冬・なでしこ華やぐ宿舎

 ガタガタッ、ガタガタッ


 一斉に椅子をしまう音が響く。子どもが帰る時間を知らせる公民館のチャイムが聞こえてくるのを待たずに、鳴瀬なるせは急いで手元の書類をまとめて立ち上がった。

 ――今日こそは、壬生みぶさんを夕食に誘う――

 そう心に決めたのは、昨日の夜のことだ。数か月前、同僚のうしおに壬生への想いを悟られてから、ずっと声をかける機会をうかがっていた。

 しかし、どちらかといえば現場回りの鳴瀬と、本社部門の壬生が話す機会はほとんどなく、今までで話した内容は極めて事務的なものに留まっていた。彼女の退勤時間を知ったのも、同じ本社部門で働く潮経由というありさまだ。正直なところ、いきなり夕食に誘いでもしたら、相手が引くのではないかという思いも内心ではある。


「そんなうだうだ考えてたら、あっという間に1年経っちまうぜ。またナデシコが咲く季節まで、お前はその周りで突っ立ってる雑草みたいにボーボーしてるつもりなのか? そんな悠長なことしてたら、いくらこんな田舎の事務所でも他の奴に取られるぜ」

 なかなか関係が進展する気配がない様子にやきもきしているのか、潮は余計なお節介を口にする。無駄に詩的な表現をするなという感想を抱きつつも、同様の危機感は鳴瀬も抱いていた。

 噂が筒抜けになる田舎の事務所で、男女比はほぼ8:2といったところ。社内恋愛でも起きようものなら翌日には全社にその話が駆け巡っていることだろう。つまり、壬生にはまだ彼氏はいない。しかし整った顔立ちの彼女を狙っている人間は鳴瀬だけではないだろうということは、うすうす察していた。


「もうさ、仕事できっかけがないなら、仕事以外で無理やりきっかけ作るしかないだろう。ほら、メシに誘うとかさ」

「俺外回りだし。内職の人と昼の時間が会うことはほとんど無い……」

「いやだから、夕食よ。仕事終わりに定時であがれば、そっちのほうが終礼無いぶん終業ちょっと早いから、そこから事務所寄っても間に合うだろう。で、壬生っちのところに直行して夕食の同伴のお誘いをかける、と」

「待てよ。それなんかナンパぽくないか。しかも夕食って。いらぬ疑いをかけられたり」

「朝食も無理、昼食も無理なら夜を狙うしかないだろう。そして下心が無いわけじゃないんだから、べつに疑われてもいいじゃないか。事実なんだから」

「身も蓋もないな、お前」

「だろ?」

 嫌味をいったつもりが全く堪えている様子のない潮に、鳴瀬は白旗をあげざるを得なかった。


「わかった。明日、そっちに寄るよ。なるべく急ぐけど、もし俺が来る前に壬生さんが帰りそうだったら、どうにか引き留めてもらえると助かる」

「お、ようやくその気になったか」

 全面的に潮の主張を認める形になったのは少し癪だが、やたらうれしそうな潮の顔を見ると、どうにでもなれという気持ちが勝った。

「潮が言い出した案なんだからな。協力してくれよ」

「やたら上からだな。でもいいぜ。こんな俺とつるんでくれる希少な友人だからな。お前は急いで事務所に来る。壬生っちは必ずそこにいる。で、お前は夕食に誘う。微妙に断られそうだったら俺も混ぜてもらう。で行こう」

「何どさくさに紛れて潮もついて来ようとしてるんだよ。……まあでも、1対1はさすがに引かれるかもしれないし、それもありなのかな」

「おい、弱気になるなよ相棒。多分大丈夫だって。壬生っち人を見る目には長けてるから。お前がおかしなことをしないやつだってことくらいは、把握してると思うぜ、多分」

「その“多分”が不安要素なんだけどな……」


 いずれにせよ、鳴瀬は腹を決めた。もうこうなったら、当たって砕けるしかない。


   ・・・


 意外なことに、鳴瀬の願いはいともあっさりと叶えられることとなった。


「壬生ちゃん、夕食のレパートリーが少ないから新しい店を開拓したかったんだってさ」

 俺の居ぬ間にどこまで話を進めていたのか、潮があっけらかんと告げる。その傍に立つ壬生は、ポニーテールを揺らしながら何度も頷く。

「そうなんです。いろんなお店に行きたいんですけど、このまちって常連さんばかりのお店が多くて、特に夜は『一見さんお断り』の雰囲気が強いじゃないですか。なので、ついいつも同じお店に行ってしまって。これを機に、新しいごはん屋さんを開拓したいんです!」


 思っていたより数倍ノリノリな様子に、鳴瀬のほうがたじろいでしまう。

「わ、わかった。ここからちょっと歩くんだけど、魚メインの定食屋さんとかはどうかな? アラ煮が中心で家庭的な雰囲気で、値段も安いよ。魚が嫌いじゃなければ」

「魚、大好きです! 是非ご一緒させてください!」

「まあ、魚嫌いだったら、このまちでやっていけないだろう。この辺の定食屋、ほぼ魚屋だし」

 潮の茶々が横から入るが、それよりも鳴瀬はこれからのことを考えて、背筋を伸ばさざるを得なかった。

 壬生がこんなに乗り気になってくれるとは思っていなかった。これは期待が高い分、下手なお店は紹介できない。とっさに口にした定食屋は鳴瀬がよく行く店で、価格も雰囲気も気に入ってはいるが若い女性もそうとは限らない。

 早くも不安になってきた鳴瀬の背を、潮がバシバシと叩く。


「いいじゃないか、相棒。たまには内職のメンバーの仕事についても勉強させてもらって来いよ。壬生ちゃんも、こいつ外回りではけっこう要領いいほうだから、ためになる話が聞けるかもよ?」

「そうなんですか? では、是非伺いたいです」

 なんだか余計にハードルをあげられた気がしたが、潮は知らん顔をしている。もはやどうにでもなれという気持ちになって、鳴瀬は事務所に向かっていた時以上に息を詰める羽目になった。


   ・・・


「それにしても、どうして鳴瀬さんは、私を誘ってくださったんですか?」


 幸いにして定食屋のアラ煮は壬生の口に合ったようだ。胸をなでおろす間もなく、直球の質問をぶつけられて鳴瀬は言葉に詰まる。とはいえ聞かれるであろうと予想していた問いだ。改めて経緯を振り返りながら、下心が見えないような範囲で事実を伝えようと試みる。


「ナデシコの花が……」

「ナデシコですか?」


 なるべく遠まわしに伝えようとして、抽象的すぎる話から入ってしまった。しかし、言ってしまったものは取り消せない。鳴瀬はその路線で話を進めることにした。


「事務所と営業支店の間にある通路って、いっつも草ぼうぼうなの知ってる?」

「はい。見通しが効かないのはちょっと不安だなと、思っていました」

 やっぱり女子はそう考えるんだなと思いつつ、鳴瀬は言葉を続ける。

「ちょっと前、そこでナデシコの花を見つけたんだ。見つけたって言っても、潮がそれを知ってて、俺に教えてきたんだけど。それを見て紅一点とか、そんな話の流れになって、男ばっかりの職場で壬生さんは大丈夫なのかなっていうことで。それ以来、本当に無理してないのか、ちょっと気になってたんだ」


 本当はナデシコの花を見つける前から気になっていたのだが、それ以外は概ね事実を伝える。壬生は目をぱちくりさせていたが、まとまりに欠ける鳴瀬の話が終わるとわずかに口角をあげた。

「それじゃあ、潮さんと、そのナデシコの花に感謝ですね」

 今度は鳴瀬が首を傾げる番だった。しかし疑問を口にするまもなく、壬生が言葉を繋ぐ。

「潮さんがナデシコの花を見つけてくれたおかげで、鳴瀬さんが私を気にかけてくれるきっかけができたんですよね? そのおかげで、私はこんなに美味しい定食屋さんを教えてもらえましたし、こんなに楽しい時間が過ごせています」

「い、今、楽しい?」

 思わずどもる鳴瀬に、壬生は笑顔で答える。

「はい! 鳴瀬さんのお話は新鮮で、勉強にもなります。もしお嫌でなければ、是非またお店を教えてください」

「……! それは、こちらこそ。よろしくお願いします」

「はい、よろしくおねがいします」

 お互いに頭を下げて、笑いあう。その場に流れたわずかな緊張感が、少し弛緩したような気がした。


 ナデシコがきっかけを作った二人の縁。そう遠くない未来に、より深く繋がる予感がした。

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