夏・なずな去る丘
▶︎登場人物
・
・
――――
ミィーンミィンミィンミィンミィンミィーン……
ジィーンジィジィジィジィジィジィーン……
外に出た瞬間に、セミの輪唱が響き渡る。
「うーん、いい季節だねぇ」
北浦がのんびりと言葉を零す。
「いや、外で食べる季節じゃないでしょう。セミはうるさいし、
湿度は高いし。北浦さんやっぱりMなんですか?いやMですよね」
「Mじゃないよう。ふさふさの木々を見て、太陽の光をばっちり浴びないと、夏が来たって思えないじゃないの。やっぱり季節ごとに、それらしいことをしないと。南部さんも季節もののイベント、考えるときは『季節を体験すること』が一番だよ」
「それっぽいことを言ってますけど、わざわざ昼休みにやることじゃないですよね」
「まあまあ。そんなこと言いながらも、ちゃんと外に来てくれるもんね」
「それは、大事な仕事があるからって……」
「そうだ!」
ぱん、と手を叩く音が響いた。
「……まさか、外に出て夏を体感することが大事な仕事だって言わないですよね」
「もちろんそれも大事な仕事だけど、もっとあるよ。ご飯食べてからね」
「引っ張りますね。まぁいいです。さっさと食べましょう」
がさがさがさ、とビニール袋を開ける気配がする。
「南部さんの今日のお昼ごはんは?」
「焼きそばです。会社の前のコンビニで安かったので。さすがにこの気候で、ご飯ものを食べる気にはならないですし」
「定番の屋台メニューだねぇ。案外外ランチにノリノリじゃないの」
「そういう北浦さんは……ダイエット諦めたんですか」
「いやいや違うからね! 2ヵ月キャベツ生活して、歩いて8kg痩せたから!だから、もういいの!ほら、おなか周りに余裕ができたでしょ?」
「まあ確かに、一時期に比べれば細くなりましたね」
「でしょ?」
「でも、これから毎日ハンバーガーとポテトとチキンのセットを食べ続けてたら、あっという間に元通りですよ」
「今日はいいの! 高カロリーなものを食べて、たくさん汗かいて午後も頑張るんだから。食べて出してスッキリ♪ あ、食事中に失礼」
「午後寝るパターンじゃないですか、それ」
「だいじょうぶ。俺事務所では寝ないから」
「会議室と商談室で寝るのもやめてくださいよ」
「えー、だってこの前は、Kさんが話長いんだもん。もうずーっと南部さんとKさんが話してるから、俺いる? って思ったし」
「むしろあの時は間に入って話切り上げてほしかったんですけど。そのために北浦さんに同席してもらったんですから」
「え、俺って話の腰を折る要因?」
「まあ私とKさんの商談に関しては、そうですね」
「ひどい! 南部さん、上司使いが荒いよー」
「何言ってるんですか。面倒くさい社内打合せから逃げられるっていって、喜んでたじゃないですか」
「まあね。でも南部さんは、もっと俺を労わってちょうだい」
「十分面倒みてます!」
ぽんぽんと続く会話の間にも、二人は箸と手を動かしていたらしい。ほどなくして、再びビニール袋と紙袋をがさがさ動かす音が響く。
「で、大事な仕事ってなんなんですか」
「うん。ぺんぺん草探し」
「はい?」
間髪いれずに返された言葉に、南部が怪訝な声を出す。
「ほら、つくしは成長したらスギナになるじゃない。でも、ぺんぺん草はいつの間にかいなくなっちゃうから、どこに行ったのかなと思って。見つけられたら、いつでも遊べるからね」
「・・・」
「おーい、南部さん、聞いてる?」
「聞いてますよ。聞いてますけど、どこから突っ込んでいいかわからないので。……そもそもぺんぺん草って、越年草なんじゃないですか。春咲いて種つけて枯れて、また翌年咲く、の繰り返し。だから今探してもないと思いますよ」
「えー、そうなの?」
「普通に考えたらそうでしょう。初めて見ましたよ、夏にぺんぺん草を探すひと。本気で草そのものを探すなら、種か根っこをみつけることになるので土を掘らないと出てこないですね。公園でそれやるのは、さすがにやめておいた方がいいと思いますけど」
「うー、そうだよねぇ。俺も土いじってまで探したいわけじゃないからなぁ。折角眠っているのにかわいそうだもんね」
「そうですよ。夏には夏の生活があるんですから」
うーん。うーん。北浦はしばらく唸ってから、ぽんと手を鳴らした。
「だったらさ、いまの季節に遊べる草を探そうか」
「結局、遊びたいんですね」
「そうだよ! ネコジャラシとかさ、あの草笛できる細長い葉っぱのやつとかさ、この辺にあるんじゃないの。ちょっと見てこようよ」
「私も行くんですか」
「もちろんさ。南部さん草笛ちょっとやりたいでしょ。この前Kさんの息子がどんぐり笛作った話してたとき、食いついてたじゃないの」
「なんでそんなどうでもいいところだけ覚えてるんですか……どんぐりの中身くり抜くだけで音が出るって、面白いじゃないですか。笛が苦手な息子さんも音が出たって言ってましたし。リコーダーが苦手な私でも鳴らせるかもしれない」
「南部さんリコーダー苦手だったんだ。意外。だったら草笛はちょっと難しいかもね。でも、ほら、おじさんが見本見せてあげるから、行くよ」
「はいはい」
立ち上がる気配がして、二人の足音が遠ざかって行った。
・・・
――姿の見えないじぶんのことを、思い出すひともいるんだな――
ナズナは、土の中で驚いていた。土の上に顔を出している時期は、人間にもがれたり振り回されたりして大変な思いをする。一方で、それは人間たちが、ナズナに対して関心を持っているということでもある。花が咲き、種となり土に潜った後は、ナズナに関心を持つ人はまず現れない。名前を口にする人も、探している風の人もいなかったし、そういうものだと思っていた。今日、北浦という人間が、じぶんのことを探そうとするまでは。
人間に覚えられていても、忘れ去られていても、ナズナの暮らしは変わらない。暑くなったら土に潜り、寒くなったら耐え忍び、少し寒さが緩んだときにまた土の上に顔を出す。その繰り返しだ。ナズナが眠る土を人間がごっそり掘り返して、そのサイクルが崩れることもある。鳥やモグラに食べられて、彼らの身体の一部になることもある。ただ、「そういうもの」として日々を繰り返すだけだ。
そんなナズナでも、たまには想像しえない出来事を見聞きすれば、驚く。もっとも、土の中にいる以上、土の上のできごとを「見る」ことはできない。だからより一層、
想像の範疇を超えたものごとは、滅多に体験できない。日々の暮らしに不満も不安も無いが、「日々」から外れたものごとに時折遭遇することは、悪くないとおもう。「日々」から外れたものごとは、「日々」とは違うから対応するのも、理解するのも大変だ。でも何も考えることがない「日々」よりは、たまに考える「日」があったほうがいいのかもしれない。少なくとも、さっき人間がじぶんのことを話に出したことで、久しぶりに土の上の世界のことばに耳を傾けようとおもった。
きっと明日からナズナは、もっと人間の言葉を聞こうとするのだろう。たとえそこにじぶんの名前が挙がらなくてもかまわない。いままでとは少し違う「日」を重ねることで、いまとはちがう「日々」を過ごすことができるから。
――暮らしは変わらなくても、暮らしかたは思いひとつで変わるんだな――
まずは、北浦と南部がどんな植物を見つけてくるのか、気になる。報告が聞けるのは今日ではないかもしれないし、見つけることはできないかもしれない。でも、きっと二人のことだから、何が起きても話題には出すのだろう。
人をおもって過ごす日々が、ナズナはすこし楽しみになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます