冬 おばな想う東屋
カサカサ、カサカサ
乾いた葉ずれの音が、あたり一帯に響き渡る。
他の植物が葉を落としてもなお、ススキたちはその身体をしっかりと、地面につけて立ちならぶ。
季節を経ても変わらないのはただひとつ、ススキたちを少し見下ろす位置に建つ東屋だけだ。
ただ、そこにあるだけで普段は気にも留めないが、今日は珍しく人影があった。
一人の若い男性が、時折吹き付ける冷たい風に目を細めながら、東屋に入っていく。
「冬は見るものがないって、父さんは言っていたけれど。これだけ立派なススキがあるんじゃ、母さんももう一回来たがるよね」
男性はリュックを東屋のベンチに置いて、中をまさぐる。ほどなくして、男性の顔ほどもありそうな大きさの黒い塊を取り出した。
「焦点はこれくらいで……広角レンズを持ってきておいてよかった。父さんが言ってたよりよほど広いじゃないか」
「そうだね。寒いところが嫌いなあなたが、わざわざ立ち寄ろうというくらいだから、びっくりしたけれど。こんなに広かったのね」
どうやら、東屋にはもう一人、人間がいるらしい。声に続き、男性の横に立つ髪の長い女性の姿が現れた。
「いや、ちょっとドライブに行ってくるっていう話をしたら、父さんがしきりにここを勧めるからさ。山だけど、冬も雪が降る場所じゃないから、きっとススキの群生がきれいに残っているだろうって」
「それもそれでびっくりしたけどさ。お義父さん、あまりそういうことを言うイメージ、なかったから」
「だろ? 俺もそれで意外に思ってさ。気になって寄る気になったんだ」
東屋の椅子に腰かけて、女性はぼんやりと外を眺める。男性はその間も、重そうな黒い塊をススキに向けていた。
「それにしても、写真撮りすぎじゃない? あんまり詳しくないわたしがいうことでもないかもしれないけど、あんまり変化がある景色じゃないし。後で見返したとき同じような写真でいっぱいになりそう」
「いや、変化が少ない景色だからこそ、だよ」
男性は一旦立ち上がり、黒い塊――カメラ――の向きを変えた。
「俺たちにとってはどこも同じに見えても、父さんと母さんはそうじゃないかもしれない。どうせここまで来たなら、二人が見たどんぴしゃのアングルから写真を撮って、見せてやりたいじゃないか。そのためには、何枚撮っても足りないくらいだよ」
「意外と、親孝行なんだ」
からかうような女性の声には答えず、男性は再びカメラを構える。
「それに、さ。植物が入った風景写真って、意外と撮るのが難しいんだ。広角レンズっていって、広い範囲を映すレンズで撮影するのが基本なんだけどさ。あんまり広角にしすぎると写真の端の方が歪む。かといってもうすこし狭い範囲を映すレンズにすると、今度は人間が見ている視野より狭い範囲しか切り取れなくなる。その塩梅がなかなか、見つけられなくてね」
「今見てるみたいな、広い場所の写真を撮るときは、人が見たままを映すのが難しいってこと?」
「そういうこと」
一通り取り終わったのか、男性はカメラを片付け始めた。
「俺は、趣味で撮ってるだけだから腕も全然だけど。ネットでうまいアマチュアの人の写真を見ると、やっぱり全然違うよ。ネットに上げてる人は、いいカメラを使って、多少加工もしてるんだろうけど。ああいう人たちにかなう気はしないや」
「きみ、ずぼらだもんね。けっこういいカメラ使ってるとは思うけど。写真を撮った後に編集してるところ、見たことないし」
「う……だって撮った後に編集するとさ、撮った瞬間の自分の感情を上書きしちゃう気がして。俺は下手だろうと何だろうと、撮ったそのままの写真を残しておきたい」
「といいつつ、やっぱりめんどくさいんでしょ」
「……おっしゃるとおりです」
男性は両手を上げて、「降参」のポーズをとった。
「そうはいうけどさ。わたしもなんとなくわかる気がするな。撮ったままの写真を残したいっていう考え方」
「ん?」
鞄をごそごそと漁る男性の横で、女性はススキのほうに向かって大きく伸びをする。
「ほら、インスタントカメラだっけ? 昔のカメラって、一度撮ったらやり直しが効かなかったんでしょ?」
「そうだね。今でもそういうカメラはあるけど、本格的なやつは現像が大変だから、玄人向きだね」
「うん。で、わたしは結局、写真に残せる景色って、実際に見た本物の景色にはかなわないと思うんだ。たとえそれが、どんなにうまい写真だったとしても」
「そうかな」
「そうだよ」
女性は、力強く頷いた。
「確かに、きれいな写真を見てすごいと思うことはあるよ。でもそれって、芸術作品として感動しているっていうか。……そうだな、例えばモネの『水連』の絵を見るときって、絵がきれいだなと思うのであって、水連の池そのもののきれいさに思いをはせるわけじゃないとおもうんだ」
「なるほど? 絵と写真はちょっと違う気がするけど、言いたいことはなんとなくわかる」
「そうそう。すごい絵とか写真を見たときの感動と、実際にそのモデルになった場所に行った時の感動って違うと思う。で、きみが撮る写真は、後者。実際に行った場所の感動を思い出すために残すものじゃないかな。だからネットに上げてる上手い人と比べる必要はないし、わたしはきみの写真を見て、いろいろな出来事をいつも思い出してるから、助かってるよ」
「それ、褒めてる?」
「もちろん!」
男性は下を向いていて表情はよく見えないが、所在なさげに東屋の中をうろうろしている。これがいわゆる、「照れ」というものなのかもしれない。
「ここのススキだって、きみが撮ったススキのフクロウの写真を見て、お義母さんが思い出したんでしょ。そういえば数年前、すごくおっきなススキ野原に出会ったって」
「ああ、確かに。アルバムを見ていて、母さんがしきりに懐かしがってたらしい。それで、父さんは俺が写真撮るの知ってるから、せっかくそっちの方向に行くなら、ススキの写真を撮って来てやってくれないかって頼んできたんだ」
「やっぱりお義父さん、口には出さないけどお義母さんのこと大好きだよね」
「うーん、まあね。自分の親のことをあんまりそういうのはちょっと抵抗あるけど」
「なんで? 素敵じゃない。出かけたときの話を覚えていて、お義母さんはフクロウを作り、お義父さんはススキ野原にきみを誘った。お互いのことを思いやれる夫婦って、いいなと思うよ」
「俺たちも」
「うん?」
男性はうろうろしていた足を止めた。相変わらず下を向いたままだったが、意を決したように顔を正面――ススキのほうに向ける。
「俺たちも、お互いのことを思いやれるように。精進します」
「それ、わたしに言ってる? ススキに言ってる?」
「どっちも。どちらかというと、後者かな。父さんと母さんのことを見ていたはずのススキに誓うほうが、重みがあるかなと思って」
「確かに。じゃあわたしもそうする」
女性も立ち上がり、口に手を添えた。
「わたしたちは! お互いのことを思いやる! すてきな夫婦になることを! 誓います!」
「おいおい、そんな大声で言わなくても」
「え、だって誓いなんでしょ? せっかく誰もいないんだし、ここにいるススキ全員に聞き届けてもらいたいからさ」
「まったく……。不束者ですが、これからも宜しくお願いします」
「こちらこそ、よろしく。……そろそろ戻ろっか」
「うん」
仲良く手をつないで山を下りる二人を、オバナたちはその場で見送る。
自分たちに向けて何か宣言されても、彼らにしてやれることは何もない。しかしただこの場に在り、また彼らが来た際に同じように迎え入れることはできる。他の人間たちに刈り取られたりしなければ、だが。
オバナは想う。これからもずっと、彼ら二人、いや彼らの家族皆が幸いであることを。さらには彼らを末永く見届けることができるよう、自分たちがずっとここに在れますように。
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