夏・ごぎょううだる路傍
ジリジリ、ムワァッ。
目の前のアスファルトが、太陽の光を照り返してギラリと輝く。
ゴギョウの目の前に伸びる路面から、透明な湯気のような揺らめきが立ち上るのが見えた。揺らめきを踏みつけるように、二人の男性が急な坂道を昇ってくる。
「夜は涼しくなるって今日ニュースで言ってたんですけど、あれ嘘でしょ。全然暑いんですけど」
「まだ日没までには2時間くらいあるけどな。日が落ちればもう少しマシになるだろう。もう少しの辛抱だ」
若いほうの男性が手で首元を仰ぐしぐさをする。
「そうは言いますけど、あと2時間って終業時間終わったあとですよね。俺はこの制服を着ている時間帯が涼しくなってほしいです」
「……気持ちはわかるけど、それは難しいよね。一応、この服は身を守るためのものだし」
「わかりますけどー。俺先輩ほど真面目じゃないんで、巡回の時何度脱ぎたいと思ったことか。もう少し、ほんのちょっとでいいんで通気性をあげてほしいです」
「そうだね……。そういえば俺の知り合いの左官屋さんは、自分の作業服に小型扇風機を仕込んでたな。かさばらないですかって聞いたら、『涼しさにゃかなわねえよ』って言われたよ」
「そりゃ、左官屋さんって一日中炎天下で作業することもありますよね? 俺たちよりだいぶキツイでしょ。でも、いいなぁ。作業服に扇風機。俺たちの服もそうしてほしいです。これ、本部に言ったら検討してもらえますかね」
「制服は総務じゃない? うん、可能性は低いだろうけど、言うだけいうのはありかもね。『言った』っていう事実だけで、すっきりすることもあるだろうし」
「そうしてみます。……っていうか今の言葉、やたら重みがありましたけど先輩何かありました?」
「なかなか、言いたくても言えないこともあるよね」
「えー、絶対何かあったやつじゃないですか。俺で良ければ聞きますよ」
「うん。でもこの坂道でする話じゃないかな」
その言葉を聞いて初めて、後輩と思しき男性は急な坂を上っていたことにようやく気付いたらしい。額から汗が一気に噴き出した。
「忘れてました。確かに、重い話をつらつら喋る場所じゃないですよね。思い出したら暑さが増してきました」
「だな。早く戻ろう。話は後でな」
「そうしましょう」
そのあとは言葉少なに、二人の男性はゴギョウの前を通り過ぎ、坂を上って行った。
・・・
――あと、2時間――
ゴギョウは男性の言葉を反芻する。ゴギョウにとって、いまの太陽の光は眩しすぎる。さりとて地面に顔を背けると、路面からも同じくらい強い光がやってきて、細い身体をじりじり蝕む。何日か試行錯誤を繰り返した末、日が出ている間は光の照射が最も弱い、真下の土を眺めることにした。葉だけは広げて、生きるための力を受け取る。それ以外の部分はなるべく小さくなって、日が沈むのをじっと待つ。日が沈んだらようやく、顔をあげて路面や周りの景色を直視できる。だから先ほど歩いていた人間たちと同じくらい、ゴギョウは日没を待ち望んでいた。
――とはいえ日光がなければ生きられないから、そう思うのはばちあたりかもしれないけれど――
・・・
「お、君はすごいなぁ。この暑い中、一日中ここにいるんだからね」
空がだんだん暗くなってきたころ、先程通り過ぎた男性のうちの一人が、ゴギョウの前にやってきた。
もうずいぶん前から、彼は時折ゴギョウの前にやってきて、いくつか言葉をかけていく。朝も目が合うと、小さくお辞儀をして通り過ぎていく。先ほど通り過ぎたときのように、誰かと一緒の時以外は、そうしたちいさなやり取りを繰り返している。
「ああ、でも暑いよな。首そむけて」
男性はかがみこみ、ゴギョウを眺める。男性が近づいてきたことで、ゴギョウの身体の上に影ができる。すこし身体が楽になり、男性の声に耳を傾ける余裕ができた。
「今日はさ、改めて草花はすごいって思ったよ」
男性はそういってから、息をつく。
「人間は、辛いこととか大変なこととかあっても、他のひとに愚痴を言ったり身体を動かしたりして発散できる。でも、喋れないし動けない草花は、じっとその場で耐えるしかないからな。……いや、動けないは言いすぎか。太陽の動きに合わせて身体の向きを変えることはできるし、ね」
明るいトーンで話していた男性の声色が、少し硬いものへと変わる。
「俺は、少し前まで、自分が辛いと思ったことを他人に愚痴るの嫌だったんだ。口に出すことで、マイナスの感情が増幅される気がしていたから。他人同士の愚痴話を横で聞いているのも嫌だった。聞いている自分まで辛い気分になる。それに、赤の他人の話を聞くだけで気分が落ちるから、愚痴を言われる側の人は嫌な思いするんだろうなっておもうと、自分から言い出すことはできなかった。
でも、一回、しんどいことがあった時、その瞬間は何ともなかったんだけど、翌週会社に行こうとしたら身体が動かなくなったんだ。じぶん自身はその時辛いとか、しんどいとかは一切思ってなかったし、前向きに仕事をする気分でいた。でも、どう頑張っても身体が言うことをきいてくれないんだ」
心なしか、男性の声は暗い。でも続きがまだあるのだろうと、ゴギョウは辛抱強く続きを待った。
「すぐに署のみんなが心配してくれて、色々迷惑をかけたけど何とか仕事に戻れた。そのとき、ようやく『何で皆が愚痴を言い合っていたのか』がわかったんだ。みんな、辛いことを辛いと思ったそのタイミングか、あまり時間を置かないうちに他のひとに話してたんだ。そうすれば、自分の身体に蓄積されずに一旦外に出される。しかも、人に話すと辛いことが客観的に情報として整理される。出来事と自分の感情を分けて考えられるようになる。結果的に、自分の身体の負担が軽くなる。
そのことに気付いてからは、周りの人に積極的に悩み事を相談するようにしている。一回そういうことがあったから、周りの人も俺の様子を心配してくれているし、俺も調子が悪いときはそれを隠さないようにしてる。そのほうが、逆に迷惑をかけないってことがよくわかったから」
そういうこともあるのかと、ゴギョウは思う。自分の生活のなかは辛いも辛くないも存在しない――せいぜい、もう少し暑さがましにならないかと願う程度だ――が、人間の社会は世知辛いようだ。
「今日も、ちょっと嫌なことがあったんだけど、後輩がすぐに気付いてくれて。前までは後輩に愚痴を言うのはどうかと思ってた。でも、今僕と組んでる後輩は、辛いことや嫌なことも含めて話をした方が打ち解けてくれるんだ。前一度、愚痴ばっかり言ってごめん、嫌だったら遠慮なく言ってね。って伝えたらこういってたんだ。
『先輩の人間らしさが見えて、好感がもてます。それに、立場が上がったらそれに応じた苦労もあるんだなってわかるから、勉強にもなるんです。だから、俺への教育だと思ってどんどん言ってください』ってさ。
ほんとうは、愚痴ばっかり聞きたくはないと思う。だから、楽しい話もたくさんするようにしてるし、後輩の話も聞くようにしてる。それでも、辛い時に辛い話を聞いてくれる後輩の存在は、すごくありがたいんだ」
男性の熱い手が、ゴギョウに触れる。太陽の陽射しのような強さではなく、温まった水滴のような
「君にはそこまで重い話しはしていないけど、でも毎日、ふとした瞬間に存在を感じられるんだ。君は人間と違って毎日そこにいるから、見守ってくれている気がしてる。僕よりよっぽど、この町の人たちを良く観察して知っているのかもね。
君は、いつまで生きられるのかな。僕が調べた情報が正しければ、君は冬も根っこだけ残して生き続けるって見たのだけど。そしたら根っこが残る限り、毎年こうして存在確認ができる。それができたら嬉しいな」
・・・
ふっと、わずかな風がよぎる。葉で受け止めた風の思いがけない涼しさに、ゴギョウは意識を男性の背後に向けた。いつの間にか日は沈み、空には淡い青色のグラデーションが形づくられていた。男性も気がついたのか、顔を上げて後ろを向き、そっとゴギョウから手を離して立ち上がる。
「めずらしく、話し込んじゃったね。この暑さで大変だと思うけど、やられないように頑張ってね。それじゃあ、また」
男性は右手を額に当て、一瞬立ち止まってから身体の向きを変え、去ってゆく。
手の温もりと同じくらいに温い風に包まれて、ゴギョウは今日も路傍で生きてゆく。
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