冬・おみなえし眠る楼閣
ガサッ、ガサッ
乾いた草葉の上を踏む、いくつかの人間の足音が響き渡る。
オミナエシはそれを、土の中から聞いていた。
――確かに人間たちはやって来たが、賑やかに遊んだり、密やかに言葉を交わしたり、そういった昔の雰囲気とは違う。何か重いものを動かしたり、叩いたりする音ばかりがこの身に響く。上では一体何が行われているのだろうか――
地上に身体を出さぬ今、音の正体を確かめるすべは無く、オミナエシはただ身体を揺らす音に身を任せた。
・・・
自分が主体となって修繕を進めたい旨、森灯台の持ち主である町役場に相談したところ、役場の職員は難色を示した。曰く、地元住民の信頼を得ている甲谷が修繕してくれるのはありがたいが、その費用は充分に出せない、と。今では利用する人もほとんどおらず、修理コストに見合うだけの価値があるとは考えにくいし、上を説得できないと告げる職員の雰囲気は、明らかにこの計画に及び腰だった。
所有者が首を縦に振らなければ、職人は腕を振るえない。甲谷が諦めかけたそのとき、助太刀をしてきたのは受付の順番待ちをしていた青年だった。
「失礼。横からお話を伺っておりましたが、クラウドファンディングをしてみてはどうでしょうか」
「く、クラウドファンディング?」
甲谷が横文字に首を傾げると、20代後半くらいに見える青年は立ち上がり近づいてきた。
「昔でいう、募金のようなものです。森灯台がいままで住民にいかに浸透してきたかを文章にしてアピールし、修繕費を広く集めるんです。僕は最近移住してきたばかりですが、あの森灯台の思い出を語る住民の方によく出会います。うまくいけば、幾分かの費用は補填できるんじゃないのでしょうか」
青年はそういいながら、手元のスマホを操作する。甲谷がのぞき込むと、そこには「地元の街を元気にしたい!」といったコンセプトのクラウドファンディングのホームページが表示されていた。内容は様々だが、どれも地域のために、お金を集めたいといった内容のものだった。
「もし、修繕費用の7割以上をクラウドファンディングで補填できるようであれば、こちらも前向きに検討いたします」
「か、課長!」
「それはつまり、まちの人たちが塔の再建を望んでいるということだろう。行政主体で直す理由付けにもなる」
話を聞いていたらしき男性が、受付の奥から出てきて言った。今まで応対していた職員の反応からして、彼の上司らしい。
「では、決まりですね」
「しかし、俺はそういったことには疎いのだが……」
言い淀む甲谷に、青年は明るく答えた。
「乗り掛かった舟です。僕が提案したことですし、もちろん、お手伝いしますよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「はい。宜しくお願いします」
甲谷と青年は、がっちり握手を交わした。
そのあとの動きは、とんとん拍子で進んだ。クラウドファンディングの募集ページの作成や目標金額、リターンの設定などは全て、青年が所属する若者たちによるまちの活性化部隊によって準備された。その間、甲谷は仲間の大工やガラス加工に長けた職人たちに声をかけ、森灯台を直す手伝いをしてもらえないか――それもなるべく安い値で――を頼んで回った。価格に渋面を作っていた彼らも、それが甲谷の思い出の灯台であることを知ると、笑顔で応じてくれた。
「あんだけ仕事一筋の甲谷さんが直したいっていう思い出の灯台なら、一度見てみたいじゃないか」
そう言ってくれた大工らに感謝しつつ、甲谷は青年にクラウドファンディングの進捗を尋ねた。
「いい調子ですよ。期間は1か月で設定したのですが、早くも目標金額の50%に到達しています。それに、熱のこもったコメントをたくさん頂いていますよ。例えば……『小さいころ、森灯台で鬼ごっこをして遊んでいました。今の子供たちも、同じ場所で遊べるようにしてもらえるとありがたいです。今このまちには、遊ぶ場所が少なくて困っているのです』とか。『このまちでデートスポットといえば森灯台でした。できれば灯台だけでなく、その周りの道も整備してほしいです。みんなが安全に行けて、いい雰囲気のある場所に戻ることを願います』とか。これを見たら、行政の方にも響くのではないでしょうか」
力強い青年のコメントに、甲谷も力をもらった気がした。
――じゃあ俺も、もうひと踏ん張りしなきゃな――
甲谷が概ね修繕のメンバーを集め終わったのと、クラウドファンディングの期間が終わったのはほぼ同時だった。
「すごいですよ、甲谷さん! 目標額の130%越えの資金が集まりました! これで、行政はGOサインを出すだけで済みますね」
「ああ。それに、こっちの人材集めもいい感じだ。市場の一般的な価格より気持ち安めで受けてくれるらしい。これで道の整備もちょっとくらいならできそうだ」
「であれば、僕たちもボランティアとして手伝わせてください。剥がれたペンキの掃除くらいなら、できますから」
「わかった。まだまだ、世話になるな」
「いえいえ。僕もこのまちをより良くしたくて移住してきた人間ですから。このまちに貢献できることがうれしいんです」
青年とがっちり握手を交わし、甲谷は森のほうを見上げた。
――待ってろよ、森灯台。もう少しで、綺麗にしてやるからな――
・・・
資金の問題が解決したことで、行政とのやり取りはとんとん拍子に進んだ。おかげで諸々の準備が終わり、雪が降り始める前に着工することができた。
着工初日、甲谷たちは森灯台の前に集まった。初めて森灯台を目にする者は荒れ具合を嘆いたり、今までの行政の対応を愚痴ったりしていたが、どれもそれほど暗いトーンではなかった。今から、自分たちがそれを改めるのだと自覚しているからだ。
集まった職人たち、ボランティアの青年たちの前で、甲谷は声を張り上げた。
「えー。みなさん、俺の思いつきに付き合っていただき、ありがとうございます」
思いつきだったのかよ! というヤジが飛ぶ。それに苦笑いで答え、甲谷は言葉を続ける。
「俺は、このまちの生まれです。社会に出て、左官屋になってからはこのまちからも離れていましたが、最近戻ってきて気づきました。みんなが集まり、話のネタにしていた森灯台がぼろぼろになっていたことを。
今の森灯台は、見ての通りまちの人たちが集まりたいと思える場所じゃありません。でも、ここにいる俺たちなら、集まりたいと思える場所に戻すことができる。そう思って声を掛けました。これから大変な仕事になりますが、宜しくお願いします」
甲谷が頭を下げると、一瞬の沈黙の後、大きな拍手が彼を包んだ。
「よっ、おめぇ職人気質だかで、全然喋らないやつだと思ってたけど。お上品なスピーチもできるじゃねえか」
先ほどヤジを飛ばした大工がまたも茶々を入れる。
「ぼくたちも、森灯台が綺麗になるのを楽しみにしてきました。微力ながら、お手伝いさせていただきます」
と青年。
甲谷は周囲を見渡して、雑草の中に生える黄色い花を探したが、今は花が咲く時期ではないと思いなおした。
――まあいいや。土の中で待っててくれよ。お前が次に地面から顔を出すときには、この森灯台は見違えているからよ。昔みたいになるかはわからないが、きっと人が集まる場所に戻して見せるさ――
名すら知らない野草にそう誓って、甲谷は仲間たちの輪の中へと戻っていった。
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