二 なずな × マイペースな男性上司&しっかり者の女性部下

春・なずな咲く丘

 ぶん、ぶん、と風を切る。

 身体についた小さな種たちが振り回される。身体を支える柄がぐるぐると回るので、種も花もぐるぐる回る。


 ――人間に摘ままれたら大抵の場合、目が回ると聞くけれど。こういうことか――

 ナズナは風のうわさで聞いた話を思い出しながら、人の手の中で動きに身を任せていた。ナズナを両手で挟んでいる人間は、中年の男性のようだ。公園の机つきのベンチに座り、小さく体でリズムを取っている。


                ・・・


「お疲れ様です。……楽しそうですね」

 そこに、ビニール袋を提げた女性がやってきた。ナズナをもつ男性をジト目で見ながら、向かいの席に座る。男性は意に介した様子もなく、ふんふんと小刻みに肩を揺らしながらナズナを回す。

「うん! これからごはん?」

「そうですよ。もうKさんの電話が長くって。あの人、もうすこし要約して話せないんですかね」

「若い女性と話せるのが楽しいんだよ」

「そういう歳じゃありませんよー。だってこの前も、『南部みなべさん貫禄ありますね』って言われましたし」

「貫禄! いいねぇ。俺の代わりに部長やらない?」

「お断りします」


 女性はぴしゃりとはねのけて、ビニール袋からプラスチック容器を取り出す。丸いふたを取ると、甘辛いにおいが漂ってきた。

「今日は麻婆豆腐?」

「いえ、スタミナ丼です。午後もKさんとやりあわなくちゃいけないので。スタミナつけておかないと」

「優しくしてあげなよ」

「調子に乗るから嫌です」

 いただきますと手を合わせ、女性はもくもくと食べ始める。男性はなおもナズナをぐるぐる回す。手の中で、ナズナはそろそろ暑くなってきた。


北浦きたうらさん、お昼に草食べたんですか?」

 ナズナの方をちらりと見ながら、女性がそう問いかける。

「キャベツの千切りとおっしゃい。人をウサギみたいに言わないの。ダイエットは辛いから、今はウサギになりたいけどさ」

「ああ。一応キャベツなんですね。ずっとぺんぺん草持ってるから、ついにその辺の野草を食べ始めたのかと」

「ぺんぺん草はぺんぺんするための草であって、食べ物じゃないから」

 こうやってさ、といいながら男性はナズナをぶんぶん振り回す。

「でもぺんぺん草って食べられますよね」

「そうなの?」

 目をぱちぱちさせた男性に、女性はそうですよ、といいながらスマホを取り出した。

「ぺんぺん草ってナズナですよ。春の七草の。スーパーのパックで売られてるやつに、入ってるんじゃないですか。ほら、書いてありますよ。ここに」

 男性の手元に、女性のスマホが差し出される。

「ほんとだ。春の七草って書いてある」

「レシピサイトにも載ってますよ。大体おかゆですけど、和えものとか天ぷらにもできるみたいですね」

「へぇ」

 

 スマホを自分の手元に戻した女性は、なおもメニューを探しているようだ。男性はナズナを手の間から取り出し、しげしげと眺める。手の暑さと回す勢いでぐったりしていたナズナは、手のひらの支えを失いくねっと曲がった。

「あれ、くったりしちゃった」

「北浦さん回しすぎですよ。いつからやってたんですか?」

「キャベツ食べ終わってから。食べてる時にぺんぺん草見つけて、食べ終わったら絶対に遊んでやろうと思って目付けてたんだよ。食後に速攻摘んで遊んでた」

「それ、20分以上やってるでしょ。よく飽きないですね」

「飽きない飽きない。可愛いじゃないの、ぽこぽこ言って」

「身体でリズムとりながら、一心不乱にぺんぺん草回してる50代のおじさんって、はたから見たらやばい人ですけどね。北浦さん通報されないでくださいよ」

「ええっ、かわいいおじさまね。って感じにならない?」

「なりませんよ。この公園の利用者全員が、北浦さんのファンシーな面を知っているわけじゃないですからね」

「南部さんはわかってくれるでしょ? おじさんのかわいい一面」

「まあ北浦さんが不審者じゃなくて、童心に帰ってるだけというのはわかります」

「やっぱり子どもの心は大切だよねぇ。南部さんも忘れちゃダメだよ」

「もー忘れました! 今の仕事してたら忘れていきますよ」

「じゃあ、南部さんもぺんぺん草でぺんぺんしよう」


 男性はそういって、ベンチから立ち上がった。

「わたしまだごはん食べてるんですけど」

「俺がぺんぺんできるように準備しとくから。その間に食べちゃって」

「横暴だ……」

「でもあと4、5口くらいでしょ?いけるいける」

 そういいながら、男性の目は新たなナズナを探す。もとから振り回されていたナズナのことは、手に持ったままだ。

「お、これこれ」

 そういって1本を手折る。

「俺のぶんもないかなー」

 手を額にあて、辺りを見渡す男性を女性がまたもジト目で見上げる。

「いや、北浦さんがぺんぺんすると一本20分ペースじゃないですか。お昼休み終わっちゃいますよ」

「うーむそうか。じゃあ俺はぺんぺんの準備に尽くそう」


 無念だ。といいながら男性はベンチに戻り、手に持っていた2本のナズナをそっと置く。うち1本の、今とってきたばかりのほうを手に取る。種の入ったハート形の包みをつまんで下に引っ張る。ぴんと立っていた包みは張りを失い垂れ下がる。

 その作業を、何度も何度も繰り返す。

「北浦さんって、ほんとに単純作業好きですよね。今日の朝から今までで、いちばん集中してましたよ」

「俺はいつ何時なんどきだって集中してるさ」

「いやいやいや」

 顔をあげずに答える男性を全力で否定しつつ、女性はお昼ご飯を食べ終わったようだ。空になったスタミナ丼のふたをして、ビニール袋にしまい手提げ部分を縛る。

「じゃあ、一旦これ捨ててきますね」

「はいよ」


 女性がベンチに戻ってくると、下の方の種がぜんぶ垂れ下がった状態になったナズナが男性から渡された。

「はいどうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 女性は突っ込むことを諦めたのか、素直にそれを受け取ると、右手の親指と人差し指ででくるくる回した。

「あ、けっこう重みを感じる音がしますね」

「でしょ。身が大きくなって、ちょっと枯れかけくらいのやつがいいんだよ。種の周りの水気が飛ぶことで、サヤと種がぶつかって音がするからさ。マラカスみたいだよね」

「遊んでる感覚はでんでん太鼓ですけどね」

「おっ、南部さんでんでん太鼓わかる人か。やるねぇ」

「今でも、少し大きめの駄菓子屋さんとかで売ってますよ」

「そうなの? こんど駄菓子屋さん寄ってみる」

「北浦さんがでんでん太鼓買ったら、延々と遊んでそうですよね」

「当たり前じゃないの。買ったら遊ばなくちゃ」

「それで会議中にぽこぽこ鳴らして怒られる未来が見えます」

「仕事中はしないよ?!」

「どうだか。この前の会議中も、わたしが喋ってる時に鳩時計みたいな音鳴らして怒られてたじゃないですか」

「あれは、設定の仕方がわからないの! 勝手に鳴っちゃうんだから」


 男性がそういった瞬間、

『ポッポー』

 という音が鳴った。

「ほら、また鳴ってますよ。絶対設定で直せますから。止めといてくださいよ……というより、もう時間なんじゃないですか?」

「うわ、ほんとだ! じゃあ俺戻るから。南部さんはもっとゆっくりぺんぺんしてていいからね」

 男性はそういうと、自分が回していたナズナを手にとり、丁寧に足元の土の上に置いた。

「来年もぺんぺんできますよーに。立派なナズナになるんだぞ」

 そういって神妙な様子で手を合わせてから、男性は小走りで去って行った。


                ・・・


「ゆっくりぺんぺん、しますかね」

 残された女性は持っていたナズナを見つめ、ゆっくりと回した。とん、とん、と軽いリズムが腕に伝わる。

「たまには、いいかも。ちょっとくせになりそう」

 女性はそういい、ナズナはしばらくの間、女性の手の中でゆらゆら、動き続けるのだった。

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