四 なでしこ × 地方の会社に勤める若手社員

秋・なでしこ寄せる宿舎

 ガタガタッ、ガタガタッ

 一斉に椅子をしまう音が響く。ほどなくして、子どもが帰る時間を知らせる公民館のチャイムが聞こえてきた。

「のどかだよなぁ」

 男性はそうひとりごちて、仲間たちからワンテンポ遅れて椅子をしまう。筆記用具とメモ帳だけをポケットにしまい、立ち上がった。

 仕事を終えて帰る、といっても持ち物は多くない。男性は手ぶらで事務所を離れ、建物の外に出た。


 事務所から寮までは、歩いて5分ほどだ。仕事は定時に終わるが、まちに行くにしても一旦寮に帰ることがほとんどだ。今日も例に漏れず、草ぼうぼうの道を真っすぐ歩く。

 事務所を繋ぐこの道を誰が管理しているのか、地味に気になっている。道の真ん中はきれいに砂利が敷かれているが、両サイドは一年中草が生い茂っている。特に夏から秋にかけてはひどい。人並みの背丈の男性ならば、胸元までの高さに達しそうな草がそこここに生えていた。

 ――これだけ視界悪いと、問題にならないのか?――

 男性が住む寮の別棟には、女性も住んでいる。あまり日当りの悪い状況にするのは良くないと思うのだが、草が刈られる気配は無い。


「っと、おつかれ」

 雑草群を眺めてぼんやりしていた男性は、後ろから肩をつつかれた。バランスを崩してよろめきつつ、声の主を振り返る。

「おつかれ」

鳴瀬なるせどうしたのさ、何の変哲も無い道で黄昏れちゃって。今日の仕事で面白くないことでもあった?」

 ニヤニヤしている声の主……同期のうしおがバンバンと肩を叩いてくる。

「いや、仕事はいつもと変わらないよ。ただ、この道の雑草誰か刈り取らないのかなって」

「あーね」

 潮は頷き、周りを見回す。


「確かにいわれてみれば、ここの草ボーボー感ヤバいけど。そこはやっぱり言い出しっぺの法則じゃないの。うちの会社ってそういうとこあるじゃん?」

「いや、草刈り機を貸してもらえるならやってもいいけど。俺が思いつきでやったら続かないだろう。何とかならないのかな」

「うーん。俺は別に、これはこれで田舎で働いてる感があって嫌じゃないけど。それに、さ、これだけ視界が悪いとたまに思いがけない発見もあるんだよ」

「発見?」

 鳴瀬は疑わしい目を潮に向ける。


「おい、そんな目で見るなって。べつに怪しいことじゃないから。ほら、こっち」

 潮は鳴瀬を草むらの陰へと誘導する。いぶかしみながらついて行った鳴瀬は、潮が立ち止まったところで背中越しに覗き込む。

「ほら、これ、ナデシコじゃね?」

 潮が指差した先には、小さなピンク色の花が咲いていた。緑色一色の草むらの間に生えるピンクは目立ちそうだが、普通に砂利道の真ん中を歩いていると気付かない位置だ。

「あ、ほんとだ。潮、花の種類わかる人種だったんだ」

「失礼な奴だなぁ。俺も、ナデシコくらい知ってます。だっていうじゃん?ヤマトナデシコとか、さ。俺言葉の由来になってるものは調べるたちなんで」

「さすがマーケティングリサーチ部」

「だろ? 俺いまの仕事が一番合ってると思うわ。で、どうよ。もしかしたら草一本たりとも生えないくらい整備されてたら、このナデシコちゃんは花を咲かせてなかったかもしれない。そう考えると、草ボーボーも悪くない気がしてこねえか?」

「一理あるな」

「だろ。こんなじゃまくせえ草が生えてるからこそ、それに守られてナデシコは咲けてるんだ。何かまさに、深層の姫君! とか温室育ち! とか紅一点! て感じがするわ」

「ああ……」

 生返事を返しつつ、鳴瀬は思いを巡らせていた。

 潮の紅一点、という言葉から、鳴瀬は会社の同僚を思い浮かべていた。

 ――壬生みぶさん、大丈夫なのかな――


 よく動く女性の姿を思い浮かべていると、潮が強く肩を揺すってきた。

「おい、……おい、鳴瀬。おまえ何勝手に妄想に耽ってるんだよ。壬生っちのことでも考えてた?」

「はっ、いや、別に、そんなことは」

 潮はしらけた目で鳴瀬を見上げる。


「嘘付け。おまえが魂抜けてるとときって、ほとんどが壬生っち絡みだろ。俺がおまえに話しかけに行った時、大抵おまえ壬生っちのこと見てるし。それはいまさらしらばっくれるところじゃないだろ。

 で、なに、野郎どもの中で働いてる壬生っちが心配だとか思ってるのか」

 まくしたてる潮を前に、言葉が詰まる。しかし物理的に顔を近づけてくる潮の圧に負け、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「心配、というか。俺が心配すべき立場じゃないとはわかってるけど。何でまだ若い女の子が、田舎で寮暮らしのこの会社にわざわざ入ったのか、わからなくて」

「それは、別に俺らと同じだろ。親から離れたかったとか、都会から距離を置きたくなったとか、まあ色々あるだろうよ」

「それは、そうだけど。でも彼女は、仕事できるし、家族との仲も悪く無さそうだし。他にももっといい待遇で働ける場所があったんじゃないかって、気になるんだ。きれいな子だし、こんな田舎町に来たら、かえって浮いて生活しにくいんじゃないか、って」

「前の方は本人に聞けよ。ってかんじだけど、後半はあれだな。老婆心か恋心かどっちかだな。大して年変わらないんだから、恋心の方だと俺は解釈するけどな」

「いや、勝手に解釈するなよ。潮は気にならないのか? その辺」

「べつに、どうでもいいかな。若かろうが若くなかろうが社会人なんだから。わざわざここに来てるってことは、本人の意志だろうからな。じぶんでやろうと思ってやってることに対して、俺がどうこう推測する余地は無いし。トラブル巻き込まれてて相談されたら助けるけど、何も無ければ特に俺から気にかける要素はないな」


「潮、意外と冷淡だな」

「そうでもないだろ。まぁ、公私ともにこんな性格だから学生時代に孤立したんだろうけどさ。でも、少なくとも会社の人間ってそういうもんだろ。数十人の社員がいる中で一人ひとりにいちいち関心持ってたら、脳みそがいくつあっても足りないさ。だから仕事上必要がある人か、個人的に関心がある人のことしか考えない。

 鳴瀬も基本そうじゃないのか?おまえ、人の名前覚えるの苦手だろ」

 潮にそう指摘され、鳴瀬は首を傾げる。


「うーん、まあ確かに、業務上の都合から覚える人の優先順位付けはするけど。覚えてない人=関心が無い人っていうのは違う気がする。関心があっても覚えられない人はいるし。いや、でも関心が無い人はそもそも覚えてないのか。意識にのぼらないから」

「そういうこと。関心あっても覚えられないのはヤバいから、じぶんで何とかしろよ。で、だ。そんな人間覚えるの苦手な鳴瀬が、来た初日から壬生っちの顔と名前はインプットされたわけだ。これで関心無いとはいわせないぞ」

「いや、男だらけの職場で、中途半端な時期に女性社員が来たら普通インプットされるだろ」

「それは一般論だろ。お前の場合、記憶力に時期も性別も関係ないじゃん。去年の五月に入った中途のメガネくんも、定期入社で入った受付の女子二人のことも名前覚えてないだろ?」

「うっ、それは、申し訳ないと思ってるけど」

「その三人は『仕事上必要がある人』なんだからマジでいい加減覚えろよ。……で、そんなおまえが壬生っちのこと一瞬で覚えたら、普通思うわけよ。『鳴瀬、壬生っちに惚れたんじゃね?』って。で、実際どうなの」

「まだ引っ張るのか、その話。だから壬生さんみたいな立場の人が来たら、気にかけるのが普通で、この場合潮の方が普通じゃないだろ。おれはただ先輩社員として、気にしてるだけで」

「……わかった。質問を変えよう。鳴瀬、壬生ちゃんと付き合えるんだったら付き合ってみたい?もちろん、プライベートの意味で」

「……」


 無言を貫いた鳴瀬を見て、潮はにやりと笑う。

「了解、じゃあそういうことで。やっとすっきりしたわ。おまえまどろっこしいからさ」

「俺はすっきりしてない……まさか、このためだけにナデシコ探してたのか?」

「さっきのは話の流れだろ?それに、ナデシコは探してない」

「『は』ってなんだよ。やっぱり確信犯じゃないのか」

「どうだろうな」


 にやついた顔のまま、潮は寮へと歩いて行く。鳴瀬もごちゃごちゃした気持ちのまま、後ろをついて行く。

 ――明日から、どんな顔して事務所行けばいいんだよ――

 ナデシコの花を恨めしく思いながら、短い帰路を踏みしめて歩くのだった。

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