冬・ふじばかま潜む料亭

 カーン、トッ……カーン、トッ……


 おそらくししおどしだろう。今のフジバカマには見えないが、水を受けて高く跳ね上がる竹筒の様子が容易に想像できる。なにせ、数か月間すぐ脇で共に在ったのだから。

 今も、すぐ脇にいることに変わりはない。しかし、フジバカマ自体の姿が変わってしまった。地中に潜み、土の上のわずかな変化を日々感じとる。少しでも暖かくなったら地上へ出られる準備をする。そのために、フジバカマは地上に顔を出しているときよりもずっと、変化に敏感になっていた。


「あっ、そっちは足を踏み込んではだめだよ。大事ないきものが眠っているからね」

「そうなんですか?」

 ふと、フジバカマの頭上で二人の女性の声が響く。ひとつはよく聞きなれた声で、周りから女将と呼ばれている人間のものだ。もう一つはおそらく、フジバカマが地中に身を潜めてからこの料亭に働きに来た人間だ。女将らしき声が、だんだんと近づいてくる。


「あなたは最近入ったばかりだものね。この場所には秋、フジバカマの花が咲くの。冬もこの辺りに株が眠っているから、私たちはなるべく踏み入らないようにしているわ」

「フジバカマ、ですか。この料亭は藤の花が有名だと聞いていたんですけど、フジ繋がりなんですかね。どなたかが植えたんですか?」


 若い女性の質問に、女将はやや間をおいて答える。

「……いいえ。私もなぜ、フジバカマがここに咲くのかはわからないのよ。誰かが植えたとも聞かないし、そもそもこの辺りが生育地で、種か何かが偶然ここに飛んできて、発芽したんじゃないかしら。それでも毎年、ささやかながら花を咲かせてくれて、私たちの癒しになってくれるのよ」


 そうなのだ、とフジバカマは土の中で同意する。むしろ風に任せて、あるいは土伝いにその身を増やしてきた。その過程でフジバカマを他の仲間と隔てる壁ができて、この料亭とやらができたという方が正しい。しかし女将は建設の時から逐次現場を見ていたわけではないだろうから、知らないのも無理はないだろう。

 思いがけず孤立してしまったフジバカマだが、現状を悲観はしていない。眠っているときも起きているときも、土の上では思いがけない変化が目まぐるしく起きている。それはきっと、フジバカマが料亭のいち区画で生きているからこそ体感できることなのだ。仲間たちが近くで暮らしていることも、知っている。だから、別に寂しくはないし、むしろ毎日が騒がしいくらいだ。自身の孤独など考える間もないほどに。


 唯一不満があるとすれば、人間たちが植物に優劣をつけるところだ。ここの料亭の人たちはそうでもないが、客としてくる人間たちはたいてい、じぶんではなく窓際に大きく備え付けられた藤棚に目をやる。そして、立派な藤だと口をそろえてほめそやし、食事と景色に満足して帰っていく。

 それに対し、フジバカマが注目されることはほとんどない。花が咲く時期が違うとはいえ、人間たちは藤を見にこの料亭に来ているのだとはっきりわかるくらい、初夏と秋では客足が全く違っていた。そして秋にやってくる珍しい人間たちも、料亭の人が紹介しない限りフジバカマには目もくれない。女将たちの話から、フジバカマは人間たちの間で「秋の七草」に数えられているのだと知った。そうして特別扱いしているにもかかわらず、人間たちは存在を感知しようとしない。

 ――言葉で特別扱いされている、という意味では、じぶんも優劣の「優」に入るのかもしれない――

 そう思っても、あまりいい気はしなかった。


 とはいえ、料亭の人たちはフジバカマを大事にしてくれている。土から顔を出している間は、毎朝必ず女将が挨拶してくれる。長く雨が降らずに喉が渇いているときは、他の人間に育てられている植物と同様に水を与えてもらえる。

 他に働く人たちも、特にフジバカマが花を咲かせる時期は存在を意識してくれる。立ち止まってじっと花を見つめる人もいれば、女将のように今日起きたこと、どんなお客さんが来たかなどを色々話していく人もいる。いずれにせよ、大切にされているという感覚はある。なので、人間たちが植物につける優劣に思うところはあっても、フジバカマはこの場所で生きることに満足している。ここ以外の場所がもっといいとは限らないし、むしろ気ままに生きる野草であるフジバカマが、これだけ人に目をかけてもらえているだけでも恵まれてるといったほうがいいだろう。


 思考にふけっている間に、女将はどこかへ歩き去っていったらしい。一人分の足音が、フジバカマのすぐ傍で立ち止まる。


「フジバカマ、か。そういえばこうやって庭とかに生えているの、見たことがないかも。花が咲くところ、見てみたいな。それまでわたしがここのバイト、続けていけるかわからないけど。春になったら目を出すのかな。また顔を出したら声をかけるね。これからよろしく」


 若い女性はわざわざしゃがみこみ、フジバカマが眠る土に向かって話しかけたらしい。先ほどより、大きくてはっきりした声が、フジバカマの元まで届いた。

 ――人間は、この場所に留まる人も、そうでない人もいる。毎日、せわしないことだ――

 この場で動かずに生きるフジバカマでさえ、変化の多い日々を過ごしていると感じているのだ。動き回っている人間たちはどれくらいの変化の中で生きているのだろうか。ふと、そんな疑問がよぎる。きっと、目が回るくらい変化だらけの日々を送っているに違いない。

 ――だとしたら、わざわざこちらに向かって話しかけてくるのは、変化しないように見える姿をみて安心したいのだろうか――

 そうかもしれない。フジバカマは、日々成長したり、土にこもったりという見た目の変化はあるが、身体はいつもここにある。常に変化にさらされている人間だからこそ、「変化しないもの」が貴重にみえるのかもしれない。

 ――だとしたら、やはり。じぶんはここにいてよかったな――

 人間の役に立ちたいとか、他の生き物のために生きているとか、そういった思いはフジバカマにはない。しかし、少なからず世話になっているという意識はある。その恩を、変わらずここに在り続けることで返せているのなら。それはそれで、悪くない生き方だと思う。


 若い女性の足音も遠ざかっていく。彼女が自分でいう通り、いつまでここにいるかはわからない。変化が多そうな人間社会において、フジバカマと顔を合わせる前にこの料亭を去ることになるかもしれない。それでも、フジバカマは彼女と直接会ってみたいと思った。彼女はフジバカマが把握できる小さな世界、そこにもたらされた貴重な変化のひとつだから。

 自分に変化が多いとせわしない。しかし周囲の環境に全く変化がないとつまらない。ならば変化が生じたとき、それをしっかり見届けたい。それがフジバカマの小さな願いだった。


 新入りの女性を迎えた料亭は、土の中に眠るフジバカマと共に、きょうも春を待つ。

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