポンしろって。10回ピンポンして出なかったら諦めろって」

「いやそこは起きろよ」

「肉体労働者にとっては睡眠が何よりも大事な休養だからなー」

「睡眠が大事なのは誰でもだろう。お前の睡眠時間が異常なだけで」

「それもそうか」


 呆れた顔で突っ込みを入れていた男性は、娘との会話を思い出す。

「そういえばお前、ビニールハウスでイチゴ育ててただろう。あれ、もう食えるのか?」

「そうそう! 義姉さんからビニールハウス破れかけてるって連絡貰ったから、直すついでに中整理したんだけど、イチゴの苗があったんだよ。そのままだとすきま風と雑草にやられそうだったから植え直して、いま2~3粒できてるんじゃないかな。1年も経ってないから大した数は無いけど、まあ食えはするだろう」

「あのビニールハウス、お前が直してたのか」

「俺以外直す人いないだろう」

「それはそうだが、いつの間に」

「仕事の合間、だな。1日の1/3は寝て、残り1/3の半分は仕事して、残りは畑いじってるからな。農薬使うほどマメには手入れできないから、虫も付き放題だし人のためにつくってるのか、この辺に住んでる虫に恵んでやってるのか判らない状態だけどな」


 慶彦は快活に笑い、畦道にしゃがみこむ。

「この辺に生えてる草だって食えるやつあるのに、ほとんど虫ついてないよな。これとか」

 そういって、ホトケノザの茎に触る。

「ゆでて食える草だけど、綺麗なもんだよ。虫さまは人さまよりもグルメだからな。ことにこんな田舎だと」

「これ、食えるのか?」

「ホトケノザだろ?あ、フツーはオニタビラコ、いやコオニタビラコだったかな」

「ああ、春の七草か。こんな見た目だったのか」

「いつも家で食ってたじゃないか」

「つくってたのお袋だし。にがくて苦手だったから種類までいちいち覚えてねえわ」

「兄貴かなり偏食だもんな」

「お前もだろ」

「そうだけど、兄貴の場合“縁起物”が軒並み駄目だからな。食べる頻度は少ないけど、毎年必ず出てくる系のやつ。食えないと目立つよな」

「おふくろの前では無理矢理食ってた」

「ああ、確かに。今は?」

「俺以外に配膳される。そもそも目の前に置かれることが無い。そういう日は大抵、俺だけ飯抜きだ」

「ははっ、さすが義姉さん。潔い」

「笑い事じゃないぞ。家族全員で飯食ってるのに、俺だけ食べ物無いからな。どんないじめだよ。……最近はどうしようもないから、そういう日は予め食べ物を買って帰るけどな」

 そういって、男性は苦々しい顔をした。


「あー、大豆とかひなあられとかは何とかなるけど、おせち料理とか七草がゆとか、主食系は厳しいな、確かに。逆に、日付が決まってるから避けやすいけどね」

「ああ。おせち料理に関しては、薄味にしてもらってからどうにか食えてる」

「もう自分で作ったほうが早いんじゃないか」

「俺が作ると味が薄過ぎるってんで、不評なんだよ。結局多数に無勢で、俺が我慢することで家族団らんが守られている」

「なんだかんだ言って、人に気を使えるもんな。兄貴は」

「おう」

 そういって二人は、田んぼを眺める。ホトケノザは、そんな二人の様子を眺める。


 仲が良さそうに見えるが、二人が一緒にいるところは初めて見た。年上の方の男性が歩いているか、慶彦と呼ばれている男性が車に乗って通り過ぎていくのは見かけるが、いずれも別の日だ。今日二人が会ったのは、本当に偶然なのだろう。

 ――じぶんが生きているうちに、彼らが一緒にいるところを何回見られるだろうか――


 ホトケノザは、ふとそうおもった。

 絶妙な場所に生えているとはいえ、田んぼの持ち主の老齢の女性が亡くなってしまったら、田んぼの敷地自体がどうなってしまうかわからない。田んぼが無事でも、畦道の草刈りをするおじさんに根こそぎ刈り取られてしまえば、じぶんは無事ではいられない。だからこそ、今この瞬間に見聞きした出来事が、何度も見られるものではないと理解している。


                 ・・・


「せっかくだから兄貴も畑見に行くか?多分今なら、兄貴でも食えるものがけっこうできてるぞ」

「おう」

 兄弟は、並んで道を歩いていく。彼らのここでのくらしが良いものであることを祈りながら、ホトケノザは二人の背中を見送った。

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