冬・ はぎ見送る寺院

 雨が降ると、身体を刺すような冷たい空気が和らぐ。

 暖かい時期の雨は空気を冷やすものとして歓迎されるが、寒い時期の雨は逆に、空気を暖めてくれる。だからやはりありがたい。ハギは、雨が好きだった。

 通りすがりの人間たちは、「雨粒が重そう」だとか「寒そう」だとか好き勝手なことを言っていいく。しかしむしろこの季節、何重にも服を着こんで身体を膨らませている人間のほうがよほど具合が悪そうだ、と思う。要するにお互い様だ。全く違う種類の生き物をみて、自分の価値観を当てはめることがいかにナンセンスなことか。ハギにはハギの、人間には人間の生き方がある。気にすることはない。


 とはいえハギが日々を生きるこの場所は、見知らぬ人間がひっきりなしにやってくる。それなりに名前が知られた場所で、なんたら寺、というらしい。気温が下がるこの時期は、人間たちは活動が鈍るのだろうか。ハギが花を咲かせていた時期に比べると、ずいぶんと静かな日々が流れる。毎日必ず目にする人は、ハギの周りを掃除している頭がすっきりした人間だけだ。確か、他の人からは「住職」と呼ばれていた。


 住職は、いつも木の棒で、ハギの周りに広がる地面をひっかいていく。彼がそれをしたあとは、散らばっていた落ち葉やら、人が落としたごみやらがきれいにまとめられて、灰色の石畳が姿を現す。ほかに人が来ないときは、ぼんやりそれを見ているのがハギの日課だ。


 今朝も、住職はハギの前に姿を現した。しかしその手に木の棒は握られていない。代わりに、小ぶりな四角いモノを持っていた。

「おはよう。今日はあなたに見せたいものがあるんだ」


 ハギは周囲の気配を感じるが、目の前の住職以外に人がいる様子はない。四角いモノをこちらに向けてくることから、どうやらハギ自身に話しかけているらしいとわかった。四角いモノには光が反射しており眩しいが、住職が向きを少し傾けると、色鮮やかなピンク色が目に飛び込んでくる。

「数か月前の、あなたの姿だよ」


 それは、どうやらハギを映した写真らしい。自分にカメラや、いま住職が手にしているような四角いモノを向けてくる人間が数多くいることは認識していたが、自分がどのような姿でそれらの機械におさまっているのかは知らなかった。

「先日、このお寺にいらっしゃった観光客の方が、本堂と一緒にあなたの写真を撮影された。お堂やあなたの写真を撮る人は多いが、その方は撮った写真を、県の写真コンクールに出展されたという。それが優秀賞に選ばれて、こうして観光サイトの表紙になっているんだ。撮影者の方にあとから連絡をもらって驚いたけれど、とてもよく撮れていたから、こちらとしてもありがたいよ。写真をみて、またたくさんの人に来てもらえるからね。

 ますます掃除にも気合が入るよ。あなたや仏様がいる本堂に魅力があるのはもちろんだけど、それ以外のところで評価を下げてしまったら悲しいからね。来てくれる方には、居心地の良い空間だと思ってほしいから」


 住職は、心なしか微笑んでいるように見えた。彼が機械に指を滑らせると、写真の下には「見事な萩が咲き誇る寺院」との文字があった。これが、観光サイトというものらしい。

 観光サイトに載ることの価値が、ハギにはよくわからない。住職曰く、これを見てたくさんの人間がここにやってくるらしいのだが、ハギにとってそれはどうでもよいことだった。人間を観察していると、退屈しないからよい。だから人が全く来ないとなるとつまらない。だから、一日数人は人間を見たいものである。もし、観光サイトとやらがその欲求に応えてくれるというのなら、自分が表紙を務めることも悪くない。

 それに、住職が木の棒で地面をひっかく作業――彼曰く、「掃除」らしい――をより丁寧にするというのなら、またそれもいいだろう。なにより、住む場所が無くなってしまうことが一番困る。周辺の環境を手入れしてくれる住職が、より一生懸命取り組んでくれるというならば、今後の生活も安泰といえるだろう。


「あなたも、気に入ってくれましたか」

 住職はそういうと、四角い機械をふところにしまった。


「この写真もそうですが、観光客の方々は、秋に花を咲かせるあなたを写真に撮りたがります。もちろん、その時期のあなたは誰が見ても美しい。しかし、私は今のあなたもすてきだと思いますよ」

 突然何を言い出すのだろう、とハギは思った。ハギに人の美醜はわからぬ。しかし、自分が花を咲かせている時期以外――特に、今の時期――は人間たちは横を素通りしていくので、今の自分が人間にとって魅力的な姿ではないのだろうとは認識していた。ところが住職はそれは違うのだという。

「命が最も美しく感じられるのは、自らの力を最大限、発揮するために努力しているときだよ。野に咲く命でも、人間でもそれは変わらない。その様子はたいてい、はたから見て美しいとは思いがたい。だから人間は、努力している姿を隠そうとしたり、なかったことにしたりしようとする」


 そういうものなのか、とハギは思う。動かない、動きようがないハギは自らの葉の生死を隠せないし、隠そうとも思わない。しかし人間は自由に動き回れる。自分の行動さえ、隠すことができてしまえるらしい。少し間をあけて――ハギに考える時間を与えているようだ――住職は話を続ける。

「努力している時間をみっともないとか、醜いとかいって隠す風潮はいただけない。その瞬間こそ、最も美しく、その生き物らしい姿が見られるのだから。人が素晴らしい成果……たとえばかけっこで1位になったとき、確かに1位になったこと自体も素晴らしい。周りの人はそういってほめるだろう。しかし、本当に素晴らしいのは1位になるために、その人が努力をしたということだ。たくさん走る練習をした、ケガをしないように柔軟をしっかりやった、そういった事前の努力こそが、もっとも褒められるべきところだと私は思う」


 風がさっと吹き、ハギの枝同士をこすれさせる。ハギにとっては大したことのない風だが、住職は袖を上げて身体をわずかに縮めた。

「あなた……ハギにも、同じことがいえます。あなたが美しい花を咲かせるのは、秋です。しかし、あなたが花を咲かせるまでの間、何もしていないはずがない」

 ハギは無い首をかしげる。確かに、命をつなぐために土や空気、身体に接しているあらゆるものから栄養となるものを受け取っているが、それが「何かしている」ということになるのだろうか。年中やっているそれが、住職のいう「努力」と同じなのかがわからない。

「花が落ち、葉も枯れた後、あなたはじっと栄養を蓄える。そこでの蓄えが足りなかったら、翌年美しい花を咲かせることはできない。私たちも、適切な栄養となるように土の手入れは怠りませんが、それを受け取るあなたの努力があって初めて、毎年の見事な開花が見られるのです」

 そこまで聞いてようやく、ハギは得心した。やや回りくどいが、住職は今の自分もよいと言ってくれているのだ。


 人間だったら、こういうとき頭を下げるようだが、ハギにそれはできない。ただ自分に手を合わせ、深く一礼してお堂に戻っていく住職の後ろ姿を、その場で静かに見つめていた。

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