六 ふじばかま × 料亭の女将

秋・ふじばかま寄り添う料亭

 カーン、トッ……カーン、トッ……


 沈黙の合間に、水を受け止める竹筒が高い音を立てる。あの装置はししおどしというらしい。庭に置かれたししおどしは、フジバカマの視界に入る。変わらずリズムを刻む姿が、不思議に思えた。


 ――いつもいつも、同じリズムで同じことを繰り返す。じぶんも、じぶんの周りにあるものごとでも、全く同じことを繰り返すものはないのに――


 毎日のぼる太陽も、日々すこしずつ、のぼる位置を変える。フジバカマはそのたびに、葉の向きを微調整して受け止める。雨が降る日も、降る雨の強さはいつも違う。身体の上を滑っていく柔らかい雨もあれば、葉に穴が開きそうなくらい強い力でおちてくる雨もある。


 フジバカマの前を行き来する人間もそうだ。だいたいおなじくらいの時間から動き出してはいるものの、手にもつものや、やっていることは毎日違うらしい。

 太陽がフジバカマの前に姿を現すころには、他の人間もやってくる。彼らは大抵、初めて見る人間たちだ。服装も、背格好も、性別も、皆違う。

 人間以外の動物たちも、近くを通り過ぎていく。彼らは来たりこなかったりで、やはり毎日、違う生き物に遭遇するのだ。

 ししおどしだけが唯一、フジバカマの周りでは変わらないものだった。


 ―—変わるものも変わらないものも、愉しむことに変わりは無いのだけど、ね—―

 そう思い返したのは、今まさに「変わるもの」たる見知らぬ人間たちが、フジバカマの目の前を通り過ぎていったからだ。


 ・・・


「もしもし、“藤見宴”はこちらですか?」

 年老いた人間の男性が、割烹着を着て外を掃く女性に声をかける。女性は顔を上げ、にこやかに答える。

「ええ。こちらです。お客さまは、ご予約の方でいらっしゃいますか?」

「いいえ、いいえ。存在を聞いていて、きてみたんだが…」

「かしこまりました。すぐにご案内できますよ。どうぞこちらへ」

 年老いた男性は、靴を脱いで建物に上がる。庭に面した広い縁側が、真っ正面に見えた。かつてはすべて障子をはめていたのであろう縁側の上はガラスと障子が交互にはめてあり、外の様子がよく見える。

 外には、細い竹を組み合わせて作った巨大な棚が広がっている。

「あれが、藤見の棚か」


 男性の呟きに気付いて、女性が近づく。

「ええ。縁側の外全面に、藤棚を設けております。もともとこの家の持ち主が、フジがとてもお好きな方で。譲り受けてレストランに改装したあとも、こちらの藤はあまりにも美しいのでそのままのこすことになりました。店名もそこからとらせて頂きまして。おかげさまで、時期になりますと『フジがきれいに見られるレストラン』として、多くのお客さまに足をお運び頂いています。

 フジが咲くシーズン中には、満席でご予約のお客さましかご案内できませんが、精一杯おもてなしさせて頂いております」

「そうか。じゃあ今日は、完全に時期が違ったな」


 頭をかいて苦笑いする男性の言葉を、女性は穏やかに笑顔で否定する。

「いいえ。確かに、フジを見る季節ではありませんが、私たちが一見のお客さまに、丁寧にお食事をお出しできる季節なのです。お食事を愉しみにいらしたのであれば、今の時期が一番、よろしいかと存じます」

「おお、そうか。秋の食べ物は何でも美味いからな。おれもまさに、そう思ってきたんだ」

 男性はそう行って膝を打つ。

「どうも、最近の都会のレストランは、季節感が無くていけねえ。ありとあらゆる野菜が一年中食べられるようになってるんだ。『季節限定』なんてメニューもよく見たら、秋には絶対に採れない野菜だの果物だのが混ざってこともある。

 俺は大した料理はしないから、本当の季節ものを美味く食うには、こういった店に来るのが一番だと思ってな」

「それで、此方へいらっしゃったのですね。当店をお選び頂き、光栄です。

 当店では、国産の食材のみを使用しております。ほとんどが取れ立てですので、旬の食材ばかりですよ。ご注文のコースは、お決まりでしょうか」

「おまかせで」

「かしこまりました」

 女性は深く頭を下げ、厨房へと下がっていった。


 ・・・


 フジバカマは、次々と料理を口に運ぶ男性をガラス越しに眺める。

 新たな料理を運んでくる女性とふたこと、みこと言葉を交わし、笑顔をつくる。そしてまた、出された料理をきれいに平らげていく。

 フジバカマは、料理を食べることが無い。根の先にある土と太陽の光、それに時折降る雨だけが、フジバカマの栄養だ。美味しいとかマズイとかでは無く、とらなければいけない唯一にして最大の命の源である。しかし、ガラス越しではいつも誰かが、笑顔で料理を平らげている。毎日料理を食べる人の顔ぶれは違う。だからこの場所以外でも、人間たちは料理を食べて生きているのだろう。フジバカマにとっては縁のない話だ。


 ―—とはいえ、気になるな――

 動けない、調理ができないフジバカマだが、毎日目の前で両方の行為を見ていると、どうしても興味が湧く。そんなに満たされるものであれば、やってみたい。人間と同じ感覚をもてるのかどうかは、わからないが。


 ・・・


「ああ、美味かった。久しぶりに、これだけ美味い飯を食った」

「ありがとうございます」

 食事を終えた男性は、上機嫌な様子で料亭から姿を現す。後ろからは、女性も見送りについてくる。

「飯も美味いが、場所もいいな。余計なもんが何もない。フジが咲いてる時期にも来てみたいが、人が多いのは癪だな」

「申し訳ありません。どうしても、フジの咲く時期は人気が集中しておりますので」

「ああ、あんたは悪くない。ただなぁ。そういったもんに人が集まるのはわかってるんだから、もうすこし同じような仕掛けの店が増えるといいんだがな。特定の少ない店だけやってたら、そこにだけ人が集まってかなわん」

「そうですね。フジの催しはいくつもあるようですが、この地域に絞りますと、ほとんどありませんから。特に、食事を摂りながらですと私どもだけではないでしょうか」

「そうだよな。だから、何かもう少し、人が集まり過ぎないようにならんもんかね」

 そう言った男性は、庭の軒先に目を留めた。

「なぁ、あそこに咲いてるのって、なんだ?」


 女性も一緒に顔を向け、頷く。

「あれは、フジバカマです。株があまり広がらなくて、この一画にだけですが、ちょうどこの時期に咲くのです」

「ほー。フジバカマって、あの秋の七草か。フジとは大分違うが、これはこれで悪くないもんだな」

「ええ。お客さまからは見えづらい位置に咲きますので、私ども従業員の愉しみにさせて頂いております」

「贅沢だな。ここで生活していると、季節感のある贅沢な暮らしができそうだ。うらやましいよ。まあ、俺はひとりもんだから、また寄らせてもらうよ」

「ありがとうございます。お待ちしております」

 片手を上げて去っていく男性を、女性は深く頭を下げて見送った。


 ・・・


 ―—きょうも、いつもと違うことが起きた――

 客としてやってきた人間に、フジバカマの存在を言及されたのは初めてだった。


 まだ見ぬ「違うこと」を愉しみに、フジバカマは今日も藤見宴のそばに寄り添い生きていく。

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