夏・はこべら→はらっぱ

 ▶︎登場人物

 ・西納にしな…若手の女性会社員。

 ・田辺たなべ…西納が働く会社の近くに住む女性。


 ——―


 ピューイ、ピューイ、ピューイ

 控えめな鳴き声は、キビタキのものだ。木の上にいると思しき小鳥の存在を感じながら、西納は急ぎ足で公園の中を突っ切る。

 薄暗い空の下、さすがにもう子どもたちはいない遊具のすぐ脇、細道を曲がって息をつく。前のフェンスを覗き込むと、いつか見たのと同じような草の束と、それをつつく小鳥たちが見えた。

 やはり、先ほど鳴いていたキビタキがいる。もっと色が薄いのはセグロセキレイ。スズメも何羽かうろうろしている。


「やあ。今日も来たのかい」

 すぐ後ろから声がして、西納は身体ごと左を向く。恰幅の良い女性、このフェンスの中の敷地の持ち主である田辺が西納に笑いかけた。


「あんたもよくここに来るけど、物好きだね。若いんだから、もっといろいろ面白いことあるだろうに」

「ここだけに来ているわけではないですよ。でも、あちこちで歩くほどの気力が湧かないときは、ここでぼーっと鳥を見ている方がいいんです」

「なるほどねぇ。確かに、今日は遅かったね。……お茶でも飲んでいくかい?」

 田辺の申し出に、西納はきゅっと背筋を伸ばす。


「え、申し訳ないです。ひとさまの敷地で」

「いいんだよ。知ってると思うけど、この家はいつもはレストランだからさ、怪しいお茶は出してないよ。今日は定休日だから人もこないし、ちょうど明日の仕込みも終わったところだ」

 田辺はそういって、さっさと家の正面へと歩いてゆく。西納は迷いつつも、後をついていった。


        ・・・


 田辺の家は正面に回ると洋食レストランになっている。オムライスのシックな看板が目印だ。いつも昼間は混んでいて、存在は知っているものの食べたことは無い。いつか食べてみたいと思いつつ、バーカウンターのような狭い店内を抜けると突き当たりが縦長の窓になっていた。


「今開けるから、その窓から庭に降りなよ。あたしは家の中から回る。縁側にお茶出すから、そのへんに座ってるといい」

「わ、わかりました。すみません」

 すでにキッチンの奥へと向かう田辺に声をかけ、西納は窓の脇で立つ。


 ほどなくして、田辺が外から窓の鍵を開けた。

「はい、待たせたね。縁側は出て左、そこにあるから。あんまり鳥に近づくと逃げるから、気をつけるんだよ。まぁ、スズメは大丈夫だろうけど」

 彼女が言う通り、庭に集まる鳥たちは人に慣れていて、ちょっとやそっとのことでは飛び立たない。ただし、稀にやってくるキセキレイなどは、警戒心が強いのか直に飛んでいってしまう。しかも、一度飛び立つとなかなか戻ってこない。西納は抜き足差し足で鳥の横を通り、縁側へと辿り着いた。


「待たせたね、ほら、麦茶。ピッチャーで置いとくよ」

「ありがとうございます」

 そう答えてから、改めて鳥が群がる草の束を眺める。

「あの草の束、また、お庭に生えた雑草なんですか?」


 西納の問いに、田辺は頷く。

「ああ、そうだよ。この草は春しか生え広がらないんだと思ってたけど、夏も育つんだね。あたしは毎年草を刈ってたけど、季節ごとに生える雑草の種類なんて気にしてなかったから、知らなかったよ。どうもこの草、鳥たちの食いつきがいいから、よくよく見たら『ひよこ草』っていうやつだったよ。たまたま今日刈ったやつだから、運がいいね」

「そうなんですか」

「そうさ。今の時期は色んな植物がよく生えるけど、今回はたまたま庭の草をほっぽってたから、一回刈っただけであれだけの量になったんだ。これから毎週刈ろうと思ってるから、あれだけの塊にはならないだろうね。

 面白いもんさ。人間からしたら毎日定期的に食べ物がある場所でもないし、においもしないのに鳥は見つけてやってくる。しかもよく見ると、鳥の種類も色々だ。ここの暮らしは、飽きなくていいね」


 田辺の言葉に、西納はふと、疑問に思っていたことが口をついて出た。

「そういえば、田辺さんはどうしてここに住もうと思ったんですか? 公園の脇で、裏側は道路で、けっこうにぎやかそうなイメージですけど」

「そうだねぇ」


 田辺は鳥たちを眺めて、言葉を選ぶ。

「あたしはもともと、もっと北の地域の生まれなんだ。今はそうでもないらしいけど、あたしが小さいときは豪雪地帯だった。家の周りを雪かきしても、玄関の扉と外の道を繋ぐまでがやっとで、一晩寝て起きればまた、玄関の扉の上まで雪が積もる。そんな生活を繰り返してた。だからいちど雪が降り始めると、必要最低限の買い物以外はほとんど外に出ることもなかったね。

 だけど、あたしはおしゃべりが好きだったから、半年近く家族としか話せなくなる環境に飽きてしまったんだ。こっちに来たのは単純に、雪が少なかったから。雪で外出が阻まれることさえなければ、たくさんの人と話せるって思ったんだ。今思えばかなり安直だけどね」


 小さく笑みを浮かべた田辺は、なおも話を続ける。

「旦那が料理の修練を積んでいたから、レストランを開くっていう話になったときも、あたしは旦那に『たくさんの人と話せる場所がいい』って言ったんだ。そしたら旦那は駅に近いお客さんがたくさん集まる物件じゃなくて、こんな裏道沿いの場所を選んでくれたんだ。

 最初は店が繁盛するか、生活していけるか心配だったけど、毎日子どもたちの声を聞いてるうちに気にならなくなった。レストランが暇なときは公園の子どもたちに元気を分けてもらって、レストランが忙しいときは近所の働く大人たちの頑張りを感じる。おまけに最近は、この庭でとれる雑草のおかげで鳥が呼べるってわかったからね。これで、子どもたちが庭に寄ってくるから、お母さんたちも含めて少しおしゃべりもするようになった。まぁ小さい変な出来事はときどき起こるけど、ここの暮らしは楽しいね」

「にぎやかな場所が、好きなんですね」

「そうかもしれないね。あたしがしゃべるのも好きだけど、ガヤガヤした場所にいるだけでも楽しい。それも、静かだった雪国の暮らしの反動かもしれないね」


 西納は、雪が降った日のことを思い出す。確かに、雪が積ると周りの音が吸収されて、降っている間はとても静かだった。雪がほとんど降らないこの地域でもそうなのだから、豪雪地帯となればもっと、一日中無音状態になるのかもしれない。


「そしたら、鳥が好きなのも?」

「鳥はとりたてて好きってわけじゃないよ。でも、鳴き声を聞いているのは面白いね。似たような見た目でも、全然違う声を出すのもいるだろう? この庭に来たことは無いけど、前ウグイスが『ジッジッジッジッ』って虫みたいな声で鳴いてるのを聞いたときは驚いたよ。みんながみんな『ホーホケキョ』ってだけいうんじゃないんだって、初めて知ったね」

「えっ、そんな声だすんですか?」

「ああ。そのあと同じ鳥が『ホーホーホーホケキョ』って言ってたから、たぶんウグイスだね。……こんな感じで、鳥を見にやってくる人たちと話しているうちに、ずいぶん詳しくなってきたよ」

 そういって田辺は、にやりと笑った。


「もういい時間だけど、うちのオムライス、食べていかないかい? あんた、鳥を見には来るけどごはんを食べには来たこと無いだろう」

 そう指摘され、西納はばっと顔を上げた。

「食べようと思っても、いつも混んでいるので断念してたんです。わたしの会社、お昼の休憩時間が短いので。今日お休みですよね? いいんですか?」

「ああ。あたしの夜ご飯を作るついでだ。鳥たちの食事風景を見てたら、あたしもお腹がすいてきたからね。あ、ただお金はもらうよ」

「それは、もちろんです。……では、いただいていきます」

「そうしな。また、窓から入っていいよ。あんまり席整ってないけど、カウンター席ならどこ座ってもいいから。待ってな」


 田辺はそういって、部屋の中に入っていく。西納はわくわくしながら、ハコベラをつつく鳥たちをもう一度見て、レストランへと戻っていった。

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